大御所の台所役
こやまここ
第1話
戦乱の世も終わり、代わり映えしなくなった日々、御殿を尻目に屋外と交通のある食材置き場にて一人の男が小さな神棚に向けて手をすり合わせていた。
家康を満足させられる食事を出せないでいた台所役の勘次郎は、次回の食事にて家康の舌を唸らせることが叶わなければ台所役をお役御免にすると言い渡され、窮地に陥っていた。
なんとか状況を打破したいと思っていた勘次郎がクビになりたくないと台所の神棚に祈りを捧げていると、そこへ後世より現れし救世主(?)の勘次郎の子孫、隼が四百年の時を超えてなぜか現れた。
「というわけでこの際未来人でも宇宙人でも何でもいい、せっかく元服してこの駿府館の台所役になれたのじゃ。まだクビになりとうない、ワシになにか調理の策をくれ、頼む!」
突然江戸時代初期に現れて状況も分からない隼に対し、勘次郎が両手を合わせて懇願していた。両者見た目の年齢はさほど変わらない。
「そんなこと言われてもなあ、先祖の爺さんだか知らないが俺はまだ学生だし料理について何も知らないぞ。悪いけど帰らせてくれ」
「何じゃと! お前誰のおかげで生まれて来れたと思っておるのじゃ! 生まれて来たことを後悔させてやるぞ!」
「開始速攻こっちに包丁向けるな。やたら沸点低い物騒な爺ちゃんだな。存在が消えるのは嫌だから適当にやるしかないのか」
「何でもいい、そうじゃ、お前が知っててワシが知らん料理とかなら大御所も驚くに違いない。とにかくお前を紹介する。付いて参れ、くれぐーれも粗相はするなよ」
「ああ。俺はアドリブに強いんだ。礼儀の作法とか何も知らないけど、適当に大河ドラマのマネしときゃいいんだろ」
▼
畳のほどよく香る駿府館の大広間にて隼と勘次郎が控えていた。じきに足音が近づいて来て、初老の家康が一つ高くなっている向かいの中央に上がり座した。
「双方表を上げよ。聞いたぞ勘次郎。助言役を登用したのだとか。作り手がそちであれば手段は問わぬ。言いつけ通り私の満足できる料理を出してみせい。その妙な着物の者がそうであるか?」
家康が催促する。
「ははっ、これなるは孫の孫の孫飛んで孫の隼にございます。(ほれ隼、名乗って抱負を述べい!)」
「隼でございます。必ずや大御所様に辛酸を舐めさせて御覧に入れます」
「ん?」
「ししし新味に自信があると申しております!」
「そうか。しかし近頃の私は少々口うるさいぞ。健康志向に目覚め、決して食事も美味のみを探求せず、薬ですらも自ら調剤し、不死を思わせる富士が見えるこの駿府館に居を構えるほどの拘りぶり、そちに代役が務まるかの?」
「何の、煮え湯を飲ませてみせましょう」
「ん?」
「さ、早速準備にとりかかりますのでこれにて!」
勘次郎は隼の襟首を掴んで逃げるように広間を去った。
▼
「ふぅ、何とかなったな爺ちゃん。不審者扱いされずに済んだ」
「お前ふざけてるのか? クビになる前に首が飛ぶわ。って何をしきりに集めておるのじゃ」
台所に到着した隼と勘次郎は早速準備に取り掛かっていた。隼が周辺に配備されている食材を漁り始める。管理は残念ながら土壌にそのまま放り出されたような現代では衛生的に怪しいものばかりだ。
「ああ、考えたんだけど、家康も爺さんみたいだから、家康が活躍した頃を思い出すような料理はどうだ? 元気が出て好感度アップだろう。なんか赤い活躍してたの居たじゃないか。真田だったか?」
「その赤い真田は敵じゃ適当申すな。それでこの大量の唐辛子を? なるほど、赤と言えば伊井の赤備えじゃ。それを演出しようと言うわけじゃな、考えたな!」
「熱さで勝負だな。食感のアップダウンのインパクトもあるほうがいい。よし、氷も使おう」
「いんぱ? 氷か、貴重だぞ。氷を使って失敗したとあっては叱責は免れんぞ」
▼
「ひとまず完成したな爺ちゃん。とりあえず細かく分けて三品だ」
目の前には完成された3つの皿があった。普通のほうれんそうのひたしに、灼熱の真っ赤な茶碗蒸しの中には蒲鉾とあと適当に何かと、氷を敷いてキンキンに冷やしたほどよくもちもち感を出ているわらび餅にきな粉が無かったので思い付きでたんぽぽの花びらを降り掛けておいた。
「量的に少ない気がするけど」
「そうか? 普通の量に見えるがお前はそんなに普段食うのか? にしてもううむ、お前の言うがままに作ってはみたが、果たしてこれでよいのか。この茶碗蒸しとやらは画期的じゃ。そのまま出す方が良いのではないか?」
「茶碗蒸しまだ無い時代なのか? おっと、冷める前に家康を呼んで食わせよう」
「おい、間違っても名前でなど呼ぶなよ! 大御所の前でふざけた態度はするなよ!」
▼
時刻は昼頃。再び畳の広間にて隼と勘次郎が控えていると、じきに家康が現れた。
「双方苦労である。勘次郎、約束通り、此度で私の舌を唸らせることが叶えば台所役として以後も働きを与えよう。出来ねばお役御免である。よいな」
「ははっ!」
「では早速食させてもらう。ふむ、真ん中は未だ見ぬ物じゃな。これが後世からもたらされし料理というわけか。名はあるのか」
「はい。今回持って来たのは、名付けて”大御所ほうれんそうのひたし煮え湯茶碗蒸し辛酸わらび餅”です」
隼が答えつつ勘次郎が恐縮しながら家康の前まで行き配膳する。
「”大御所ほうれんそうのひたしニエユ茶碗蒸しシンサンわらび餅か”。よかろう」
家康が膳を前に早速箸を持つ。同時に勘次郎が切り出した。
「恐れながら、此度の料理には気付けとして、大御所様にかつて若かりし頃の戦の勝利の喜びの味を思い出しつつ楽しんで頂こうと、それぞれに意味を込めさせて頂きました。この隼が解説いたします」
「はい。まずは手前から召し上がってください」
「面白い。隼よ、この徳川家康に戦を説くか。では手前、このほうれんそうのひたしから。……ふむ、一見見た目も味も普通に思えるが?」
「後世ではこのほうれんそうに戦の極意が秘められたのです。それすなわち、報・連・相」
「ほほう、してその極意の意味は」
「報は報告、連は連絡、相は…、(なんだっけ…)相続です」
「報告、連絡、相続。なるほど、戦において情報は何より大事。報告は縦の連携、そして連絡は横の連携、そして相続は負けて死んだ時に誰に遺産を譲ろうかな…ってそんな訳あるか! なんじゃ相続とは! 縁起が悪いではないか!」
「ひえ」 (ひいいいいい!)
隼が肩をすくめ勘次郎は顔面蒼白になる。
「もうよい、次じゃ。このにえゆ茶碗蒸しでよいのじゃな?」
家康が茶碗蒸しを手に取り蓋を開ける。真っ赤な中身が垣間見えた。
「数々の武功を挙げた、かの赤備えをイメージしました」
「忌め痔? うむ、よく蒸しておる。真紅の蒸し物か、匂いは良いではないか。どれ味の方はっ熱っ辛ぶひょほおおおおお!?」
「お、大御所!」
家康が口から火炎を吹くが如く発狂する。
「な、なんだ? 爺ちゃんどんだけ唐辛子入れたんだ?」
「お、お前が真っ赤になるまで入れよと言うから!」
「全部? 表面だけでいいだろ……」
「ふ火いいいい風林火山!? み、見える! 赤備えが、あれは…山県昌景えええ!? や、やめろおおおお! 来るなああ! 撤退じゃああああ!」
「お、大御所ー! お気を確かに!」
▼
「も、申し訳ございませえええん」
「舌が……、全く、煮え湯を飲まされた三方原が甦ったわ、こんなことに貴重な氷を使わせおって」
「すみません脱糞を思い出させちゃって」
「なぜそちがそれを知っておる! ……ったく次じゃ、最後はシンサンわらび餅か。丁度氷で冷えておって口直しに良いわ」
氷の
「茶碗蒸しの熱々の天辺から、冷え冷えのわらび餅へ、上から下まで下って行くようなクーダウンの甘味が楽しめます」
「狂うだ? 時折り意味の分からぬ言葉を発するの。では、どれどれ…ってしょっぱおおおおお!?」
「お、大御所!?」
家康は
「しょっぱい? なぜじゃ、そんなもの使っておらんぞ!」
「あ、砂糖と塩間違えたわ、定番だな。やらざるを得ない」
「何をやっとるかああああ!」
「この感覚はあああ!
「これが謙信公の敵に塩を送る。しかし一説には塩はあげたのでなく物価高騰に付け込み売りつけたのではないかという逸話も。経済制裁は今に始まったことではなく、以前から戦の常套手段であったんです」
「何ごちゃごちゃと意味の分からんことを言っておるのじゃ隼!」
「ヤベエ」
▼
「勘次郎よ、覚悟は出来ているのであろうの?」
食後、膳が下げられた家康の前で隼と勘次郎は平伏していた。
(終わりじゃあああ! 御免どころか打ち首じゃあああ!)
「すまねえ爺ちゃん。やっぱ料理とか無理だったわ」
「全く、楽しむどころかとんだとばっちりじゃ。宣告通り、今日でお役御免である」
「面目次第もございませぬううう」
「と、言いたいところだが……」
?
「約束は私の舌を唸らせること。力業ではあったが唸ったことは事実。そこは認めよう。よって猶予を与える。知恵は得たのであろう。今度は自力のみで作ってみせい」
「え、そ、そのような…、寛大な! あ、ありがたき幸せえええ! これ隼! お前も伏して礼を述べんか!」
「あ、ありがとうございます、じゃ、俺はこれにて……」
「待て隼」
「う」
そそくさと背を丸めて退室しようとした隼に家康から声がかかる。
「なんとなく薄幸そうなそちに、私から”徳”の一字を与える。不可思議な後世の料理とやらの体験の礼じゃ」
「な、なんと! 大御所から一字を賜るとは!」
「え、賜らんでも初めから俺にはその字があるんだが……」
こうして、隼は無事台所の神棚から現代に帰参したという。
大御所の台所役 こやまここ @kokoro887
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