3-7 ホゲェェェェェ!

 わくわく、と立ち上りはじめた香りに、月英が鼻を近づけた次の瞬間。


「ホゲェェェェッ!?」


 月英は鼻を押さえて、鶏でもそんなに叫びはしないだろうという程の叫び声を上げた。


「くっさ! いや、何よこれくっさ!?」

「嘘みたいにくせぇ!」

「ホゲェェェェェェェェ!」

「うるせぇ!」


 三人は香炉台から顔を背け、その香りに盛大に咳き込む。

 周囲からもゲホゴホとむせた声が聞こえる。


 春を思わせる青々とした爽やかさを纏う苦味の中に、時折顔を出すえぐみが個性的な、融和しそうでしない個々を限界まで貫き通した、実に不愉快な香り。


 端的に言えば臭かった。

 火を消すも、芳香浴の特徴である『香りが津波のように広がる』という利点が、最悪の状態を長引かせていた。

 男達は臭いから逃げるように、天幕の入り口にかたまっている。臭いを逃がすためか、入り口の幕をバッサバッサと扇いでくれた。ありがたい。


「はぁ……この草は失敗だった……捨てとこ」


 布袋の中から、今し方不可判定を下した草を、ぽいぽいと袋の外へと捨てていく。


「これ……下手したら攻撃ってとられても、おかしくなかったわよ」

「オマエ、変なところで根性すわってんな」

「そうかな? 普通だと思うけど……」


 万里は、呆れの割合が大きい感心の声を漏らした。が、皇太子の着物を衆人環視の中で剥こうとした非常識っぷりを知っている春廷は、遠い目をするのみであった。

 このくらい序の口よ、と言わんばかりに。

「やっぱりお前ら大人しくしとけよ! 危うく死にかけたぞ!?」

「自滅してたから悪意はないととるが、本当今の臭いはギリッギリだからな!」

「俺達の白土ツァガン並みに広い心に感謝しろ!」


 見張りの男達が口々に月英をどやしつけた。

 涙目で鼻を押さえて喋っているため、変な声になって迫力は半減しているが。

 月英はすみませんと身体を萎れさせ、いそいそと道具を片付ける。


「――ったく、ここを追い出されて危険なのはお前達の方だからな。せいぜい追い出されないようにしとけよ」

「どういうことですか?」


 処分という天秤にかけられている今の方が良いとは。むしろ、追放された方が自由になれるから良さそうではあるのだが。

 男は、ジロリと月英を睨んだものの、ややあって口を開く。


白土ツァガンには色々な部族がいる。大于はあのように寛大なお方だが、他の族長全てがそうとは限らない。捕らえた瞬間に殺す者達もいるということだ。良かったな、我々に見つかって」


 一番は見つからない方が良かったのだが。

 しかし、確かに男の話を聞けば、見つかったのがこの部族なのは不幸中の幸いと言えよう。


「保護されてるって感じですか」

「まあ、そうなるな。不本意だが」


 男は軽く舌打ちをする。


「質問ついでにもう一つ聞きたいんですけど、さっきから聞く大于ってのと、白土ってのはどういう意味ですか」


 大于や男が話す言葉は、亞妃と同じく萬華国の言葉であった。

 しかし時折、萬華の言葉でないものも交じっている。

 大于というのは、状況から族長という意味だろうと判断したのだが、先程、男は大于と族長を使い分けていた。

 男は不承不承の顔をしつつも、再び口を開いてくれる。


「大于というのは、全ての部族を纏める族長にのみ与えられる称号だ。お前達の国でいう、皇帝のようなものになる。それと、白土ツァガンというのは、神が与えられたこの大地のことを言う。ここはまだそうでもないが、北へ行けば白い大地が多くなるからな」


 まさか大于というのが狄の中で一番偉い人物とは思わず、月英達は素直に驚きの声を漏らした。

 しかし、あの体躯と威風であれば納得ではある。


「白い大地で白土ツァガン……綺麗な響きですね!」


 月英が素直に感心をあらわにする一方、男は感情の見えない目を向ける。


「お前達の国では、我らのことを狄と呼ぶのだろう?」

「ええ、そうで――」

「蛮族だと蔑んで」

「……え」


 男の目が軽蔑を訴えていた。

 しかし、月英には男の言っている意味が分からなかった。

 一度だとてそのように思ったことなどないのだから。

 目を見開いたまま動きを止めた月英に、男は薄く息を吐く。


「大于がお前達の安全は約束したからな。別に手を出そうってわけじゃないが、つまりそういう事だ。俺達白土の民は、お前等に対してあまり……良い感情は持っていない」


 男は、「大人しくしてろ」と言い残し、天幕を出て行ってしまった。

 同じ空間にいるのすら拒むように。


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