3-8 大于

 大于が天幕へ戻ると、捕らえた数が三人から二人になっていた。

 碧い目をした者の姿が見当たらない。


「おい、あと一人の姿が見えないが」


 入り口横に立っていた見張りの男に聞けば、彼は「ああ」と首を外へと出した。


「あの小僧なら――」


 男の言葉を聞いて、大于は首を傾げた。



 


「そんなところで何をしている?」


 天幕の陰で例の草むしりをしていると、突如背後から野太い声が掛けられた。

 月英が驚きに振り返れば、そこに立っていたのは首を傾げた大于であった。怒られるのかと一瞬身を強張らせたが、大于の纏う空気に怒気はない。

 大于は子供のような純粋な眼差しで、月英の手元を見つめている。


「……これですか?」


 月英は手に持っていた袋をひょいと掲げてみせた。

 大于は頷きながら、月英の隣に同じようにして腰を屈め座る。


「草むしりをしているのか? 何のために?」


 月英はふふと頬を和らげた。

 北の地で一番偉い者の口から、草むしりなどという素朴な言葉が出たのを、愛らしいと思ってしまう。

 膝を抱え大きな身体を懸命に丸める姿などは、羽織った裘のもふもふとした毛のせいで、まるで人懐こい熊のようだ。


「正確には、草むしりじゃないんですけどね。亞妃様の好きな香りが何の香りか分からないんで、取り敢えず持って帰れるものは全部持って帰ろうかなと。本当は草よりも花がほしいんですけど、中々花が見つからなくて」

「ここら辺は草地だからな。しかも、まだ花の季節でもない」

「確かに、てき……白土はまだ冬みたいに寒いですもんね。萬華国じゃもう春なんですけどねえ」


 大于は「そうだな」と、月英の隣で同じく草をむしり始める。

 手伝ってくれているのか、むしった草は月英の袋へと入れられる。

 太い指が細い草をちまちまと摘まむ姿はどこか滑稽であり、同時に愛らしくもある。

 岩のように大きな大于と、子猫のように小さな月英が並んで地面を探る。うっかり通りかかった部族の者達は、その状況に驚き、足を止めては無言で去って行く。


「……あの、すみませんでした」


 前置きなく、ポツリ、と月英は地面に向かって言葉をもらした。


「『狄』って呼ばれて、嫌な気持ちだったでしょう」


 あの後、春廷や万里に『狄』の意味を知っていたのかと聞いたら、二人ともばつが悪そうに顔を逸らしていた。

 大于の反応を否定とは受け取れない。


「皆が呼ぶから、そういう国号だと思ってました。僕には皆みたいな学はないから……その言葉にどういった意味があるのかなんて考えたこともなくて……」


 今度は隣に座る大于にしっかりと顔を向け、「嫌な思いをさせて、すみませんでした」と頭を下げた。


「亞妃様もきっと、本当は嫌だったんだろうな……」


 嫁いだ身とはいっても、母国を皆から蔑称で呼ばれ続ければ嫌にもなるだろう。たとえ、それが辛い思い出の場所だったとしても。

 ぽつりとこぼした月英の言葉に、大于の顔がゆるく向く。


「……お主、その目で萬華の民なのだな」


 ぬっ、と迫り来る大きな手。

 掴まれれば、月英の頭など一握りで潰されてしまうだろう。北の地をまとめ上げる力量は、純粋な力とも直結しているのだと思わせるおお

 驚きに目を丸くしていると、大于の太い指は、顔に落ちた月英の前髪を払っていった。

 土を付けないようにと指の背で丁寧に払う様子は、決して怖いものではない。


「萬華国が開国したとの報せを受けたときは、正直半信半疑であった。大抵の者達は、今でもまだ信じておるまい。開国しようと、我々を狄と呼び、靴を履いた獣くらいにしか見ていない萬華のままだろうと」

「そんなこと、一度も思ったりしてません……!」

「お主はそうかもしれんな」


 だが他の者達は違う、と言っているようだった。

 事実、月英が知らないだけで、そのように思われても仕方がない事を萬華国はやってきたのだろう。


「僕は今、自分に学がないことがとても恥ずかしい。僕はただの下民ですし、よその国のことよりもその日を生きるだけで精一杯でした。大于さんにとっては、そんなの知ったことかって話でしょうけど……」

「いや……その目の色を見れば、まあ、どのような仕打ちの中で生きてきたのかは、想像に難くないな。私は先帝と会ったこともあるが、よくその色で生き残れたなとしか」


 大于が片口を吊り上げた。


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