4-9 亞妃の本心
やはり大于が言うとおり、娘である亞妃には全て分かってしまうのだろう。
縋るようにして弓を抱き締める姿は、決して『分かっていない』姿ではなかった。
「亞妃様、戻る場所はちゃんとありましたね」
狩猟を生活の基盤にする北の民にとって、獲物を狩り我が身を守る道具というのは、一心同体なのだろう。
それを渡すという意味が、どれほどのものか。
そこには、決して『不要だ』などという想いはない。
『いつでも一緒にいる』――そう弓は言っているかのようだった。
「亞妃様、別に過去を捨てる必要なんかありませんよ。後ろを振り向かないことが正しさでもないです。過去があったからこそ、今の亞妃様がいるんです」
亞妃は月英の言葉を耳に、弓を見つめていた。
恐らくこの弓は、亞妃の過去をも間近で刻んできたのだろう。
亞妃は慈しむように、弓に入っているいくつもの傷を、一つ一つ指でなぞっていく。
「良いじゃないですか、誰もが褒める『架け橋の亞妃様』になろうとしなくて。誰も亞妃様一人に、そんな重い責任は背負わせませんって。もっと力を抜いてください。僕はほっぺを膨らましてる、普通の女の子っぽい亞妃様の方が好きなんですから」
「香療師様……」
亞妃は気恥ずかしそうに下を向いていた。
もし、燕明が亞妃を利用して、北に便宜を図らせるような卑怯な真似をしたら、即刻、芳香浴の精油を、あの「嘘みたいにくせぇ!」と万里に叫ばせた草汁に変えてやる。
あの臭い草は一度捨てたはずなのだが、帰ってきて袋を確かめたらまた入っていた。
恐らく一緒に大于と草むしりをしている時に、良かれと入れてくれたのだろう。あの香り――いや、臭いを知らないとは、幸せなことだ。
「亞妃様が無理をせず、ありのままでいられる場所をここで作っていきませんか。いくらでも、お手伝いします」
きっとどうしても辛く辛く、萬華国に居場所がないようであれば、大于は両手を広げて亞妃を迎え入れるだろう。
亞妃も、大于の想いはもう理解したはずだ。
だからこそ、今、聞かねばならない。
「亞妃様、今だけは万里の存在は忘れ、どうか本音だけを聞かせてください」
月英が万里に視線を送ろうとすれば、それよりも先に、万里は自ら両手で耳を塞いでいた。
以前までなら鼻で笑って、「残念ながら監視役なもんで」とか言っていただろうに。今では耳だけでなく、目も口もきっちりと閉ざしている。
思わず口が緩んでしまった。
しかし亞妃に向き直る時にはもう、月英の表情は緊張を帯びていた。
「亞妃様、北の地へ戻りたいですか」
亞妃の顔がゆるゆると持ち上げられ、月英を捉える。
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