◆ 9・勇者を廃業したい男 ◆


 サー・ランドールの方がこちらに気づいてしまったのは計算外だった。反面、己の名声をも感じる。

 近寄ってくる男は波打つ黒髪をリボンで結んだ、灰色の垂れ目で、二十歳そこそこに見える。話ではルーファよりも五才は年上のはずだった。


「君、アレだろ! あの、なんだっけ、あの……あー……うん、若人わこうどよ!」

「お邪魔しました。行こう、アーラ」

「待て待て待ってほしい! 実は私はサー・ランドール! 人呼んで勇者だったりする者ですっ」


 ルーファは己の名を覚えられていないことに加え、噂のサー・ランドールの人となりに失望を禁じ得ない。名声すらも地に落ちた気分だった。不快感を感じながら、背を向ける。

 ただ、アーラだけは驚いた声を発する。


「え、ユーシャ?」

「おっと……アーラ、偽物だ。ヒトにはいっぱい偽物がいてな? こういうのは後で教えてやるけど、すごいタチが悪い、詐欺ってんだ」

「サギ?」

「そう。それと……おっさん、ウチの天使ちゃんに近づいたら戦闘タイム突入すっからな」


 はっきりと明言し、天使の手を引く。

 彼女の方は勇者という響きで意識を半分持っていかれている。


「ルフス、この人……違う」


 やがてアーラが言った。


「ギェンメーロゥス、パーロス」

 彼女の言葉の意味は分からないが、天使の宣告は下されている。『違う』というのなら『違う』のだ。間違いなくランドールは勇者ではない。その言葉は同時に、好敵手かもしれないと思っていたルーファの興味すらも奪っていた。


「待て待て待って、ほんとに待って! 君たちどれだけ酷いんだっ。君、アレでしょ、最近出て来たポッと出のお坊ちゃんで、名前は……ミ……ミー…ミンファ」

「誰だよ! ミハイル・ルファ・ミンターだ! 知り合いじゃねぇからミンターと呼べよ」


 流石に切れて怒鳴るも、相手は落ち着けとばかりに両手を上げる。


「聞いてほしいんだ、ミンター君。実は、私ね、勇者を降りようと思ってるんだよ。それで次なる世代捜しの旅をしていたんだ。君、めちゃくちゃピッタリだよ、勇者業イケそうな顔だし!」


 ルーファの冷たい視線にもめげず、彼は更に言い募る。


「そうだ! ちょっと私と戦わないかな? それで勇者引継ぎ式に繋げちゃうのなんてどう? 負け方も好みのパターンでするし!!」

「は? 何言ってんだ」


 可笑しな提案をする神官を胡乱うろんな目で見る。口を開いたのはアーラだ。


「このヒト、セイジョから逃げて来たみたい」


 ビクリと男の体が震える。『セイジョ』という言葉から、彼は蒼ざめ、ガタガタと震えている。

 普通ではない様相にルーファも驚く。



 セイジョってのは一体。変人だとしてもサー・ランドールの噂の全部が嘘ってことはないだろ? ランドールほどの猛者もさが震えるレベルのモノってなんだ?



「あ、アレは、ヤバい……わわわわ、わた、しは、断ったからな! き、きみ、若いんだ、いくらでもイケるだろ?! 君がやりなよ! 勇者やれるの凄いことだよ! 譲ってあげるから!!」


 鬼気迫る様子にポカンと口を開ける。アーラが手を引く。見下ろせば、彼女が内緒話をするように口を寄せる。


「セイジョにコロサレルって言ってる。コロサレル、何?」


 殺されるという響きに、またポカンとする。

 噂通りのサー・ランドールが恐怖するなら相当な危険物ということになる。彼は神官であり、魔法は彼の主戦場である。そんな彼が死を覚悟する、避けようもない物とは何か。謎は深まるばかりだ。


「セイジョってのは、一体なんなんだ?」


 ランドールの言葉が空虚に響く。


「あれは……悪魔だよ」

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