レシピ3 思い出のハンバーグ、フルーツとナッツ二種のソースあいがけ


 生きている──。

 異世界に来て一番実感していた。魔物を食べて、その命が自分の力になっているのを感じる。昨日の疲れはなく、一歩一歩、足取りは力強くなっていると私は感じた。

当たり前だけど、食べることは生きること。今まで私は多くの命に活かされてきたのだ。

 まるで大地や森、風や水など神羅万象が自分と有機的に繋がっているようだった。

 「おかしいな」

 隣を歩くレオが言う。

 「この辺り、魔物の気配が全くしない」

 レオの不安とは、おそらく別の不安を私は抱えていた。

 昨夜見た魔王は、間違いなく玲美さんだった。

 でも、どうして。考えてみてもわからないことだらけだった。

 店長にあって確かめないと──。

 見ろ、レオが北の方角を指す。いつの間にか私たちは山頂へ達していた。

 彼方に望む魔王の城は、日本にある城じゃなくてヨーロッパにある遺跡みたいだった。

 目を凝らすと、城門に大勢の魔物が入って行っている。

 「どういうことだ?」

 「わかんない、けど行くしかないよね」

 レオと私は頷き合う。


 レオの言う通り、城に着くまでは魔物が一切出なかった。

 その間、私たちは木の実や樹液に野草などを調理して空腹を凌いだ。


 「あれだけたくさんの魔物、どうするつもりなの?」

 「統制を取っているのは魔王だ。ヤツを討てば、魔物はバラバラになる」


 門に近づいた私たちは、牛車の荷台に飛び乗って藁に身を隠した。息を潜め、場内に潜入する。幸いにも、牛車は食糧庫で停車した。魔物たちの眼を盗んでレオと共に物陰に隠れる。潜入は、無事成功だ。

 「おい、聞いたか」

 「例の噂か。本当なんだろうな」

 魔物たちがひそひそと話している。

 「どうやらマジらしい」

 「マジかよ。俺たちもありつけるってのかよ、例の」

 「幻の調味料『塩』。それをふんだんに使った料理だそうだ」

 「で、晩餐会のシェフは誰が?」

 「それが……どうやら、人間らしい」

 「人間ッンン?」

 「静かに!」

 「魔王様が『塩』と共に持ち帰ったそうだ。憶測だが奴隷だろう」

 「そんなやつに俺たちの舌を満足させる料理が作れるか」

 「どうかな? まあ──できなかった時は、そいつを殺して食べちまえばいいだろ」

 カカカカカッと、品のない笑い声が響く。


 ──他に人間が?

 

 魔物たちが出て行ったあと、レオと私はゆっくりと食糧庫を物色した。

 穀物類や野菜、果物。大小様々な豆、保存されている酒や漬物など。元の世界のそれとは若干の違いはあれど、大方のものが揃っていた。


 レオ、と私は疑問を口にする。

 「この世界では『塩』は貴重なの?」

 「……貴重どころじゃない」

 レオはかぶりを振ると、話を続けた。

 「太古の昔、資源の宝庫だった『海』があった。『海』の存在は生物に豊かな恵みを与えてくれていた。しかし、ある時代に『海』は枯渇してしまう。その後、魔物たちは人間を襲うようになり、多くの都市が壊滅、今では残された人間は魔物たちから逃れるように、地下や洞窟にシェルターを築いて暮らしているんだ。そして、『海』の時代に失われた、最も大事な恵みが『塩』だ」

 しかし、あんなにも美味しいとはね、レオは昨日の料理の事を思い出しているのだろう。

 「古より伝わりし万物の生命の源、『塩』。まるで脳天が痺れるほどの旨味」

 「そうだったんだ……じゃあ私の持っている塩、レオにあげるよ」

 私がリュックから塩を取り出して渡すとレオは目を丸くする。

 「そんな簡単に! 貰うわけには──」

 「大丈夫、店に帰れば少しあると思うし、店長もきっと持っているから」

 「本当に。いいのか……」

 「塩があれば、料理のバリエーションが無限に広がるし、栄養も取れるよ」

 「ありがとう。……麻耶」

 そういえば、魔物に対して提供した料理にも塩は欠かさず使ってきたな……。もしかして、塩の旨味を知らないからあそこまで虜にさせることが出来たんだろうか。


 「隣は厨房みたいだ、行ってみよう」

 うん、レオと私は足音を消して、隣の部屋を覗き見る。

 約十畳くらいの部屋からは温かい気配がした。

 料理してるんじゃない? 空間に漂ってくる香りは、私の日常にあった、懐かしい匂いだった。きっと、そう。あの人がいる。 

 「てんちょーっ!」

 私は勢いよくドアを開ける。


 「麻耶!」

 元から細い目を垂れ下げて店長は私に応える。よかった、店長、生きてたんだ。

 店長へ駆け寄ろうとした、その時だった。


 『侵入者発見ッ! 侵入者発見ッ──』

 コウモリ人間が通路の角から、複数の魔物を引き連れてこちらへ走ってきていた。ぐんぐん、ぐんぐん。

 「しまった、声で気付かれたか」

 レオが剣を構える。

 「まずは一人目ェェ」

 コウモリ人間は脇から竹筒を取り、口元にあてる。

 えっ、何?

 ヒュッ、と風の音が鳴ったかと同時に、私は倒れていた。

 左の太ももに、吹き矢が刺さっている。

 途端。激痛に襲われる、うそでしょ。刺された。痛い──。

 麻耶! レオと店長の声が重なる。

 「こっちへ来るんだ!」

 店長が叫ぶ。

 レオは私を抱えて厨房へ逃げた。

 追ってきた魔物たちは、どういうわけか厨房の入り口からこっちへと踏み込んでこない。

 ウロウロと往生しているようだった。どうしたの?


 「コウモリ、二人はシェフだ。俺の料理を手伝ってもらう。これ以上何かしたときは、わかるな」

 店長の鬼気迫る声に、コウモリ人間が奇声を上げた。キィーッ。

 「テンチョウサマも人が悪い。魔王様が入城を許したのはあなた一人だったはずでは? まあソレモ、『塩』あってのことですがね、ヒヒヒ」

 「よくも麻耶を、キサマァ」

 「やめろ!」

 飛び出そうとしたレオを店長が止める。

 「止血が先だ、どのみちヤツらはここには入ってこれん」


 コウモリ人間は気にしない素振りを見せて、魔物へ号令をかける。

 「サア、皆の者晩餐会の仕度に着け。今宵は絶品が食べれるぞ」

 瞬きをする間に、コウモリ以下魔物たちは散らばって薄暗い城内へ消えていった。


 「なんで、アイツらは入って来れなかったんだ」

 レオが店長に問う。

 「塩で結界を作った」

 思い出した。居酒屋ファンテジーでも、店長はエントランスに盛り塩をしていた。

 「聞いたことないか? 塩は穢れを払う。空間を清めるってな」


 私は悪寒でぶるぶると身体を震わせた。

 頭が酔っ払ったときのようにくらくらする。

 「ひどい熱だ──毒だな」

 レオが数種類の野草を煎じている。

 「大丈夫だ、これを飲めば治る」

 レオは湯を沸かし、椀に煎じた草と湯を注ぎ入れる。

 「君を信じていいのか?」

 店長はレオに聞いた。レオは黙って首を縦に振る。


 晩餐会、寸胴や鍋の大きさからして、かなりの量の食事を用意するつもりらしい。

 店長は額の汗をぬぐいながら、二の腕をまくり鍋をかき混ぜる。


 カツゥーン。カツゥーン。何者かの足音が通路に響く。

 でも大丈夫、魔物はここには入ってこられない。

 しかし──。


 カツゥーン。カツゥーン。


 足音は私の目の前まで来ていた。


 「麻耶、アンタ馬鹿ね。大人しく店に戻ったら、あっちの世界に帰してあげたのに」

 聞きなれた、凛としたハスキーボイス。ああ、玲美さんなの。

 私は手を伸ばした。刹那。

 「魔王! オォォォォッ」

 全身の血管がはち切れそうな勢いで、レオが剣を振り落とす。

 と、同時に玲美さんは私の喉元にサーベルを突き立てた。

 「あら、若き勇者。あなたもご苦労ね。でもやめときなさい。この娘がどうなるかわかるよね」

 うっ、喉仏に針のような刃が当たる。やめて、玲美さん。本気なの?

 「……やめろ」

 レオは苦渋の表情で剣を鞘に収めた。


 「ちょっと味見をしに来ただけだから。あなたたちに用はないわ」

 玲美さんは厨房をふうんと眺めると、店長に訊ねた。

 「今日のメインは何かしら?」

 店長は野菜のソテーを盛りつけながらぶっきらぼうに返した。

 「ハンバーグだよ」


 「ハンバーグですって? 変ね。こっちには動物はいない。いるのは魔物か人間だけ。いったい何の肉でこれだけの量を作ったのかしら?」


 「食べれば──わかるさ」

 玲美さんは口にスプーンを運び、咀嚼する。

 「はじめてお前がやってきたとき。まかないで食わせた味だ、懐かしいか」

 店長の声は聞こえているのか、玲美さんは黙々と食べ続ける。

 「お前が困っているのは最初から気付いてきた、何かに焦っているのも。異世界から来て、準備が整ったら戻るって聞いた時は、さすがに驚いたけどな」

 一呼吸おいて、店長は辛そうに言葉を吐く。

 「玲美、おまえは魔王様、なのか?」

 玲美さんが顔を上げる。

 「店長……」


 「アンタも馬鹿な男ねえー。ワタシに惚れて? こっちの世界まで来ちゃうなんてさー。『塩』置いて帰ってくれない。ここにいるとさ、ワタシは、人間をさ、殺さないといけないんだよね」

 玲美さんはあざ笑うようにまくし立てる。

 その様子をみたレオが怒りを露わにした。

「俺は、魔物を許さない。住んでいた村はある日、食料を求めてやってきた魔物たちに襲われた。父さんも、母さんも」

 レオの想いを聴いても、魔王、いや、玲美さんは冷ややかだった。

 「それは、あなたたち人間にとって当然の報いよ」

 「何を言っている」

 「古代、『海』をこの世界から奪ったのは、人間、あなたたちだからよ」

 「──何を根拠に?」

 玲美さんが一冊の薄い本をレオに渡す。

 「古文書、だが俺の持っているものと違う?」

 「アンタのもっているものは最後の数ページが切り取られているのよ。人間が、自分たちの都合のいいように、歴史を変えたの」

 玲美さんの言う通り、古文書には書かれていた。人間は自らの欲を抑えきれずに海の資源を食い尽くした結果、海を埋め立ててそこに新しい都市を作った。しかし、資源はますます枯渇し、増大した人間たちは魔物を襲い始めた。しかし、皮肉にも度重なる環境問題や災害で人間の数は減少し、立場は逆転した──。

 レオは呆然としている。

 なんて声をかけたらいいのか、私も解らなかった。


 「あなたのハンバーグ、確かに美味しかったわ。懐かしいアイデア、中身は、豆腐でしょう?」

 「ご名答」

 「でも、このハンバーグ、ヘルシーすぎるわ。両拳大のサイズで飽きてきちゃう」

 「だろうな。玲美、おまえは味見に来るのが早過ぎた。まだ料理は完成じゃない」

 店長は手元にある二つの小鍋から、二種のソースをかけた。

 一つはピスタチオ色の、もう一つはピンク色のソースだ。

 「何、これ……」


 『思い出のハンバーグ、フルーツとナッツ二種のソースあいがけ』

 

 「コクがあるけど重くなりがちな塩とナッツのソースに、麻耶が見つけた木の実の液を使ったフルーツソースで、酸味と甘味を加えたのさ」

 「おいしい。笑っちゃうくらいに」

 「おいしいの記憶をさ、更新していきたい。俺は、玲美と」

 店長が照れくさそうに言う。

 

 「この世界では、いいえ、あっちの世界でも。あなたは人間、私は魔物なのよ」

 玲美さんはハンバーグを食べ終えた。

 「だからどうした」

 店長の言葉に皆が息をのむ。

 「人間だとか、魔物だとか、男だとか、女だとか。アイツとは分かり合えねーとか。立場とか、関係とか。美味しいって思ったおまえが、美味しいって笑ってくれた、おまえが。おまえだけが好きなんだよ。わかるか?」

 これ以上の言葉はなかった。

 店長の覚悟が伝わった。店長もまた、生きている。

 「店長! 私は、帰ります。元いた世界に。店長は戻らないんですよね。それでも戻ります。だって──」

 店長と玲美さんのやり取りの最中、私は思い出していた。あっちの世界、つまり元いた世界のことを。

 確かに、私たちの料理を必要としてくれた人がいた。

 美味しいの言葉、ありがとうの言葉をかけてくれた人たちがいた。

 店がなくなった今、どんだけ悲しんでいるだろう。

 単なる私の驕りかもしれない。でも本当にそう思うのだ。

 だから、帰らないと。

 店長、玲美さん。二人と笑い合い働いた日々を思い出す。

 二人ともきっと帰ってこないのだ。私一人で、できるだろうか。

 迷いが手を震わせた。

 レオが隣に立ち、私の手をギュッと強く、でも優しく握った。

 私は驚いて横にいるレオを見る。

 「大丈夫」

 レオが飲ませてくれた薬草のスープは効いていた。痛みはもうない。

 「帰りなさい」

 玲美さんの声が聞こえる。

 はっきりと聞こえるのに。

 私の目に映る世界全てが、朧気だった。

 「レオ、あなた。何を──」

 レオが私の顔を覗き込む。ごめんな、レオの口元が動いた。

 「あなたが変えるのよ、麻耶」

 玲美さんの声が聞こえる、

 私は、動かない身体を懸命に動かした。レオの手を掴む。

 「お願い、麻耶」

 玲美さんの声が聞こえる。

 レオの顔が、ぐにゃりと歪む。


 第一部、完。

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居酒屋ファンテジー ~異世界で料理無双中~ 森下千尋 @chihiro_morishita

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