東日本大震災が起こったあの日……

うまチャン

2011年3月11日

 みなさんこんにちは、うまチャンです。

いつもは異世界ファンタジーとか、ラブコメとか書いてるんですけど、今回はガチエピソードを書こうと思います。


 みなさん今日はなんの日かご存知ですよね?

そう、2011年3月11日に東北で起きた大規模な震災、東日本大震災が起こった日です。

今からもう11年も経つんですね……。

 11年たった今も、故郷に帰れない人はたくさんいます。

わたしは北海道に住んでいるのですが、被災して北海道にやってきたという友達もいます。

 それほど、この震災で被害をもたらしたということです。


 11年経った今でも、この日になると当時のことを思い出すんですよね。

テレビの放送も全チャンネルが東北の様子(岩手県、宮城県が特に)の生放送で、

その頃の衝撃は今でも覚えています。


 さて、その頃わたしは何をしていたのか。

今から11年前、わたしは小学生低学年で病室にいました。

 実は当時、急性骨髄性白血病という難病を患っていました。

この病気は骨の中にある骨髄(血液の成分を作っている)の造血幹細胞と呼ばれる細胞が異常化し、血液の製造がうまくいかなくなってしまうというものです。

 これを発症すれば、ちょっと当たっただけであざができたり、歯茎から血がすぐに出たり、貧血になりやすかったりします。

 昔は治療法がわからず、不治の病で絶対に助からないと言われていたらしいです。

今は医療技術の進歩で助かる確率は増えていますが、それでも助かるかどうかはわからないと告げられます。

 わたしの場合は歯茎から血が出やすくなったりとか、特徴的だったのが顔色が悪いことでしたね。

友達と一緒に写真を撮ったら、随分顔色悪いけど大丈夫なの? ってわかるくらい。

 そして検査した結果この病気だとわかったわけです。

 後で知ったことですが、白血病はリンパ性白血病というものもあって、子どもはこっちのほうが多いようです。

わたしが発症した骨髄性は子どもがなるのは比率的に少ないんだとか。

 そして厄介なのが白血病にはタイプがあるということ。

わたしがなったものは抗がん剤治療だけでは治らないもので、造血幹細胞を移植するしかありませんでした。


 そして入院し始めたしばらくあと、2011年3月11日の真っ昼間。

ベットに座っていたわたしは、突然揺れ始めたのに気づきました。

これは地震だとすぐにわかったわたしは母親を呼び、点滴を抑えてもらいました。

 しかし揺れは収まらずどんどん大きくなっていき、病棟の廊下から患者達の悲鳴が聞こえました。

点滴が倒れたりしたら大変なことになるので、ずっと点滴の様子を見ていました。

感覚的にはめちゃくちゃ長かったですね。

 そして追い打ちがその後の余震。

一日中揺れているような感じだったので、もうわけがわからなかったです。


 テレビもずっと避難指示のニュース。

津波警報が出されるとなる、あの耳に響く警報音がずっと鳴り響いていました。

ニューススタジオも揺れている様子とか放送されてましたね。(照明が小刻みに揺れている様子とかは特に)


 そして津波の様子が放送される。

真っ黒い海水が街をどんどん飲み込んで行くところが生放送されてました。

もう小学生だった自分にはグロいシーン。

家とか車とか船とかが流されるところは、今でも鮮明に覚えているくらい衝撃的で、テレビから目が離せずにいましたね。

 アナウンサーも冷静じゃなくなって、


「早く逃げてください! 早く逃げてください!」


 的なことをひたすら言っていた気がします。


 あと福島第一原発事故。

津波の影響で電子機器が全て停止し、原発が爆発しました。

人体に影響があるほどの高濃度放射線が放射され、故郷を失った人が今だに大勢います。

 爆発した様子も鮮明に覚えています。

原発の建物が爆発によってほとんど崩れ、白い煙が出ている様子がテレビで放送されていました。


 さて、11年経った今はというと……。

 まずは自分のことから。

まだ白血病の後遺症は残っています。

紫外線に弱くなり肌が荒れたりとか、心臓に負担がかかる運動(ベンチプレス、腕立てなど)は良くないとか……。

あと、最近知ってびっくりしたのは治療の影響では歯の根が溶けてしまい、一般の人より歯が4本足りないことですね。

 でもその代わり親知らずはできにくいらしいんですよ(笑)。

 しかし、良い方でたくさん変わったことはあります。

いつも笑って楽しく過ごすこと、辛いことがあっても入院していたときと比べたら全然そんなことないよね、とかめちゃくちゃメンタルがチート級に強くなりました。

そういうふうに考えると、変な感じに聞こえるかもしれませんが、白血病という難病を経験して良かったなと思っています。


 次に東日本大震災について。

10年以上経ち、どんどん記憶から消されている感じがします。

ドキュメント番組で当時の様子を放送しても、自分よりもっと若い世代からしたら、


「へーそんなことあったんだー。ふぅん……」


 ぐらいだと思います。

わたしと同じ世代に阪神淡路大震災の話をしたとしても、多分同じ反応するでしょう。

それと同じです。

 自分にとって不都合な記憶は消したくなるものです。

だからこそ、しっかりと伝えていくことは大事だと思います。

 だから、もし新型コロナウイルスが落ち着いたら、1回でもいいから東日本大震災の被災遺構公園に行ってみたいと思っているんです。

わたしは地震だけだけど、東北地方の方々は津波にも遭っている。

どれだけ苦しくて悲しい思いをしたか、この目で確かめて見たいんです。

だから、被災遺構を修学旅行の研修でやったりするのは素晴らしいと思います。


 ここまで2011年3月11日に起きた東日本大震災とその時の自分について語りましたが、わたしはこのことを一生忘れることはないでしょう。

病、そして震災が重なった2011年はこれからの人生の中でも、色濃く残る、そう思っています。


『2011年3月11日、絶対に忘れない』




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