第84話「母親の話」

「空くんのお母さんとはどういう出会いでしたか?」


 空の彼女である凜ちゃんが皿洗いをしながら私に話しかけてくる。それぐらいは私がしよう、といったのだが座っていてくださいと押されて負けてしまった。実によくできた子だと思いつつも、私はおじいちゃん扱いされていないかと少しだけ不安になる。


「そうだねぇ......。話すと長くなるけど、空は長風呂だから出てくるころには結末まで話せているかな」

「あ、聞いてはいけないことでしたか?」


 私が独り言をぶつぶつと呟いていると返答がないことを心配に思ったのか、凜ちゃんは私に優しい言葉をかけてくれる。だが私はそれを笑って遮った。


「どこから話したものかと考えていただけさ」

「できれば空くんが生まれるあたりがいいです」

「凜ちゃんは空のことが好きで好きでたまらないようだね」


 こういうはっきりとした物言いをするところも空はきっと好ましく思っているのだろう。かくいう私もそうだったから。

 私はこれをいうのを本当にためらったが他に言葉が思い当たらなかったので正直に話すことにした。


「杏里は凜ちゃんみたいな性格をしていたよ」

「え、私?」

「そうだとも。悪いことは悪い、いいことは言い、と素直にはっきりといえる人だった。相手が誰であろうと決して臆したりはしなかった」

「......信念が強いところはお義母さん譲りなのかな」


 空もまた意固地なところがあり、変なところで強情だからそこに共通性を見出すのは同じ気持ちだ。それもまっすぐに強情ならばよかったのに変に強情だから面倒な時はある。

 私は笑ってその先を続ける。


「かと思えば、いたずら好きだったり、サプライズが度を越していたりとまぁ飽きない人だったな」

「私もお義母さんみたいに面白い人になれたらいいですけど」

「凜ちゃんは凜ちゃんだから誰かになろうとする必要はない。もちろん、誰かを目標にすることはいいことではある。けど大抵の場合、目標にしたい人というのは自分には足りない何かを持っている人だ。だから憧れて、目指したくなる」

「......」

「けど、自分にだって誰にも負けない特徴があるものさ。それを見つけて伸ばしていけばいいよ。少なくとも空はもう気付いているようだけどね」


 凜ちゃんは驚いたように目を丸くさせた。もともとおおきい瞳が今にもこぼれそうである。私は空とであれば絶対に話すことのできない内容を話すことができてとても嬉しく感じていた。

 それも将来の娘ということで尚更だった。


「気分を悪くさせてしまうかもしれないんですけど、どうしてお義父さんは仕事の方を優先されたのですか? そこまでお義母さんと空くんを愛していたのなら小さい頃も一緒にいてあげれば......」

「空も今のような性格にならなかったも知れないし、杏里とはもっとたくさん思い出が作れていたかもしれないのに?」


 私はその先を奪うようにして言葉を繋いだ。

 そう。

 私だって過去の自分に問いたい。どうしてあの時に、自分の仕事を優先して家族のことをおろそかにしていたのか、と。......いや、自分のことだ。本当はもう答えを知っているのだ。けれどそれを答えと呼ぶにはあまりにも無慈悲で冷酷で人の心がないように思える。


「私は勘違いしていたんだよ」

「勘違い?」

「そう。人生の苦境は告白の瞬間だけであって、それ以降は万事すべてがうまくいく、幸せが永遠に続く世界だ、と」


 杏里と過ごした日々はとても楽しかった。言葉ではうまく表すことができないぐらい濃密で最高だと思える日々を過ごしたように思う。空が生まれる前はいろいろな無茶もしたし、旅行だってたくさんした。

 杏里だってその時は自分が病に倒れてその生涯をもうすぐ閉じることになることなどまったく思っていなかったに違いない。


 病。

 それは突然訪れて、一番大切なものを蝕んでいく。寄生した人だけでは飽き足らず、関係を持つほとんどすべての人を奈落の底へと突き落とす。


「凜ちゃん、私と空の性格が真逆だなと思うときはなかったかい?」

「......正直に言えば、あまり似ていないなぁと」


 性格もお義母さん似なのかと、と凜ちゃんは恐縮した様子でそういった。


「空は私によく似ているよ。私の感情が私から抜け出ていく前の私と、そっくりだ」

「......」


 凜ちゃんは何も言わずに私をじっと見ていた。

 驚いて声が出せないのだろうか、それとも私にこういうことを話させてしまったと自責の念を持っているのだろうか。

 私はこほん、と一つ咳ばらいをしてしんみりしていた雰囲気を弾き飛ばす。


「ごめんね、こういう雰囲気にするつもりはなかったのだけど......。凜ちゃんが聞き上手だから変なことまで話してしまったね」


 私が取り繕うようにいうと、凜ちゃんはそっと口を開いた。


「お義母さんのこと、大好きだったんですね」

「......ん?」

「だって、思いが強くないとそんな風に語ることなんてできないと思うんです。誰だって間違いは起こすし、失敗しないように頑張ったり、失敗してからもどうにか小さい失敗にしようと頑張る。お義父さんの言葉の端々からはお義母さんへの愛がとっても感じられました」

「......ははは。まいったね」


 年端も行かない女の子に励まされるなんて、まったく。

 空はとっても素晴らしい彼女を連れてきたよ、杏里。

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