波乗りと恋

彼は思ったより丁寧にレクチャーしてくれた。

パドリングのやり方から、バランスの取り方まで。全くの初心者の私がいきなり波に乗れるわけはないので、まずはサーフボードの上に座ることからだ。

簡単そうに見えても、やってみるとこれが意外と難しい。すぐにバランスを崩して、ひっくり返ってしまうボード。落ちて沈みそうになる度に、彼は私を海から引き上げてくれた。


何十回と繰り返すうちに、私を支える彼の腕が次第に私の命綱となっていった。

少し冷たい海水の中でつかまる彼の腕と胸は、頼もしかった。


幾度とない挑戦の末に、ようやくボードの上に私がまたがった時には、

二人とも思わず歓声をあげていた。

彼がいたずらっぽく、私の青いビキニのお尻を軽く叩く。

その拍子にバランスを崩し、また海の中へ落ちる私。

救い出された私は彼に馬乗りになると、仕返しにその肩を無理やり沈めてやった。不意をつかれた彼はホントに慌てて、それが可笑おかしくてお互いにひたすら爆笑していた。


なに、この映画みたいなシチュエーション。

BSで放送してるアメリカのティーンのドラマシーンみたいだ。

遠い国で本当に今の自分に起きていることなの?

私はにわかに信じられなかった。


そして、次の瞬間。


「君はきれいだ……」


彼から発せられた耳を疑うその言葉は、ほんとにまっすぐ私の心臓を射抜いた。

ああ。まんまと落ちてしまった。すっぽりと。

恋の穴に。


きれい? 違う。私はお世辞にも綺麗とか美人なタイプじゃない。

スレンダーというよりぽっちゃりだし、海水に何度も飲まれ、ウォータープルーフのマスカラもアイラインも落ちて、目元はきっとパンダ目になってる。


でも、例え嘘だとしても。たった一度でも、そうささやいてくれる男がいたことに、私は猛烈な幸福感に包まれた。

けど、とっさに何と言っていいかわからない。そこまでの英語力は私にはない。

だから目の前に浮かんでいる彼の姿そのままを口にした。


少し天然パーマっぽい金髪からこぼれ落ちる水滴。

この海と同じ大きくて深い青の瞳。近くでよく見ると青い虹彩こうさいをとりまく金色の輪が見える。どちらも私の身体にはない色。

高い鼻梁びりょう。少し口角が上がり気味の厚い唇。


「あなたこそ。ハンサムだよ」


それを聞いた彼はびっくりして照れまくっていた。

てっきり言われ慣れているのだろうと思った私は意外だった。

小っ恥ずかしくもストレートなその言葉が、思わず口からいて出たのは母国語でないからこそ、かもしれない。


私がボードの先頭にまたがり、彼が後ろで上半身だけ腹ばいになってぐ。タイミングを見て彼がボードの上に立ちがる。でもすぐにバランスを崩して二人して海水に落ちてしまう。

それを繰り返すうちに、ついにボードの上に立ち上がれるようになった。

そして、ボードに立つ時間が増えていったその時。


ついにそれは来た。

ボードに立ち上がった彼が、前に座る私の二の腕を掴む。素早く立ち上がるとものすごい勢いで波がボードを海岸へいっきに押しやる。遠くに見えていた岸辺に建つホテルの群れが、みるみる目前に迫ってきて怖いぐらい。

たぶん車と同じぐらいのスピード。時間にするとわずか3秒ぐらいだ。

気がつくと沖から砂浜近くまで着いていた。


興奮した私たちはキッズのようにハイタッチをし、そのままの勢いで思わずハグを交わしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る