3-2 こうなりますよね~

「いや、それは……ええっと……」



 ――一番安全だから、なんて言えないよなあ……。


 下民ほど、隣人を気にしない者はいない。

 皆、自分が生きることに必死で、誰やそれやの事情など考えもしないし、気にもしない。それに大抵、ああいう所に流れてくるのはワケありばかりだ。小婆はやや例外的だが。

 下民区の中では会話はしても、詮索はしないのが暗黙の了解となっている。

 さすがに目は、王宮の外では以前のようにボサボサの前髪で隠しているが。いくら開国したからと言っても、急に碧い瞳が現れれば皆に余計な混乱を招いてしまう。

 しかしそれ以外のこと――月英が医官服を着て歩いていても、多少着るものが良くなったな、くらいの認識でいてくれるありがたい場所なのだ。

 ましてや、性別など一々気にする者もいない。

 下手に平民区に移って、隣人関係で頭を悩ませたり、官舎で常に人の目を気にしたりして生活するより、よっぽど安全であった。


「贅沢に慣れなくて貧乏の方が安心するっていうか……ほら、慣れ親しんだ場所の方が精神にも良いし!」


 苦しい言い訳ではあったが、春兄弟はどうやらそれで納得してくれたようだ。二人の顔は、『普通の者ならばあり得ないが、月英ならあり得る』と言っていた。失礼な。


「もうっ、僕の生活具合なんてどうでも良いでしょ! ササッと目的を達成させて、スルッと帰るよ!」


 月英は逃げるようにして、目の前に広がる荒涼とした大地へと駆け出した。


「お、おい! ちょっと待てって!?」

「ちょっと月英、落ち着きなさいな!」


 慌てて春兄弟も月英を追う。

 先に追いついた万里が、月英の行動に首を傾げた。

 しゃがんで何かしている月英の手元を、背後から恐る恐る覗き込めば、月英は草むしりをしていた。

 何やってんだ、と万里の表情が渋くなる。


「こんなとこに来てまで草むしりかよ……そういや、オマエが狄に来た目的って何なんだ?」


「んー?」と生返事をしながら、月英はあちらこちらで、生えている植物を片っ端から引っこ抜くということを繰り返していた。

 草や謎の花の蕾を摘んでは、用意した布袋に次々と入れていく月英。


「僕は、狄の香りを持って帰りたいんだよ」

「狄の香り?」


 万里は片眉をへこませ、語尾を上げる。

 どういうことだよ、と首を捻る。


「亞妃様が言ってた『甘く澄んだ香り』ってのは、多分狄の香りだと思うんだよね。でも、僕は狄にどんな植物があるかも分からないし、どんな香りが存在するのかも分からない。だから、取り敢えず手当たり次第に植物を持って帰ろうと思ってさ」

「節操なしだな」

「残念ながら、節操なしは僕一人じゃないんだよねー」


 月英は視線をチラと、もう一人の節操なしに向ける。その先には月英と同じく、背中を丸くして地面の草を吟味する男――春廷の姿が。

 話題の矛先が自分に移ったのを察した春廷は、「あら」と瞬きを返す。


「お、おほほほ、ワタシのはついでよ。ほ、ほら、もしかしたら薬草に使えるものもあるかもしれないし、ね」


 春廷は万里の視線にも気付いたのだろう。

 途端にあたふたと視線を惑わせ、「げ、月英のついでよ」と下手な愛想笑いでしのいでいた。

 それを受けた万里も「そ、そうかよ」と、ぎこちなく言葉を返していた。

 春兄弟の間にギクシャクとした空気が流れる。


 ――ふくくっ! 気にしてる気にしてる。


 あえて助け船など出さずに、黙々と月英は草むしりを続ける。

 これは、二人で解決してもらわねばならないのだから。互いが互いの想いに気付かなければ意味がない。


「にしても、思った以上にここら一帯は植物が少ないなあ」

「確かに。植物ってより雑草って感じだしな」


 万里は引っこ抜いた草を指先でもてあそぶと、興味なさそうに地面へと放った。

 月英が腰を上げて遠望してみるも、広がる大地は荒涼としたものばかり。あるのは、何の変哲もない雑草と、ゴロゴロとした大小様々な石のみ。

 遠くには木の影も見えるのだが、遠すぎて何の木かも分からない上に、遠近感が掴めない。


「できるだけ穿子関からは離れたくなかったけど……もう少し奥まで行くしかなさそうね」

「そうだね、もう少し行ってみようか。木が見えてる辺りなら、もう少し植物も繁ってそうだし……でも、取り敢えずはここにある草も詰めとこ」


 いそいそと、手当たり次第に草を詰め終え立ち上がった時、月英は「ん?」と目を細めた。


「え、なに? あの土煙……」


 月英の胡乱な声に、春兄弟も立ち上がって大地の果てを見る。

 風にたなびく、長細いもうもうとした黄土色の雲は土煙ではなかろうか。

 ドウとした重低音が、耳ではなく足の裏から響いて聞こえる。

 春兄弟が口々に「ヤバイ」ともらした次の瞬間、土煙の進路が直角に曲がった。そのまま、距離はどんどんと縮んでいく。

 重低音が馬蹄の群音だと気付いたときには手遅れだった。


「あ」っという間もなく、月英達は騎馬群に包囲されてしまった。

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