第一章・天使の希望

◆ 1・改名とか余裕でするし?! ◆


「ア、ぃ?」


 ルーファの言葉が理解できなかったのか、発音をなぞるように口にする娘。掌二つ分に足りないほど、小さい翼が揺れる。

 周囲の空気までもキラキラと輝いて見えたルーファは目を覆った。



 溶ける!!!!

 可愛いかよ!!!!

 そりゃ、そんなちっせー翼じゃ落ちるってっ!!!! 天から落ちちゃったドジっ娘かよ?! いちいち行動まで可愛いし!!



 反応のないルーファに小首を傾げ、娘は対話を試みる。


「あの? ユーシャ、でしょ?」


 ルーファは彼女の発音を正しく認識した。

 翼持つ生物、もとい神の使徒たる天使の話は地上にも山とある。不浄の闇を払う勇気ある人間を称えての総称。それが『勇者』だ。

 いつ誰が言い出したかは分からない。

 いつしかこの世のことわりとして定着した概念だった。


 だからこそ、彼は考える。

 座学ざがくも優秀な成績を収めて来た彼には情報から連想されるべき事柄がほぼ見えていた。

 すなわち、彼女は『勇者』の支援に派遣されたのだろう――と。



 全てをそなえた俺様の元に、天使が降ってきた……っ。そして彼女は、俺様LOVEだ。

 勇者のこと無謀なバカって思ってきたが……。



 ちらりと清浄な存在を見やり、再度目を抑える。



 俺様、この子の為なら無謀でもいいわ!!!!

 勇者なるっ!

 勇者なりますとも!

 だって、あんなキラッキラの目で俺様に『勇者になって愛しい人』って言ってんだから!!!! なるしかねぇよ!!

 とりま、名前だよな。

 名前を変質者と思われねぇように聞き出す!!!!

 まぁ、俺が名乗れば、向こうも……。


 翼持つ娘は身にまとった布をパタパタと叩いている。残念ながら汚れは落ちないのだが、落ちると思っているのか不思議そうに叩いている。

 ルーファは慌てて剣を鞘にしまい、木陰に投げ捨てていたかばんとマントに駆け寄る。彼女の装いは、まだ肌寒い季節にふさわしくない様相だ。

 戦闘の後とあって周囲の木はなぎ倒され、荷は木屑きくずまみれている。

 マントをはたけば、こちらは使用可能だった。

 娘に駆け寄り、跪いて差し出す。


「俺様の名はミハイル・ルファ・ミンターだ。親しいヤツは大体ルーファって呼ぶぜ、よろしくな」


 娘はキョトンとした顔で、ルーファとマントを交互に見る。



 ん?? なんでマント受け取んねぇんだ? や、やっぱ汚いか?!



 内心の動揺は先ほどから少しも隠せていない自覚がある。顔に出ないよう訓練されたはずが、形無しだ。

 天使は歩を進め、えぐれた大地からい上がろうとする。ルーファは見兼ねて手を差し出した。

 娘は手を見つめ、また小首を傾げる。


「て、手伝う……ぜ」


 何とか言葉にしたルーファに、ぱぁっと娘の顔が華やいだ。


「ありがとう!」


 天使の手は柔らかく、細く、冷たかった。



 あぁぁあっ!! やっぱ寒いんじゃねぇーか! 俺様天才と思ってたけど馬鹿じゃん! もっと早く防寒着をっ、そうだ、防寒着、天使ちゃんのこの恰好じゃヤベェ。変態の馬鹿共が群がる未来しか見えねぇ。

 そうなったら、片っ端から殺すし!? ダメだダメだっ! 俺様が捕まったら、天使ちゃんを誰が守るよ!? いや、捕まりそうになっても、そいつらも……!



 羽根のように軽い娘を引き上げれば、また小さく「ありがとう」が返る。離れる彼女の手に、ルーファは名残惜しさを感じた。


「みは、る、ふぁさ、ん、……う、ンたー、さん」


 発音の問題なのか、彼女は何度も繰り返す。可愛さに打ち震えるルーファを見て、モジモジと両手をすり合わせる。


「あ。ダメだ。わたし……呼び方、ルフス、でもいい?」


 女王陛下をかしずく臣下のように、ルーファは頭を垂れた。


「ももももちろん!!!! 今日からルフスでいくわ、俺様!!」


 ルーファにしてみれば、いっそ彼女の為なら改名も余裕で行う心積もりだ。天使が呼びにくいなら、その名に意味はなかった。


「ううん、わたしだけ……じゃないと意味がなくて」


 頬を染めて小さく主張する天使に、ルーファは崩れ落ちた。後半の台詞など頭に入っていない。


「了解、いたしました……っ!!!!」


 もはやルーファは虫の息である。


「あれぇ、似つかわしくないのが地上にいるじゃん?」


 けだるげな低音。

 内心の嘲笑ちょうしょうがのぞく声は、空から降ってきた。

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