3-5 せーの!

 宮廷で孫二高が高らかな笑い声を上げている頃、月英達一行はとても笑えない事態に陥っていた。

 円形の天幕の中、月英達は後ろ手に縛られ、地面に膝を折らされていた。


「嘘だろ……初っぱなからこれかよ……」


 天幕の中には物々しい空気が満ちている。

 壁面に沿うように、月英達をぐるりと取り囲む男達は、皆厳めしい顔をして睨みを利かせていた。彼らの目は『目的は何だ』と言っている。


「おい、オマエのせいだからな」


 万里に肘で横っ腹をつつかれ、ひそひそ声で責められる月英。


「はあ!? それって僕のせい!? 僕が、ふらふらしながら草を採集しまくるっていう奇行を繰り返してたから捕まったって言いたいの!?」

「全面的にその通りだろうがよ」

「確かにね! 全面的に謝罪するよ、ごめんねっ!」

「情緒ぐっちゃぐちゃだな、オマエ」


 仕方ない。

 彼の言うとおり、まさか萬華国を出てやっとこれから、という初手で最悪の事態に陥るとは誰も思うまい。


「ワタシもちょっと浮かれちゃってたわ。それにしても、あの距離からワタシ達を見つけるだなんて、狄の人達ってワタシ達の想像とはかけ離れてるものね」


 春廷達から視認できたのは、細い土煙のみだ。その先の騎馬群の陰など、一切捉えられなかった。恐らく動体視力が萬華の者と比べ、圧倒的に良いのだろう。

 春廷は目だけで周囲の様子を窺った。

 住居も、身に纏う着物もまるで異なっている。

 仮設幕舎のような天幕に、男達が裘の下に纏う着物は短袍にちょうと、全てが動きやすいことを前提に作られている。

 遊牧民とは聞いていたが、実際にこうして目の当たりにすると、扉一枚隔てただけだというのに、はっきりと『異国』なのだと伝わってくる。

 しかも全員が腰やに剣を下げており、恐らく全員が武官並みの実力なのだろう。

 隙を突いて逃げるべきかとも考えたが、縛られた状況では現実的ではない。であれば交渉を、とも考えたがこちらは交渉材料を持たない。

 春廷はチラと隣の月英と万里を見遣った。

 まだ、ぎゃあぎゃあと言い合いをしている。

 ここは年長者たる自分がなんとかしなければ、と春廷が思いあぐねていた時、取り囲んでいた男達が空気を変えた。


大干ダルグ!」


 誰かが、天幕の入り口に立った者にそう呼び掛ける。

 次の瞬間、呼び掛けに応えるかのように大于と呼ばれた者が入ってきたのだが、その姿に三人は思わず息を呑んでしまった。

 天にそびえる岩山。

 お伽話から出てきたような大男。

 熊。

 それぞれが、最初に大于に抱いた印象である。

 真っ黒な裘を羽織った男は、何枚も襟を重ねた派手な着物の上からでもガタイの良さが分かるほどに逞しかった。太医院でガタイが良いと言われる豪亮でも、彼の隣に立てばたちまち子供になるだろう。

 顔を囲む髭は黒々とし、毛皮でできた帽子の下からは、太く編まれた三つ編みが垂れ下がる。

 実に、原始的なおすを感じさせる男だった。

 周りの男達からの様子から見るに、恐らくはこの部族の長なのだろう。


「何者だ」


 大于の声は、身体に見合った沈むように重いものだった。


「まあ、萬華のせきの近くで見つけたというからな、恐らくは萬華の者だろうが」


 彼が口を開くたびに、空気だけでなく地面までもが震えるようであった。

 長靴ちょうかに包まれた太い足を踏み出し大于が月英達に迫れば、一瞬にして空気が張り詰める。

 固そうな顎髭を指でなぞりながら腰を折り、端から一人一人をまじまじと見つめる大于。彫りが深く、顔に落ちる陰影が濃いため、ただ見られているだけだというのにまるで睨まれているような威圧感がある。


「目的は何だ? ん?」


 春廷に向いていた大于の視線が隣の月英へと向けられれば、大于の片目が細くなる。

 しかし、彼は月英の持つ異色には言及せずに身を離す。


「言え。言わねば、お主らは正体不明の密偵として、こちらで相応の処理をすることになるが、構わんのだな」


 頭上から落とされる視線と声の重圧。

 春廷は震えそうになるのを、奥歯を強く噛み締めて耐える。

 今、春廷の頭の中では、様々な選択肢が代わる代わる浮かんでは消えを繰り返していた。

 亞妃のことを話すべきか。

 しかし、たった一人の後宮妃に手こずっていると知られれば、萬華国全体が侮られてしまう。

 開国したばかりの微妙な時期である。

 国内の者達もそうだが、今、周辺諸国こそ萬華国の出方を慎重に窺っていることだろう。その中で下手な印象を抱かせれば、後々の外交にも響きかねない。

 だが目の前の男は、適当な嘘がつき通せるような相手ではないことは、醸し出される雰囲気から痛いほどに分かる。全身に襲い掛かる圧は、肌の薄皮一枚を剣先でなぞられているかのようにヒリつくものだった。

 だからこそ春廷は、ここは当初の計画通り商人と誤魔化し通すべきと判断した。

 そのための問答も旅路の途中で三人で何度も練習してきた。

 完璧な真実ではないが、事実には近い。

 春廷は横目で月英と万里の様子を窺った。

 視線に気付いた二人も、その目配せから春廷の意思を汲み取ったようで、目で頷き返す。

 緊張に貼り付いていた春廷の口が開く。


「実はワタシ達は――」

「亞妃様のためにお花を摘みに来ました!」

「月英ぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

「オマエェェェェェェッ!?」


 実にハキハキとした発言であった。

 春廷の台詞を遮って吐かれた月英の言葉に春廷と万里は叫声を上げ、真ん中の月英に驚愕の目を向けた。


「月英!? 嘘でしょ、アンタしっかり頷いてたわよね!? さも分かってますみたいな顔して!」

「今までのは何だと思ってんだよ!? いや、『ちゃんと言えた』みたいな顔してんじゃねえよ! バカなのか? バカなんだな!?」

「え、いや……『一緒に言うぞ』の合図じゃ……」

「お遊戯会なのっ!?」

「バカじゃん!」


 両側から激しく責め立てられる月英。

 戦々恐々として「ご、ごめんよ」と口にするが、その表情は事態の深刻さがまだ理解できていない困惑顔。

 更に目を血走らせた春兄弟が、唾を飛ばさん勢いで月英に説教する。

 大于は、月英の「花を摘みに」という発言を『何かの符牒か』と一瞬警戒を走らせたが、目の前で勝手に繰り広げられるお説教劇を見れば、警戒心よりも同情心のほうがわいた。

 どちらに対する同情かは、気の毒そうに下げられた大于の眉を見れば、言わずもがなであった。


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