第4話 僕の朝には満月が昇る

 残業疲れと、初夏の太陽の陽射しによって大輔の体力はかなり削られていた。午後21時にアパートの鍵を開けて暗い部屋に灯りをともす。

 中学教師として就職し5年目になる大輔は、ここからが勝負だった。

 生徒の宿題を考えたり、あと1ヶ月ほどで迎える期末テストの問題を作らなければならないからだ。

 スーパーで買った、30%割引のシールが貼られている唐揚げ弁当を食べながらパソコンを起動しワードを開いて作業する。

 この作業が大体23時までかかるので、それから発泡酒と煙草にありつける。

 発泡酒が大輔の喉を通る音と、煙草がジリジリと燃えていく音だけが8畳の部屋に響き渡る。

 そんな空間でいつも思い出すのは、小学校から高校まで続けたバスケットボールのこと。大輔はポイントガードとしてチームの勝利に貢献していた。当時の恩師。大学時代に、今となっては名前を思い出すこともできない友人が馬鹿騒ぎしているところを遠くから眺めていたこと。そして、中学生の時にテレビから体験した東日本大震災。

 そういった思い出が、大輔の将来の夢を決めて現実になったことは自分も含めて家族や親戚も喜んでいた。

 だが、その喜びも束の間、将来叶えたい夢だったものが将来絶対に叶えたくない夢に変わった。

 大輔にとって、サービス残業や給料が低いことは大したことでは無い。

 それよりも、上司からの冷ややかな目や、生徒の親からの圧力の方が体力をごっそりと減らす要因であった。

 問題なのが、そういった要因の元が、大輔から発生することだ。

 大輔は年上に対してのコミュニケーション能力が著しく欠けていた。上司から何か一つ仕事を頼まれ、その直後にまた別の仕事を頼まれると大輔の思考回路は停止する。思春期に入った中学生を育てる親からの断ることができない提案の数々も同様である。

 なぜそうなってしまうのかは、大輔にも分からない。突如引きおこされる自然災害のように太刀打ちすることができず、大輔の頭は停電する。すぐさま復旧しなければと行動を起こせば起こすほどに、どんどんと悪い方向に転ぶ。

 発泡酒を半分程飲んだところで、煙草がきれる。すぐさま、2本目の煙草に火をつけて残りの発泡酒を味わう。

 発泡酒も切らしたところで、ガス給湯器の電源を入れてシャワーを浴びる。浴室には水垢と赤カビが発生しているのに浴槽はとても綺麗だ。最後に湯船に浸かったのはいつだろうか。

 シャワーを浴び終わった後は、冷房の効きすぎた部屋でドライヤーと歯磨きを済ます。

 あとは寝るだけなのだが、いつも仕事で億劫なことを考えてしまいどうしても寝付けない。なので、ワードを閉じてアダルトサイトを開き、シークバーで本番行為のシーンに飛び最短で自慰行為を行う。

 ここまでが大輔のナイトルーティンだ。

 自然と瞼が閉じていき、強制的に眠ることができる。

 あぁ、太陽の日差しを浴びたくないなぁ。


 「じゃあ、冬はつとめての部分から将吾に読んでもらおうかな。」

 「うわ!当てられた、、。」

 「先生と目が合ったのが運のつきだね。」

 「はーい。」

 「冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、、、、。」

 「はい。ありがとう。枕草子はテストでもしっかり出るから。先生が言ったポイントちゃんと押さえておけば大丈夫!」

 大輔は、中学2年生に対して国語を教えていた。

 生徒の評判は比較的良い方だと思う。若さもあるし、中学2年生の雰囲気に合わせることができる。

 「大輔くん。東京で雪が降るのはいと悪しだよね?」

 「将吾、せめて大輔先生で頼むよ。だけど良い感性だね。令和時代と平安時代では何もかもが違うからね。」

 「あと、古文ではをかしの対義語として、すさまじを使うからこれも覚えておいて。」

 ちょうど良いタイミングで授業終了のチャイムが鳴る。

 「じゃあ今日はここまで。テスト範囲で分からないことがあったら言ってね。また次の授業のときに教えるから。」

 大輔にとって、生徒に国語科目を教える50分間の授業は、友達と5点先取のバスケットボールをしているような、とても楽しい時間である。

 教材を持って、職員室に戻る。

 「大輔先生!国語のテストについてなんですけど、問題の点数配分もろもろ変更して下さい。」

 「大輔!また生徒に君付けで呼ばれてたな!他の先生にも迷惑かけるから、早く辞めさせろ。」

 「かなさんの母親から指導についての質問が来てるんですけど、、。」

 職員室に入った途端、大輔の脳内に大津波が押し寄せる。

 この量であればまだ堤防が決壊することはないが、気を許せば、水が堤防を越えて停電を引き起こす。

 かなさんとは、大輔の受け持っているクラスの生徒である。かなさんの母親はPTAに入っており、週に1回は質問という名の強制的な訂正案を持ちかけてくる。

 「分かりました。」

 これ以上の言葉を発する力は、今の大輔にはない。

 大輔にできることは、頼まれた物事に対して、頼まれた順番通り機械的に解決へと導くことだけである。

 機械にオイルメンテナンスが必要なように、大輔の感情にも煙草のメンテナンスが不可欠であるが、学校ではなかなかメンテナンスをすることができない。

 6限のチャイム終了のチャイムが鳴る。

 大輔は教室に戻り、生徒に明日の宿題やあと1週間に迫った期末テストについての必要事項を説明する。

 「大輔くん!そんなのいいから答え教えてよ!」

 「答えなんか教えるわけないだろ〜。頑張って勉強して。」

 「はい。じゃあまた明日。」

 「起立。礼。ありがとうございました。」

 大輔の感情に誤作動が起きないように細心の注意をはらって、ギシギシと体を軋ませながら仕事を一段落させる。

 屋外に出て、体育館の裏側に向かう。そこには、ベニヤ板で囲ってあるだけの簡易的な喫煙所があるため、今日3本目の煙草を吸う。1本目は目が覚めてから、2本目は朝食の卵かけご飯とインスタント味噌汁を済ませた後、そして残業前の今。

 大輔以外にも喫煙者の教員や事務員はいるが、この時間帯は大輔しか来ない。根元まで吸い切った煙草を携帯灰皿にしまい、4本目の煙草に火をつけて残業時間に行う仕事を整理する。

 夏の夕方に吹く季節風が、ベニヤ板によって遮断される。ジメジメとした空間の中から見える景色は、沈みかかっている太陽の日差しに照らされて真っ赤に燃える空と、大輔の吐いた煙の横で、堂々と浮かぶ入道雲。

 ミンミン蝉達が大輔を急かすように夏のコーラスを奏でる。

 んー。あとひと吸いだけ。

 

 「とりあえずは、1学期の期末テストお疲れ様!それじゃ、国語のテスト返却します。番号順に取りにきてね。」

 1学期の期末テストが終わり、後は夏休みを迎えるだけの7月下旬。生徒の表情は冷房の効いた教室内でもどんよりとしていた。

 「将吾ー。平均点が今回48点で良かったね。」

 「気持ち読み取る問題とか漢字とか難しすぎるよ。。」

 「漢字は頑張って覚えて。」

 正直、今回のテストは難しいと作っていても思った。国語の先生が何を言っているんだと馬鹿にされるかもしれないが、平安時代の人々の感情を読み解くなんて難しいに決まっている。上司の感情ですら読み解けていないのだから。

 答案用紙を返却し終わり、問題の復習を行っていたら授業終了まであと5分ほどとなっていた。

 「とりあえず1学期お疲れ様。もうずく夏休み入るから切り替えて!夏休み楽しんでね。」

 夏休みというワードだけで、どんよりとしていた生徒の表情が梅雨が明けた空のように晴れやかになる。心の中で言葉を反復して、自分にも言い聞かせる。

 「大輔くんは夏休み何やるの?」

 「先生に夏休みはありません。」

 先程の言葉が速攻で打ち消される。

 「将吾は?旅行の予定とかあるの?」

 「ずっと部活だよー。大輔くんも暇だったらバスケやろ。」

 「先生に暇はありません。」

 授業終了のチャイムが鳴る。

 バスケットボール部の副顧問に就きたいという気持ちもなくはないが、今は希望よりも不安の割合の方が圧倒的に多い。

 でも、生徒と先生という立場を除いて遊ぶのは楽しいだろうな。

 そんなことを考えながら職員室に戻り、先生として雑務をこなす。

 大輔の表情は、夏休みというワードをもってしてもどんよりとしていた。


 8月の日差しが通勤中の大輔の肌を突き刺してくる。

 早く冷房が効いている職員室に入りたいが、上司しかいない職員室には入りたくない。

 夏休みに入り授業が無くても、修学旅行の日程調整や2学期に入った後の授業の準備等、仕事は山積みである。

 今日はそれに加えて飲み会があるので、より足取りが重たい。

 負の感情を心の奥底にしまいながら仕事をこなしていると、時間の進みが早く感じるもので、気づいたらもう定時になっていた。

 「大輔先生お疲れ様です。それじゃまた駅前で!」

 「はい!よろしくお願いします!」

 嘘でも、楽しみにしてますとは言えなかった。定時に仕事が終わっただとか、もうすぐお盆休みだとか、足取りが軽くなる理由はいくらでもあるが、大輔はそういった考えに及ばない。いかにして今日の飲み会を穏便に乗り切るか、様々な選択肢を脳内に張り巡らせる。

 自宅に帰り玄関の鍵を開けると、遮光カーテンを閉め忘れており、室内に太陽の灯りが付いていた。

 スーツを脱いでそれとない私服に着替える。どうせ、飲み会でも汗をかくからシャワーは帰ってきてからにしよう。

 「皆さん!1学期お疲れさまでした!乾杯!」

 19時丁度、学年主任である石黒先生の合図で緊張の飲み会がスタートした。

 今日飲み会が開かれた大衆居酒屋は、ジョッキ交換制の飲み放題で瓶ビールがないため、大輔にとってはとてもありがたかった。お酒の量と会話に気を配りながら上司と仕事の会話をする。

 「大輔先生相変わらず緊張してるね。」

 石黒先生がジョッキを持ちながら声をかけてきた。

 「はい。どうしても緊張してしまいますね。」

 「今年初めて担任を受け持ってみてどう?」

 「大変ですけど、なんとかやらせてもらってます。」

 石黒先生のジョッキがいつの間にか空になっている。それに合わせて自分のジョッキも空にする。

 「石黒先生飲み物どうしますか?」

 「生で。」

 「分かりました。すいませーん。生2つお願いします。」

 「でもさ、生徒と仲が良いっていうことと、なめられてるは違うからね。」

 「はい、、。」

 「今回の期末テストの平均点低かったのも、関係あるよ。」

 「そうですね、、。」

 「お待たせしましたー。生ビール2つでーす。」

 沈黙がきまづくならないよう、すぐにジョッキを持って一口飲むが、緊張であまり喉も通らず美味しくない。

 「今年から担任持って大変だとは思うけど、そこの区切りはしっかりつけよ。」

 「分かりました、、。」

 石黒先生は普通に飲むペースが早いのか、もう半分ほど減っている。

 「あと、大輔先生自分の意思がないよ。普段の返事でもそうだし、今でもそう。失敗がだめなんじゃない。少し精度の悪い機械みたいに動くのがだめ。」

 大輔の脳内に8m以上の大津波が押し寄せる。復興のめどは立っていない。

 「とりあえず生徒に君付けをやめさせて、ちょっとずつでいいから先生としてメリハリつけた動きをしてほしい。」

 「分かりました。」

 少し力を入れた返事をして無理矢理生ビールを流し込む。

 「期待してるから!」

 石黒先生がドンッと背中を叩いてから、席を離れて他の先生の元へ向かう。

 全身の緊張が解けてビールが喉を通りやすくなった。

 そこからは全体的にアルコールが回ってきたのか、大きな笑い声が聞こえてきたり、恋愛話が聞こえてきたり、愚痴をこぼしていたりと比較的平和な飲み会が続いた。

 まだ、復興のめどは立っていない。

 「すいませーん。飲み放題ラストオーダーでーす。」

 最後に飲むお酒を各々頼んでから、二次会の話で盛り上がっている。

 こういう時に透明人間になれたらどれだけ楽だろう。お金は事前に回収しているため、後は自然に帰れるよう努めるだけ。

 会計を済ませて外に出る。

 「じゃあ二次会行く人いきましょう!」

 皆が同じ方向に足を向ける中、ひっそりと家の方向へ向かう。お酒も回っているから気付かれないだろう。

 交差点の角を曲がり完全に抜け出した。石黒先生に言われた言葉が、まだゆらゆらと流れている。ふらふらな足取りで煙草に火をつけながら歩く。

 午後21時30分に帰宅し、もたつきながら鍵を開けて灯りをともす。

 すぐにスーツを脱いで、シャワーを浴びるが水が冷たい。ガス給湯器の電源をつけて再びシャワーを浴びる。

 ナイトルーティンを済ませて、沈むように眠りにつく。

 未だ、復興のめどは立っていない。

 住宅地を走る軽トラックの音で目が覚めた。今日は土曜日なのでたくさん寝ると決めていたのだが、少し不機嫌になりながら時計を見ると午前4時だった。

 二度寝しようとしても、昨日の出来事を思い出してしまって寝付けない。

 ベットから起きて水を飲む。軽トラックに文句でも言ってやるか(本当は言えない)と思い、煙草を持って家の外に出る。

 住宅地の隙間からうっすらと朝日の灯りが溢れて、紫色の紫陽花のような空になっている。

 自分に意思があることを再確認する。

 今持っているものは、残り3本しか入っていない煙草と、ライターと、携帯灰皿。教師として生活していけるかという不安と、学生時代にもった希望。

 自分の感情よりも、他人の喜怒哀楽を優先させてしまう性格。

 少しずつ復興が進んでいく。

 自分は、自分のことがどうでもいい。それよりも他人の喜怒哀楽を財産にしてくことの方が生きていると実感できる。

 まだ朝日は見えていないが、真上には満月が昇っていた。

 それは、すさまじく綺麗な満月だった。

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 



 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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僕たちの朝には満月が昇る おおやぶ ゆき @oyabu-yuki

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