第44話 隠し子に靡く胡蝶たち①

 灯り一つない暗闇の人生を歩いてきた。

 たぶん、他の娘達も私と大差ない人生を送ってきていると思う。

 物心つく前から、女性が春を売る高級娼館に私はいた。

 初めて男に抱かれたのは何時の事ことだったろうか、今はもう思い出せない。

 私にはこの高級娼館の中だけが世界の全てだったから。

 だから、幼い頃から教わっていたことが人を殺す技であること、男性を喜ばせる技

 であることを理解していなかったのかもしれない。

 暫らくすると、私は娼館の中でも五本の指に入る売れっ子となったらしい。

 らしいというのは、余り他の娘達と会ったことがないから。

 毎日、初顔の男性に、顔馴染みになった男性達に春を売るだけ。

 売れっ子になってから半年過ぎると、私は娼館の女将さんに呼び出された。

 私達娼婦は、滅多なことでは女将さんに会うことも敵わない低い地位に居た。

 その女将さんに呼び出された私は、何か不始末をしてしまったのかと内心とても怖かった。

 しかし、実際は違った。

 女将さんの前に出て挨拶を交わすと、女将さんが笑顔で「おめでとう、今日からあんたはうちの店で五十六番目の、そして現役の中じゃ今年三人目の『胡蝶』だよ」と言われた。

 『胡蝶』って、確か最高級娼婦の称号だと教わっていた。

 やっと他人から認められた。

 私は嬉しくなり、女将さんに「ありがとうございます」と返事を返したのを覚えている。

 その後、陰部に胡蝶の刺青を施され、案内された場所はとある高貴な貴族様の別邸だった。

 そこにいた先輩の『胡蝶』に言われた。

 「ここは毒グモの巣だよ。 捕らわれたら死ぬまで抜けられない地獄にようこそ」

 最初は何でそういうふうに言うのか理解できなかった。

 美味しい料理に綺麗なドレス、それに煌びやかな宝石たち。

 どれも娼館では目にすることもできなかったものばかりだった。

 でも、私もすぐに思い知ることになった。

 ああ、確かにここは毒グモの巣だ、捕らわれたらもう逃げ出すことはできない。

 逃げ出すことが出来るのは、それは自分が死を迎えた時か、貴族の子供を孕んでその子供が必要だと判断された時しかないのだから。

 そして、私は『胡蝶という美しい蝶』から『胡蝶という毒針をもつ美しい蝶』へと作り替えられる。

 薬で恐怖心を無くし、言われるがままに敵対貴族の元に送り込まれ暗殺を繰り返し、戦場では上級貴族を慰める存在として、そして敵将を暗殺する兵士として使い潰されるだけの存在。

 そんな人生だった私に突然転機が訪れた。

 メレンテス平野にて対峙するリーブシュタット連合軍とルクツバーレフ諸侯軍。

 帝国最大規模の内戦。

 たぶん、勝っても負けても酷い事になる。

 その内戦に私はリーブシュタット公爵に所属する女性兵として他の胡蝶たちと共に従軍していた。

 高位貴族たちを慰める胡蝶として、兵士として、暗殺者として。

 物資が窮乏し、その日の食べ物さえ満足に口にできなくなりつつある日、大量の物資が援軍と共に到着した。

 敵軍にも増援が到着したようだったけど、これでお腹いっぱいに食べられる。

 仲間と共に笑いあったものだ。

 でも、増援として到着したはずの軍が、突然後ろから襲い掛かってきた。

 リーブシュタット連合軍とルクツバーレフ諸侯軍が全面衝突した瞬間の出来事だった。

 そして、私は、私達は戦場で出会ってしまった。

 全身鎧で身を固めた騎士達の先頭で真っ黒の軍服を身に纏い、真っ黒な表地に真っ赤な裏地が施されケープ、部分鎧しか身に付けていない彼に。

 味方さえも置き去りにして真っ先に馬で此方に突撃し、死を恐れるどころか逆に死を振りまく。

 しかも、味方が追い付く度に何度も何度も突撃を繰り返し、リーブシュタット公爵本陣に迫る姿は恐怖そのものだった。

 顔を見る限り、まだ二十歳にも達していないであろうその男の顔には獲物を狙う獰猛な肉食獣のような笑みがあった。

 それを見た瞬間、私は、私達はどうしようもなく魅せられ惹かれてしまっていた。

 それは、他の兵達も同じなのだろう。

 敵も味方も彼の周りに集まっていく。

 あるものは討ち取るために、またあるもの守るために、まるで誘蛾灯の様に吸い寄せられていく。

 いよいよ進退窮まったのか、渋々ながら味方に守られながら後退していく男の後ろ姿に無事であったことに安堵し、そんなことを思っている自分の気持ちに吃驚した。

 そして私達『胡蝶』全員に命令が下された。

 彼を殺せと。

 彼は、ルーシャン伯爵家長男でエルフリーデンというらしい。

 エルフリーデン・ルーシャン!?

 あの帝国ご用達の大商人であるビルホウッディー商会を潰した男。

 ビルホウッディー商会傘下のメルサス商会とジャルハール商会の家族はもちろん、従業員に至るまで嬲り殺しにした男。

 殺されるかもしれないと思いながらも、私達は命令に従ってエルフリーデン・ルーシャンが退いた敵陣地へと向かった。

 どうやってエルフリーデン・ルーシャンの居場所を敵陣地の中から見つけ出し、暗殺するのか、潜入だけでも命がけだ。

 だが、驚いたことに彼は自軍陣地より前に出て、リーブシュタット公爵本陣を睨み付けていた。

 軍服の至る所に斬られたときに出来たであろう傷があり、応急処置なのだろう軍服の上から乱暴に撒かれた白い布が血で赤く汚れている。

 その様子を見て私はいくらなんでも突出しすぎだと思った。

 馬鹿だ。

 あれでは殺してくれと言っているようなものだ。

 ああ~あ、なんであんなのに魅せられて惹きつけられたんだろう?

 馬鹿みたいだ。

 とっとと仕事を終わらせよう。

 強烈に魅せられ惹きつけられた反動か、たった一人騎乗して敵陣を睨み付ける姿が隙だらけで何でこんな奴にと腹が立ってくる。

 気配を消し、皆で男が乗る馬を取り囲んで後は襲い掛かるだけと思ったその瞬間、彼が私達に意識を向けた。

 すると途端にぞっとする気配に辺りが包まれる。

 「それにしても、随分と舐められたものだ。 たかだか数名の『胡蝶』で、俺を仕留められると考えているとは……。 ああ、そうそう俺の大切な女たちや部下たちに手を出したら……。 まともに死ねると思うなよ。 現役だろうが引退していようが草の根分けてでも探し出して、『胡蝶』に所属していた者その血を引く者すべてを嬲り殺しにしてやる」

 そういって彼は馬を降りた。

 だけど、私達は動けなかった。

 馬を降りた以上、私達のフィールドだ。

 彼を、エルフリーデン・ルーシャンを討ち漏らすことはない。

 そう思うのだが、彼が私達に意識を向けてから周囲に漂うぞっとする気配に、い、いや、彼が馬を降りてから漂い始めた背筋を凍らせるほどの何かが私達を動けなくさせている。

 今までこんなことはなかった。

 怖い、怖い、怖い。

 だ、誰か助けて。

 彼は一体何なの?

 さっきまではあんなに隙だらけだったのに。

 身体がガタガタと震えだす。

 慌てて周りを見渡すも、他の皆も同じように震えている。

 そして、彼が仲間の一人に近づいていく。

 「逃げなさい!」と声を出したかった。

 でも、喉から声は出ない。

 ただ仲間の一人が殺されるところをみているしかできないなんて。

 私の予想に反して、彼は剣を振る上げることなく、仲間の一人にただ自然体で左手を軽く首に添えただけだった。

 彼女は涙で顔を濡らしながら首を振り続けていたが、彼に首を触られると糸が切れた人形のように地面に倒れ込んだ。

 もはや理解できなかった。

 そして、彼が私を見た。

 次は私の番らしい。

 ゆっくりと近づいてくる彼にもう恐怖しか感じない。

 涙が関を切ったようにあふれ出してくる。

 「い、あ、こ、い、で」

 逃げ出したいのに動かない身体、声もかすれて出せなかった。

 まるで私に口付けをするかのように優しく頬に触れ、顔を持ち上げられた先に見たのは、彼の殺意と狂気に満ちた瞳だった。

 その瞳を覗く込んだ先に、どんな抵抗をしても、自分が殺される姿しか想像できなかった。

 そして、彼の瞳に魅入られたまま私は意識を手放したのだった。


 どのくらい気を失っていたのだろうか?

 気が付くと大きめの天幕の中で寝かされていた。

 しかも、ふかふかの毛布2枚が敷かれていて、もう一枚は身体にかけられていた。

 勿論、脱走が不可能なように天幕の中に設置された檻の中にだ。

 『胡蝶』である私達は、徹底的な身体検査を受けさせられる。

 女の身体は、武器を隠すところに困らないからだ。

 気を失っている間に身体検査は済んでいるのだろう。

 私達胡蝶専用の軍服ではなく、貫頭衣に着せ替えられていたからだ。

 身体に何かされていないか確認していると貫頭衣の下は裸だった。

 やっぱり下着も取り上げられてる。

 でも、『胡蝶』が捕虜になると全裸のまま檻に入れられるのが普通だ。

 貫頭衣を着せられているだけでも待遇は良い。

 「目が覚めた?」

 「ええ、どうやら捕虜になったみたいね、私達……」

 声を掛けてきたのは、一緒に彼を暗殺しようとした仲間だ。

 「そうね、でも気にすることはないわ、だって全員捕虜になっちゃってるもの」

 「え!?」

 一体どういうことなのだろう?

 『胡蝶』が捕虜になると、自害するか口封じに同じ『胡蝶』が来る。

 リーブシュタット公爵旗下の『胡蝶』全員が捕まった!?

 慌てて起き上がって周りを見ると、確かにリーブシュタット公爵旗下の『胡蝶』全員がいた……。

 全員が困惑顔で苦笑いを浮かべている。

 「全員無傷だっていうんだから、まいっちゃうわよね」

 「それに、私達全員に毛布三枚が支給されてるのよ。寒いだろうからって」

 「後で温かい食事も持ってくるから、ゆっくり休めって」

 「後で話があるから、自害はその後で頼むって」

 「情報収集なら拷問されるのにそれもなし。情報もいらないからって」

 「でもさ、好い男だったよねぇ~、エルフリーデン・ルーシャン様」

 「うんうん、凄く怖くって、あっこれ死んだって思ったけどさぁ、彼になら、商売抜きで抱かれたいなぁ~」

 「そうだねぇ~」

 「あれ? もしかしてみんなも彼に気があるの?」

 質問を放った仲間に、全員が頷く。

 「うわ、そうなら全員がライバルじゃん!?」

 「でも……、無理だよね……。私達『胡蝶』だもん……」

 「……」

 「……」 

 さっきまでの仲間内での気安い遣り取りが嘘のように静かになる。

 『胡蝶』は、娼館時代なら最高級娼婦で男達が大枚を出しても惜しくないとまで言う最上級の称号だったけど、今の私達にとっては私達を縛る忌まわしき鎖でしかない。

 上級貴族たちの玩具で、暗殺の道具で、飽きれば簡単に殺される。

 生きている限り抜け出せないことを表す『胡蝶』……。

 「うう……」

 「やだ、泣かないでよ」

 「そうだよ、私まで哀しくなっちゃうよ……」

 「こんなのやだよぉ、普通の娼婦に戻りたいよぉ……」

 今までならこんな事思わなかった。

 でも、出会ってしまった。

 私達『胡蝶』から見ても最高の男に……。

 魅せられ惹かれてしまった……。

 彼のためならば、喜んで他の男に抱かれよう。

 彼のためならば、喜んで彼の敵を殺そう。

 彼のためならば、喜んで命を捨てよう。

 そう思えるほどの男に。

 だからどうかたった一度でいいから私を私達を抱いてください。

 愛してください。

 それだけで私は私達は全てを貴方に捧げられるのだから……。

 

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