3-6 さて、この匂いはどんなのかな?

 結局、春廷は事情全てを明らかにすることを選んだ。

 萬華国の体面を守ることなど、自分達の説教劇を見せた後では、棒きれほどの価値もない。

 最終的には、身体を縛っていた縄が解かれるとき、狄の男にボソリと「苦労するな」と同情まで掛けられる始末。守るものがなくなり、むしろ清々しさまであった。


 自分達は萬華宮に勤める医官と官吏であること。

 狄から来た、亞妃と呼ばれる後宮妃が心を塞いでいるということ。

 そのため、生国である狄で彼女の心を癒やす香りを探しに来たこと。

 そして、自分達は一切の敵意や害意を持っていないことを、一つずつ丁寧に説明した。

 その間、大于は太い腕を組んで時折思案に声を漏らしながらも、最後まで口を挟まずに聞いてくれていた。

 全てを聞き終わった大于は「なるほどな」と呟くと、山なりになっていた口元を緩め、手を打った。


「亞妃……な。事情は理解した」


 大于の予想外に好意的な反応に、「じゃあ」と月英が明るい声を出した。

 しかし、大于は「だが」と語気を強め、言葉に続きがあることを示す。


「お主達を解放するわけにはいかん。その身柄は、もう暫く我が部族で預からせてもらおう。お主達を理解はしたが、全てを信じたわけではないからな」


 三人の表情に緊張が走った。


「この白土ツァガンには我らろう族だけではく、かん族やちょうしん族など、いくつもの部族が住んでいる。お主達を解放して、他の部族に迷惑をかける結果となってしまっては堪らん」

「迷惑なんて掛けませんよ」


 月英が不服を口先に表わすが、大于は首を横に振った。


「互いを知らないのだ、それくらいの警戒は残すさ。お主達の処遇についてはこちらで話し合わせてもらう。私一人で決定を下すわけにはいかんからな。それまでは部族の中を歩き回るくらいの自由は与えよう」


 警戒はすると言われた割りには、随分とおおらかな拘束で、三人は安堵に胸を撫で下ろした。

 しかし、大于の「ただし」という言葉で再び、背筋に緊張を走らせることになる。


「少しでも怪しい動きを見せれば……分かっているな?」


 向けられた視線は、入り口からの逆光の中でも、ビリと雷光のような光を走らせていた。

 三人は千切れんばかりに首を縦に振った。

 大于は満足げに頷くと、緊張感を引き連れて天幕から出て行ってしまった。

 すぐにその背を追うようにして、天幕の柱よろしく直立していた男達も出て行く。残ったのは、恐らく見張りのためと思われる若手の男が数人。


「――っふぅ、ひとまずは助かったわね」


 気を張っていたのだろう、春廷は倒れるようにして後ろに手をついた。

 万里も疲れたように、胡坐を組んだ足の中に溜め息を落としている。


「にしても、帰す気はなさそうだな――――ってお前、何やってんだ?」


 万里が隣の月英を見れば、その手元には、いつの間にか乳鉢やら白磁瓶やらがずらりと並べられている。


「……いや、本当に何やってんだよ」

「自由になったことだし、ちょーっとお試しを……」


 月英は、ガチャガチャと騒がしく作業を始めた。

 月英は布袋から取り出した草を乳鉢ですり潰し、そこに白磁瓶の中身を垂らす。さらりとした透明の液体が、すり潰した草を浸すほどに注がれる。


「月英、それは精油なの? 香りがないようだけど」

「今入れたやつは、ただの杏油。杏の種を絞って作ったんだ」


 比較的杏は容易に手に入るし、その種からできた油は無色無臭で、実に使い勝手が良い。


「肌に良い成分がたくさん入ってるし、浸透もしやすい。例えば、按摩の時とかに使ったりすると、肌の摩擦も減って、同時に肌荒れも防いでくれるから丁度良いんじゃないかな」

「なるほど、按摩科の医官に教えるわ。それにしても、それって精油よね? いつもと作り方が違うけれど……すごく簡単だわ」

「これは精油じゃないよ。さすがにここで精油造りなんてできないし」


 そうだなあ、と月英は手を止め言葉を探す。


「精油は香りもするし効能もあるけど、これは香りだけをうつした簡易芳香油ってところかな。植物の持つ効能は一切ないよ! ただ実験的に、さっき取ってきた草がどんな香りか試してるだけ」

「へえ、そんなのもあるのね」


 月英の解説と手際の良さに、見張りの男達もいつの間にか剣から手を離していた。鼻の下と一緒に首を伸ばして、興味津々な眼差しで覗き込んでいる。

 月英は油の中で再び草をすり潰す。

 次第に透明に草の色がうつり、鮮やかな若菜色になる。


「あとはこれを絞って、出てきた油をいつも通りに香炉台で焚けば……」


 香炉台をいつものように手早く組み立て火を灯す。上段の小皿には、先程絞った若菜色の油が入れられている。

 次第に皿が熱せられ、油も温まってくる。


「さて、あの草はどんな匂いか――」

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