俺はお笑い芸人には向いてない
宇部 松清
隣のトナリくん
「頼む、俺とお笑いコンビを組んでくれ!」
アポもなしに突然家を訪ねて来て、目の前でかなり完成度の高い土下座をしているのは、中学からの幼馴染みである
そういや幼馴染みって中学からでも使えるワードなのかな? 幼馴染み度としては少々弱くないか? やっぱり幼稚園からの付き合いくらいじゃないと駄目なんじゃなかろうか? だって最近の中学生って結構大人だぞ? それもう『幼い』とは言えないだろうって。
いや、そもそも幼馴染みってやつはそれこそ隣に住んでるとか、何ならカーテンを開けたらそいつの部屋が目の前で、うっかり着替えなんかも見ちゃったりして、キャーエッチ! 的なアレがあるやつをさすのではないか? いやいやいやいや、そもそもこいつ男なんだわ。何だ、キャーエッチ、って。着替えるならカーテン閉めろよ。馬鹿じゃねぇの。いや、違うな、俺が脳内で勝手にこいつの家を隣に配置してカーテンも閉めずに着替えさせたんだった。すまん、戸成。勝手にお前のパンツをよくわかんないアルファベット柄のトランクスと決めつけちゃって。どうしても最初に見たパンツのイメージが拭えないんだよ。だけどお前、高校の修学旅行の時はどぎつい蛍光カラーの迷彩柄のボクサーパンツだったもんな。精一杯おしゃれしたんだよな。わかるよ。でもあれさ、ウチの母ちゃんがレジ打ったやつなんだよな。
「トナリ君って、派手なパンツ履くのねぇ。しかもSよ? お尻、ちっちゃいのねぇ。羨ましいわぁ。アンタにも同じの買ってこようか? お母さん、社割きくから」
なぁ、お前にわかるか? 自分の母親から友人のパンツのディテールを聞かされる気持ち。しかも飯時に。さらにはお揃いのパンツを買われそうになるとか。飯時にだぞ?
地獄だわ、はっきり言って。これが女子ならセクハラとかなんだろうけど、男子だからってOKってもんでもないからな? 何らかの刑罰かと思ったわ。俺の罪は何なんだ。
まぁ、わかるわけないか、お前の母ちゃん営業職だもんな。息子の友人のパンツに縁なんてないよな。何だよパンツの縁って。ていうかお前もお前だよ。蛍光カラーの迷彩柄ってコンセプトは何なんだよ。目立ちたいのか、隠れたいのか、どっちなんだ。
だがこれもお前が戸成なのが悪いんだ。だってお前こういう書き出しで幼馴染みの名前が『戸成』だったら、そりゃあ隣に住んでるもんだと誰もが思っちゃうもんなんだよ。いいか、お前これが日常系ラブコメとかだったら絶対タイトルは『隣のトナリくん』とかになるからな? 最近そういうの多いから。そんな偶然そうそうねぇだろって思うかもしれないけど、お前ん家の隣に住んでる人は絶対言ってるぞ、「ウチのお隣さん、トナリさんっていうのよー」って。だからもう実質これは『隣のトナリくん』なんだよ。勝手に連載始めんな。
「いや、ごめん。俺、あんまりそういうの向いてないから無理だ」
そう言って断ると、戸成は、「まじかぁ」と言いながら座り直した。
「俺はさ、
「面白くなんかないよ。しゃべるのも得意じゃないしさ」
「そうか? お前絶対笑いのセンスあるって」
「ないよ、絶対。そういうのはさ、もっと面白いことが言えるやつを誘ってくれ」
「まぁ、無理強いは出来ないよなぁ。だけど俺はいつまでも待ってるからな」
「待つな」
ぴしゃりとそう言うと、「いやぁ手厳しい」とカラカラ笑った。
「まぁでもせっかくこっち来たんだし、飯でも行くか」
俺も戸成も実家住まいだから、あいつははるばるバスで二駅くらいの……スーパー? の、近くの……神社の裏の公民館……あれ本当に公民館だったか……? まぁ良い。とにかくまぁその辺りから来ているのだ。どちらかといえばこっちの方が飲食店は多いし、久しぶりに会ったんだから、飯くらいは良いだろう。
そう思ったのだが。
「いいや、今日はすぐ帰らないといけないんだ。実は俺、家を出ることになってさ」
「そうなのか?」
「そうなんだ、この後引っ越し業者さんが来ることになってて」
「何でそんな忙しい時に来るんだよ。ていうか、引っ越すって、お前学校は?」
「やめる。もともと単位もやばかったしさ。マジでお笑い芸人になりたくて、それで、そっちに集中しようかな、って」
「成る程な。そういうことなら仕方ないよな。コンビ組んでやることは出来ないけど、応援してるよ」
「ありがとう。でも俺、お前を諦めたわけじゃないから。絶対に口説き落としてみせる」
「諦めろ」
固い握手を交わし、何ならちょっとハグまでして、滲んだ涙を拭いつつ、戸成は出て行った。そうか、あいつはそこまで本気なんだ。よくよく考えたら『幼馴染み』ではあるけれども、そこまで(握手×ハグ×涙)の関係だったかな? とも思ったが、まぁ、友人であることには変わりないのだし、友人ならば夢を応援することだってそりゃあ吝かではない。
そう自身を納得させていたその数日後のことである。
家族が出払い、一人で家にいた土曜の午後である。ゲームをしながらだらだらしていたところにピンポン、とチャイムが鳴った。何だ、荷物が来るなんて聞いてないし、セールスか? そう思いながら玄関に出ると――、
「よぉ、向井」
戸成がいた。
手には食品用ラップを持っている。
「え? 何してんのお前」
「越してきた」
「は?」
「越してきた」
「いや、それはいま聞いたけど。は? どこに?」
そう尋ねると、戸成は、にぃ、と笑って親指で後ろをさした。
「お前ん家の向かいのアパート」
「は? はぁ?」
「というわけで、はい、これ」
「あ、ありがとう……? いや、そうじゃなくて」
「何だよ。お前ん家『チャワンラップ』じゃねぇの?」
「『チャワンラップ』じゃねぇよ。こんなのブルジョワジーが使うやつだろ」
「プロレタリアートでも使うだろ。俺ん家は昔から『チャワンラップ』なんだよ」
「いやもう、一旦『チャワンラップ』は良いや。それよりも何でお前が向かいに越してきたのかって話だろ」
「はぁ? だからこないだ言っただろ、大学をやめてお笑いに専念する、って」
「それは聞いたけど」
「だからそのためにお前を全力で落とすことに決めたんだ。ここならネタ合わせもしやすいし! なぁ、俺とコンビ組もうぜ!」
そう言って、がしりと両肩を掴まれる。しまった、『チャワンラップ』を受け取らなきゃ良かった。
「いや、諦めろって。断ったよな?」
「いいや、あんなのは序章に過ぎないんだ!」
「は? 序章ってなんだよ」
身体全体を震わせて戸成の手から逃れ、一歩下がる。すると戸成は全力の笑顔で言うのである。
「決まってんだろ、『向かいのムカイくん』だよ!」
「……は?」
「いいか、これはな、大学を中退した冴えない主人公である俺が、向かいに住む『ムカイくん』、つまりお前というお笑いクリーチャーの原石を口説き落としてコンビを組み、ゆくゆくはお笑い界のトップをとる、っていうサクセスストーリーなんだ」
「おい、勝手に連載始めんな」
「全365話!」
「長い!」
「何を言うか。お笑い界のトップを取るまでなんだから、これでも短いくらいだぞ? 何せ毎日更新のやつだからな」
「だとしたらお前一年で天下取る気かよ! 昨今のお笑いシーン舐めんな!」
思わず声を張り上げてしまい、しまった、ドア全開なんだった、と我に返る。落ち着け落ち着けと深呼吸を繰り返していると、目の前の戸成は満足げに目を細めている。
「うん、やっぱりお前はツッコミの才能があると思ってたんだ。俺の目に狂いはなかった」
「いやマジでやらないって。ばっちり狂ってるよ、お前の目は」
そう言って、戸成の身体をぐいぐいと押し、無理やりドアを閉める。『チャワンラップ』も返そうかと思ったが、向かいに越してきたのは本当なんだろうし、ご挨拶の品を突き返すのはさすがに礼に欠けるだろう。
しかし、まさかあいつも似たようなことを考えていたとは。確かに言われてみれば俺は『向井』であるわけだし、あいつが『隣のトナリくん』なら俺は『向かいのムカイくん』になるのは間違いない。いや、『隣のトナリくん』と『向かいのムカイくん』は同じ世界線じゃないだろ。空間ねじ曲がるわ。
そんで、こいつが向かいに越して来たからといって、お笑いコンビを組めるかと言われたら答えはNOだ。あいつがこれからどんな手を使って俺を口説きに来るのかはわからないが、すべて返り討ちにしてやる。
その時の俺はそう思っていた。
「なのにまさか、俺があいつとコンビを組むことになるなんて――……」
「って戸成お前! 人のモノローグに入って来るんじゃない! 組まないからな!」
窓を開けて身を乗り出すと、さっきまで持っていなかったはずのメガホンを口に当て、ドアに向かって何やらぺらぺらとしゃべり続ける戸成の姿があった。
「……こうして身体が入れ替わった俺達、一体これからどうなっちゃうの――?! 『向かいのムカイ君』、毎朝八時五十分更新!」
「勝手に連載始めんな! ていうかほんとにどうなっちゃうんだよ! 何で一話から入れ替わってんだよ!」
「千里の~道も~一歩ぉ~かぁ~らぁ~♪」
「おい、エンディングテーマやめろ!」
「提供:戸成鉄工所」
「スポンサーお前ん家じゃねぇか! いい加減にしろ!」
最後にありったけの声で叫ぶと、やっと戸成はメガホンから口を離して、その言葉を待ってました、とばかりににやりと笑ってこう言った。
「どうも、ありがとうございました~」
俺はお笑い芸人には向いてない 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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