2-12 猫を見たら即追放刑発令中
燕明に亞妃の件を「一段落はした」と報告すれば、彼は「それは良かった」と頷いた。
「ただ、どうせお前は納得していないんだろう」
「はは、バレました?」
「入ってきた時から分かっておったわ。口先がこーんななってたからな」
燕明は「こーんな」と、顎に乗せた人差し指で唇を押し上げてみせた。
皇帝らしからぬとぼけた表情に、月英の尖っていた唇も弧を描く。
「それで、今度は俺達をどう驚かすつもりだ?」
「今度はって……僕、別に驚かすような事はしてませんよ」
「無自覚か。お前が行く先々では、なぜか絶対問題が起こるんだよな」
ここ数ヶ月であった問題とやらを、燕明が「あれもあったな、あ、これもだった」などと言いながら指を折っていく。既に両手では足りず二巡目にはいっている。
果たして、自分はどれだけ問題とやらを起こしていたのか。丸きり自覚はないが。
「月英殿の行動は、私でも予想できませんからね。まあ、そこが面白いのですが」
藩季の言葉に、同感だと燕明も深く頷いた。
失礼な。人を問題製造機みたいに。
「私の予想ですと、今度は、薬草園の薬草を全部引っこ抜いて亞妃様に献上、くらいはあるかと」
藩季の予想に、燕明が縦にした手を大きく振る。
「いやいや甘いな、相手は月英だぞ。きっと、百華園のほかの宮の花を根こそぎ奪って、芙蓉宮に植え替えるくらいはするだろうさ」
したり顔で言っているが、人を何だと思っているのか。今度から精油の匂いを臭いものにしてやろうか。
月英は、そんな事はしませんよ、とまだ続いている二人の大喜利を、手を打って止めた。
「じゃあ、正解は何なんだ?」
興味に目を輝かせる燕明。その目は、今度は何を見せてくれるのか、と期待の色が滲む。隣の藩季も、細い目からは感情が読み取れないが、そこはかとなく楽しそうである。
しかし月英の答えは、そんな二人の予想の枠を大幅に超える。
「ちょっと、狄に行ってくるだけですってば」
燕明と藩季は、顎が外れたように、あんぐりと大きく口を開いた。
「何も、あそこまで驚かなくても……開国したんだからもう自由でしょ」
太医院の医薬房裏で、月英は狄に行くと言ったときの二人の反応を思い出し、肩を竦めた。
『市場と同じノリで言うな!』やら『驚きの上限を軽々と超えてこないでくれ』などと色々言われたが、それほどに驚くことだろうか。
「意味が分からないよねえ、猫太郎」
最終的には、同行者を二人つけることを条件に、狄への旅の許可が出た。
『とても一人では行かせられない。行ったら俺が死ぬ、多分心労で』と懇願されれば、受け入れざるを得なかった。
二人というのは、大所帯で行くと目立つ上に、狄を刺激しかねないという配慮からである。
いくら開国し、部族の姫を後宮に入れたとて、これまで属国扱いしてきたのは事実。萬華国を良く思っていない者は、当然いるだろうという事だった。
「二人だしなあ……一人はやっぱり衛生要員として医官がほしいよねえ。だとすると豪亮かなあ……あと一人は、さっと行って帰ってくるだけだし、目立たない人が良いよね」
「あら、また猫太郎に構って」
猫太郎の背をぐるぐる撫でながら、人選に頭を悩ませていると頭上から声が降ってくる。
「やあ、春廷」
すっかりお決まりとなってしまった、春廷の登場場所――医薬房の円窓。そこから、これまたいつもと同じように、春廷は身を乗り出し月英のつむじを見下ろしている。
「すっかり友達ね、あんた達」
まあね、と嬉しそうに月英は猫太郎の腹をくすぐれば、猫太郎は『仕方ないな』といった様子でゴロリと腹を見せて寝転がった。
「うひゃあー! 可愛いなあ、もうっ!」
猫太郎の腹に顔を埋め、ぐりぐりと顔を押し付ける月英を、猫太郎も春廷も苦笑と共に見守っていた。
「仲が良いのは結構だけど、猫太郎にも猫の友達ができたら良いのにねえ」
「確かに、ここら辺では猫太郎くらいしか猫は見ないよね」
「まあ、基本的に外朝だと猫がいたら衛士に追い出されるし、内朝にある太医院まで辿り着けないんじゃないかしら」
どうやら以前までは、外朝でも猫の往来は好きにさせていたらしいが、書庫に入り込んだ猫が書棚を荒らしてからは、見たら即追放刑が発令されているという。
時折外朝では、逃げる猫と衛士との大捕物が見られるらしい。
「それで月英、なにがやっぱり豪亮なの? 一人でぶつくさ言ってたみたいだけど」
「ああ、そうそう。実は狄に行こうと思ってて、それで同行者を探してるんだよね。豪亮なら力あるし、遠くへの旅も大丈夫かなって――」
「狄!? ね、ねえ、それワタシが行っても良いかしら!」
初めて見る食いぎみの春廷の反応に、月英も思わず腰が退ける。
「――っい、良いけど……どうしたの、春廷。そんなに狄に行ってみたかったの?」
「この国の外には、まだ見ぬ薬草や医術があるかも知れないでしょ! こんな機会滅多にないわよ!」
今にも円窓を乗り越えてきそうな勢いだ。その目はキラキラと輝いて、まさに熱望というに相応しい。
「そういう月英はどうしてなの?」
「亞妃様に笑ってほしいから、かな」
「そういえば、亞妃様の治療係だったわね。なるほど、行き詰まってるのね」
春廷はすぐに、月英の置かれている状況を察したようだった。
「まあ、そんな感じ。どうも昔のことが引っ掛かってるみたいでさ、そこをどうにか
「呈太医でも手こずってたらしいし、亞妃様のそれはよほど難しいみたいね」
「でも、僕は諦めたくないからさ」
間を置かずに即答する月英に、春廷の曇っていた表情も瞬時に晴れ渡る。
「ふふ、月英らしいわ。諦めずしての香療術ってとこかしら」
「それいいね」
「さて、じゃあワタシも月英に負けてらんないわ。進んでこその医術ですものね」
春廷は「用意しなきゃ」と声と身体とを跳ねさせながら、房の中へと戻って行った。
「春廷が行くってなると、あと一人だけど……」
ちら、と隣の猫太郎を眺めれば、脳裏に別の生き物が浮かんだ。
「あ…………犬」
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