第3話 目を瞑れば
左側では富士山が綺麗な弧を描きながら聳え立ち、右側では日奈がレンタカーのハンドルを握りしめながら運転に集中している。
「ごめん!富士山みてる余裕ない!」
それを梨菜が後部座席から茶化す。
「ほらほら!頑張ってー。」
「美奈!写真撮ろうよ!」
「分かった。撮るよー。」
運転している日奈以外の2人はとても明るい顔をしている。
「絶対ストーリーあげないでよ!」
比較的緩やかなカーブが続く山道でもペーパードライバーにとっては、緊張を途切らせることができない苦難な道だ。
中学1年生の時に同級生として知り合い、名前が似ているという理由で仲良くなった私と日奈と梨菜の3人組は、運転が苦手でペーパードライバーという点も似ている。
日奈が運転しているのは、1時間ごとに行われる運転手を決めるためのルーレットに負けたからだ。
目的地はキャンプの聖地であるふもとっぱらキャンプ場。
全員初キャンプ。キャンプに行きたいと言い出したのは日奈だった。どうやら、某キャンプアニメを見て影響されたらしい。
学科はそれぞれ違うが東京の同じ大学に進学し3年目。夏休みと、比較的人が少ない火曜日と水曜日に合わせて、3ヶ月前から予約していた。
「あと何分くらいで着く?」
そろそろ限界なのか、ハンドルを握り締めながらも、疲労が溜まった顔をしている。
「あと3分ってナビに出てるよ!もうちょっと頑張って!」
後部座席から、どこか他人事のような言い方で声援が飛んでくる。
緩やかなカーブ道を抜けると、受付場所が見えてきて、日奈がホッとした表情をしている。
受付を済ませて、そのまま車でキャンプ場内の指定場所に向かう。
オートキャンプのできる指定場所に着き車から降りると、大草原の心地良い風と真夏の日差しが、22度に設定していた冷房の感触を上書きした。
「富士山でっか〜!」
先程までの疲労は風によって飛ばされたらしい。
「富士山の偉大さは、美奈と私は経験済みです。」
2人の漫才のようなやりとりを見ていると、どんな感情の時でもクスッと笑ってしまう。
「早速テント張ろう!」
初めてのキャンプで、初めてのテント張りは不安の要素しかないが、3人の連携が良かったのか緑色のテントを10分程度で張り終えることができた。
キャンプチェアに座り、一息つく。
普段は眼前にビルと人で詰まっている日常が、今は大草原と日本一の山と晴天で溢れかえっている。
普段であれば、これでもかというほどにたくさん目を瞑っている生活の一部分が、今は目を精一杯見開いても全貌を見ることができないほどに壮大な情景が広がっている。
じんわりと汗をかいて、少し湿ったTシャツにあたる風が心地良い。
コンプレックスしかない自分の体でも良いことあるんだと、少し安心した。
昼間は心地良かった風が、ロングTシャツと肩まで掛けているブランケットを貫通して、凍える風に変わっている。
キャンプ場は、他のキャンパー達のランタンの灯りしかなく、私達のテントの3倍はありそうな大きいドーム型テントの中から家族の影が見える。その奥には大きな暗闇が広がっている。
「めっちゃ寒いね!」
日奈が肩を震わせているが、どこか楽しそう。
「そろそろ焚き火しますか。」
焚き火台をセットして、受付場所で購入した薪を均等な配置に並べて、ガスバーナーで着火剤に火をつける。
「なかなか薪に燃え移らないね!」
「まだ火をつけてから10秒ぐらいしか経ってません。」
「うるさいなー。ちょっとガスバーナー貸して!」
日奈がガスバーナーで薪を直接炙り出す。
「火は付きましたか?」
今回はコントで笑わせにきた。
梨菜が新しい着火剤を取り出して、焚き火台に落とす。すると火の勢いが強くなり、その状態で1分程度待つと薪がバチッと音を立てて燃え出した。
「さっすがー!」
とても暖かい。ブランケットを足に掛け直し、手のひらを焚き火台に向ける。
「暖かいね。2人ともありがとう。」
「それほどでもー!」
「あなたは何もやってません。」
暖かいし、凍える風が吹いていても心地良い。
焚き火を囲みインスタント麺を啜りながら談笑していたら、あっという間に時間が過ぎていた。
焚き火も勢いを弱めて、薪の中からうっすらと深紅色が見える。
それは、この世の酸素を全て吸収し、この世の全てを飲み込んでもなお、美しく燃え続けるような深紅色。
チラホラとランタンの灯りが消えていく。
「そろそろ星を眺めに行きますか!」
燻っている薪に水をかけて、こちらを覗いている深紅色を消す。
レジャーシートとブランケットとランタンを持ち、ふもとっぱらキャンプ場内にある小さな池に向かう。
池のそばでレジャーシートを広げて、3人揃って寝転がる。
そこには、夜空一面に星空が広がっていた。天の川が宇宙を横切り力強く流れていて、大小様々な星達がそれぞれの輝きを放ち、何億光年先の地球まで届いていた。
その輝きはベガとデネブとアルタイルの輝きに全く劣らないものだった。
目を瞑れば、池から水の流れる音が聴こえてきた。
それは静かだが、濁流のように流れ込んできて私達3人の空間を支配した。
「大河くん!学生服かっこいいだがー!」
当時、美奈の地元である東北地方で中学生に進学するとき、美奈は少し大きめに採寸された学ランを少しでも可愛くなるように着こなしていた。
髪型はショートヘアにして、ビューラーでまつげを整える。
それでも、近所のおじさん達は野菜をお裾分けしてくれると同時に、男性として美奈を褒めてきた。
中学校入学当時は、何もかもが嫌だった。
大河という名前も、男性として褒めてくる近所の人達も、お裾分けしてくれた美味しい野菜も、同級生のチラチラと遠くから見る視線も何もかも。
入学して1ヶ月程経ち、とうとう声をかけてきたのが日奈だった。
「大河くんって女の子なの?」
この直球1本のような性格が当時は本当に嫌いだったが、今となってはありがたいことの方が多い。
「うん。まあ、そうです。」
「へー!面白いね!私日奈!よろしくね!」
「大河くんって骨格ちゃんと男だけど、美しい人って感じだね!」
「、、よろしく。」
出会い方としては最悪だった。
最悪だったが、1つだけ私の感情の変化をもたらした。
「お母さん。今日同級生に女の子ってばれた。」
「そっか。仲良くなれそう?」
「ん〜。それは無理かも。」
「お母さん。私名前変えたい。」
「、、、、。」
「分かった。どんな名前にしたい?」
お母さんは少し考え込み、何か覚悟を決めたような表情でゆっくりと頷いた。
当時はなんでこんな似てる名前にしてしまったんだろうと後悔していたが、今思えば、どこか日奈に憧れていた部分があるのだろう。
名前を変えてからの日奈の反応は予想以上だった。
「名前変えたの!?めっちゃ良い名前じゃん!」
「日奈と美奈かー。これは絶対に運命だね!」
正直、運命という言葉は嫌いなので軽く頷いて返答を済ませた。
「そうだ!梨菜に紹介するね!」
そうして強引に他の教室に連れて行かれ、顔を合わせたのが梨菜だった。
「梨菜ー!」
「うるさい。今小説読んでて良いところなの。」
「この子美奈っていうの!女の子だよ!」
梨菜は、あと100ページ程で読み終わるぐらいのところに栞を挟み、学ランを着ている姿で紹介された私の顔をじっと見つめてから、栞を取り出して再び小説を読み出した。
「美奈ちゃん、日奈をよろしくね。」
「どうして私がよろしくされるの!」
ちょうどこの季節ぐらいに起こった出会い方を、支配された空間の中で思い出していたら、日奈が横で寝ていた。
「美奈、起こしてあげて。風邪ひくし。そろそろ戻ろ。」
「そうだね。」
「日奈。テント戻るよ。」
「あ!ごめん寝てた!さむっ!」
星達に、ひと時の別れを告げてテントに戻る。
他のキャンパー達が付けているランランの灯りはもっと少なくなっていた。
テントの中に入り、川の字に並べられているシュラフに潜る。
キャンプで寝泊まりすると足先が冷えるらしいから、毛布をシュラフの中に潜らせて足先を包む。
「おやすみ。ランタン消すよ。」
「え!キャンプの夜はこれからでしょ!」
「その言い方なんかやらしいね。」
「美奈。乗っかったらダメでしょ。」
梨菜がランタンの灯りを消してからも、たわいもない会話は続いた。
気づいたら日奈が一番最初に寝ていたことは、明日の朝になったら梨菜と一緒にいじろう。
「じゃあ、私も寝るね。おやすみ。」
「うん。おやすみ。」
私も寝ようとして目を瞑ると、瞼の裏に先程まで見ていた星達が睡眠を促してくれるように姿を現してくれて、気づけば自然と眠りについていた。
少しだけテントの緑色が認識できた。ぼんやりとした目で携帯を取り時間を見てみると、朝の5時だった。
日奈と梨菜はまだ寝ている。
二度寝しようか迷ったが、2人が起きないようにゆっくりとシュラフから体を出して、息を殺してテントの外に出る。
うっすらと空は明るくなっていて、草原の緑色と富士山のシルエットも認識できた。
毛布を包んでいたおかげで足先は冷えていなかったが、夜の時間帯に冷やされた地面からの冷気と朝露によって意味がなくなった。
キャンプチェアに座って、ぼーっとする。
ガスコンロでお湯を沸かしていたり、湯気が出ているマグカップで早めのモーニングをしているキャンパー達がちらほらいる。
富士山の左側からゆっくりと太陽が顔を出してきて、草原と富士山のシルエットを鮮明にした。
「おはよ。」
気づいたら、梨菜がテントから出ていた。
「私も息殺せるから。ちょっと早めのモーニングする?」
「おはよ。凄いけど、ちょっと怖かったよ。コーヒー飲もう。」
ガスコンロにボンベをセットし、ドリップポットに2人分の水を入れて沸騰するまで待つ。
「日奈絶対起きないよね?」
「うん。多分あと2時間は寝てる。」
マグカップにドリッパー型のインスタントコーヒーをセットして、ガスコンロの火を止める。お湯を注ぐとふんわりとコーヒーの良い香りが漂ってきた。
「昨日、星眺めてた時中学生の頃思い出してた?」
梨菜の鋭さには、やっぱり凄さと怖さが共存していると思う。
「思い出してたよ。日奈の前では良い思い出とは言えないけど。」
「確かに。」
お互いクスクスと笑いながらホットコーヒーを飲み、朝日を眺める。
テントの中からごそごそと物音が聞こえてきて、日奈が出てきた。
2人が起きてから、まだ30分程しか経っていなかった。
「あれ。梨菜の勘が珍しく外れたね。」
「おはよ!私もコーヒー飲む!」
「自分で入れてください。」
梨菜が敬語の時は、決まって少し不機嫌な顔をしている。
「昨日って誰が最初に寝た?」
まさか張本人からその話題を持ちかけてくるとは思わず、2人で顔を見合わせて息を合わせて、満面の笑みで言葉を発した。
「あなたです。」
標高約800メートルの夜と、東京の夜は全く違うことを身に染みて感じていた。
風は、炎天下の中30分ぐらい放置された水のように生ぬるいし、星は全く姿を現さない。
夕食の食べ物を買いに外に出て、少し歩いただけで額から汗が滴る。
そして、地元と東京も違う。
野菜をお裾分けしてくれるご近所さんもいないし、私のことを男性として見てくる人もいないことはないが、ごく少数だと思う。
(他人に興味がないだけかもしれないが。)
スーパーで買い物を済ませ、足早に帰るスーツ姿の人やヘッドホンを耳にかけてノリノリで歩く人と横切りながら、家に帰る。
ふと、水の流れる音が聴こえてきた。それは下水道を流れる、人々の生活の証の音だった。
目を瞑る。
瞼の裏には、あの日眺めていた星達が再び姿を現していた。
あの日は睡眠を促してくれたが、今日のそれは、誰かのコントを見ているような感情にさせられた。
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