終-1 萬華宮の男装香療師は、
「良いんですか? 勝手にこんな事して……また怒られますよ?」
「知るか。勝手に居なくなったあいつが悪い」
「勝手にって……期限が来たので正当な理由ではありますよ」
「うるさい黙れ。正論など聞き飽きた。あいつが勝手にやるなら、俺も勝手にやるまでだ」
「どこの暴君ですか」
「とか言いつつ、お前も二つ返事で了承しただろ。……知ってるぞ。お前、
「人違いです」
「その後、
「人違いです」
「そしてそれを孫二尚書に見つかって――」
「あの爺は抹殺します」
「ほら、お前じゃないか」
「…………」
「まあ、見てろ。大義名分はこちらにあるからな」
男はクツクツと喉を鳴らし、口角をつり上げて笑った。
「このまま逃がすものか」
仄暗さ漂う男のその笑いに、側に控えていた男は「ご愁傷様」と、狙われた相手へ心の中で手を合せた。
◆◆◆
さて、元の生活に戻ってどれくらい経っただろうか。
呆としている内にいつしか年が明けていた。家の外からは、下民区にそぐわない賑やかな声が聞こえてくる。いつもは頭を重くしている下民でも、新年の到来はやはり嬉しいものなのだろう。
しかも、それが新皇帝が立って初めての新年ともなれば。
月英が萬華宮を去った翌日――冬至の日、宮祀儀礼とはうって変わり、天の祭祀と共に新皇帝の即位式がつつがなく執り行われた。
約半年の空位を経て、晴れて萬華国に新たな皇帝が立った。
その名は――第十五代萬華国皇帝「華燕明」。
肩書きだけで随分と口が疲れる長ったらしい名だ。
「本当に殿下から陛下になったんだなあ……」
床に強いた
「今頃、宮廷は新年の祝賀で忙しいんだろうな。美味しい料理も沢山出てるんだろうなぁ」
月英は宮廷での食事を思い出しゴクリと喉を鳴らす。
手に持っていた、表面がカリカリになり始めた饅頭を少しだけ口に入れる。こんな乾いたのを普通の饅頭の様に頬張れば、危うく口内の水分全部持っていかれて窒息してしまう。死因が饅頭とか笑えない。
饅頭をしっかりと口内で咀嚼し飲み干せば、いつか食べた草饅頭の味が思い出された。
「ほかほかして柔らかくて、美味しかったな」
そう呟きながら、大して美味しくもない白い饅頭を、また小さく囓った。
今の月英は、以前の様に下民の暮らしに身をやつさねばならぬ程、貧しくはない。三月の宮廷医官として蓄えた給金がまだ残っている。平民並みの生活をしても、ひとり身の月英ならば半年は何もせずに暮らせる程だ。
しかし月英は生活を変えようとはしなかった。いや、正確には変える事が出来なかったのだ。
萬華宮から去った日――城門を背に、月英がとぼとぼとした足取りで市場を通り過ぎようとしていた時、偶然あの草饅頭を売っている店に出くわした。丁度夕餉時という事もあって、月英はそれを買って帰ったのだが、帰って口にしてみると、まるで美味しいと感じなかった。熱々でふっくらとして、綺麗な緑翠色の饅頭は、あの時三人で頬張ったのと全く一緒だ。
それなのに、全くこれっぽっちも美味くは感じなかった。ただの草味のする饅頭だった。ただ腹が膨れるだけならば、売れ残りの乾いた饅頭でも変わりなかった。
それから月英は、気のきいたものは買っていない。以前と変わったといえば、着る物が綺麗になったくらいだ。しかしそれも自分で購ったものではなく、宮廷勤めをはじめる時に身なりくらいは、と藩季から貰ったもの。
医官服はもう着られないため、正直有りがたかった。
月英は最後の一口を咀嚼し終えると、さて、と身体を起こした。
「年も明けたし、この先の事でも考えようかな。取り急ぎは仕事だな」
もう仕事を取ってくる養父は居ない。
相変わらず月英の目元は分厚い前髪に覆われていたし、姿も男のままだ。完全に見た目は不審者だが、それでも何事もやってみなければ分からないという事は学んだ。
「とりあえず、香療術を色んな人に知ってもらいたいから、香療術を使った仕事が良いんだけど……」
だとすれば花楼が一番最適だが――
「あの花楼に行くのはちょっと気まずいよなぁ……」
ある意味自分のせいで、妓女は床でひっくり返った
「ま、ここで考えても仕方ないか」
膝を叩けばスパンと小気味良い音が鳴った。そうして気分を新たに、月英が家の戸を開けた瞬間――
「え?」
物々しい男達に拉致された。
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