1-1 香療師への依頼

 月英は威嚇とばかりに精一杯睨んでみるも、万里は意に介した様子もない。


「さて、色々と話してもらいたいんだが」

「は、話すことなんかないね!」


 逃げないという決心を曲げることなど、国が滅ぶことと比べれば些細なものだ。


「……そうかよ」


 不機嫌な声を漏らした万里は、壁に置いていた右手で月英の肩を掴んだ。

 逃がさないというより、何かを確かめるような触り方である。


「まあ……言葉が無理なら、手っ取り早く確かめるって方法をとらざるを得ないんだけどな」

「な……っ!?」


 するり、と万里の手が医官服の首元へと移動していく。

 そうして、襟の留め具に触れた時だった。


「おーい、月英。用があるって内侍官が今――」

「ごっ……豪亮!」


 豪亮が無遠慮に扉を開けたのは。

 助かったとばかりの声を上げる月英と、ばつの悪そうな顔を向ける万里に、豪亮は首を傾げる。


「――って、そんな隅で何やってんだお前ら?」

「いえ、これは……その……」


 万里の意識が逸れた隙をついて、月英は壁と万里の間から抜け出す。

 あっ、と万里が声を上げるが、次の瞬間には月英は豪亮の腕を引っ掴んで房の外へ出ていた。


「僕に用事なんだってね! それじゃあ行こうか、豪亮!」

「え、お……おう、そうだな?」


 背中に穴が空きそうなほどの視線を感じるが、月英は振り返らずにそのまま香療房を後にした。


 


◆◆◆





 医薬房にいた内侍官が言うには、亞妃が呼んでいるから来てくれということだった。

 月英はその内侍官をそのまま随伴とし、燕明の後宮『百華園』にある亞妃の住まう宮――芙蓉宮へと向かった。

 そうして亞妃に用件を聞けば、用があったのは正確には亞妃ではなく、亞妃の侍女ということだ。


「――え、この移香茶をですか?」


 卓の上には、花の香りがする茶が置かれていた。


「そうです! ぜひ、うちの店で扱わせてほしいんです!」


 頭の両側でお団子髪を結った侍女にズイッと顔を近づけられ、思わずその圧に月英は上体を仰け反らせる。


「あ、あの……少し離れていただけると……」


 ただでさえ黒々とした瞳が、目の上で綺麗に切り揃えられた前髪のおかげで目力が増していた。

 正直、ここまで至近距離で見つめられると照れるというもの。


「こら、すうりん。落ち着きなさい、はしたないですよ」

「あっ、すみません月英様ぁ」


 すると、月英の様子をめざとく察してくれた年上の侍女が、お団子の侍女こと鄒鈴をたしなめた。

 鄒鈴は月英から身体を離すと、傍目にも分かるほどすまなそうに眉を下げる。

 よくコロコロと表情が変わる侍女だ。


「すみません、月英様。この子ったらあまり深く考えない質で、よく他人との距離感を間違えるんですよ」

「えぇ……とうさまが言うなら分かりますけど、それめいけいさんが言いますぅ?」

「どういう意味よ、鄒鈴」

「だって、明敬さんも最初っから亞妃さまの髪にベタベタ触ってたじゃないですかぁ」

「あっ、あれは、亞妃様の髪がとても綺麗だったからつい……っ」

「だったら、わたしもついですぅ」

「二人ともおやめなさい! 月英様も驚かれてるでしょう」


 年上の侍女――李陶花の一声で鄒鈴と、明敬と呼ばれたそばかすの侍女は一緒に首をすくめて口を閉ざす。

 月英はというと、李陶花が言ったように個性あふれる大中小の侍女達を見て、驚きに目を瞬かせていた。

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