第82話「父と凜と俺」
俺が煮魚を作っていると玄関からガチャガチャと鍵が開く音がした。ちらっと時計を見ると時刻は7時前を指示していた。父さんはどうやら今日の分の仕事を勢い良く終わらせてきたらしい。飲み会も断ったのだろう。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり、もうちょっとでできるから座って待っててくれ」
居間で雑誌を読んでいた凜が父さんを迎え入れる。その光景はすっかり家族の一員のような感じがして俺は何故か嬉しくなった。いつもなら手伝ってくれるのだが、今回は俺の方が座っていてくれ、と促した。
それは父さんとの電話で俺が作るようにと暗に言われているような気がしたからだ。二人きりで話したいことでもあるのだろうか、と思い素直に従ったのだが。
「いらっしゃい凜ちゃん。おや、以前会ったときとは随分と雰囲気が違うね。何かいいことでもあったのかい?」
「それは......はい。たくさん」
「そうかそうか。前も綺麗だったけど、今日は今までで一番輝いているね」
よくもまぁ息子がいる中でそんな歯が浮つくようなセリフをバンバンと口からマシンガンのように言えるものだ。
それに凜もまんざらでもなさそうに会話をしているのをきいていると何だか無性にいらいらと......おっと、危ない。煮魚の味噌だれが蒸発するところだった。
「今日はおじさんに話があるということでいいのかな?」
「はい」
「そうか。何を言うつもりなのかは知らないけど、そんなに身構えなくてもいいからね。少し失礼、着替えてくるよ」
スーツをクローゼットにしまうと、父さんはにこやかに凜に微笑むと俺の後ろへと張り付いてきた。
「うん、美味しそうだ」
「父さんは何もするなよ? 変な調味料とか入れようとしなくていいから」
「私がひと手間加えようとするのを止めてくる表情は杏里そっくりだなぁ」
「母さんが生きてる時もそうだったのかよ」
「まぁ料理は空に任せるとして......。何の話だい?」
「......お詫びと訂正?」
「二人目、の話ではないのかい?」
「子供出来ちゃった報告じゃない!! というか一人目どこ?!」
父さんは少し残念そうな表情をしながら俺の肩をポンポンと軽くたたいた。そこに父さんの意図を汲み取ることができなかったが、きっとどうせろくなことではないだろう。
俺をからかうだけからかって満足したのか、父さんはステテコに緩いTシャツを合わせて休日のおじさんに変身した。お話があると聞いたばかりだろうに、真剣に重く受け止めるつもりはないらしい。
それを無礼ととるか、気楽に行けると前向きにとらえることができるかは話す人次第だろう。仕事では父さんがたまに使う手法だ。特に気に入らない取引先は。
だが凜にはその手は通用しない。彼女は誰よりも胆力があって、自分を曲げることは絶対にしないし、欲しいものは必ず手に入れる、そんな女の子だから。今更服装ごと気を気にすることはない。
「配膳ぐらいは手伝ってくれ」
「あ、ごめんね! 今行くよ」
「私も自分の分くらいはしようかな」
みんなで運び、みんなで食卓を囲む。何だかんだ言って三人そろって食べることは初めてだったりする。俺にとっては母さんと食べた食事を思い返すと久しぶりになるのだが、まぁそこはいいだろう。
いただきますもそこそこに各々が自分にあてがわれた煮魚を頬張る。
うん、我ながら悪くない出来だ。これは満足の一品だろうと思い、凜を見ると、頬に手を当てて本当に美味しそうに食べていた。
そういう表情を見ると作った側としては誇らしい気分になる。おいしそうで何よりだ。父さんは同じ感じにした方がいい? と俺に視線で尋ねてくるのをやめろ。
あれは好きな人がしてくれるからいいのであって、おじさん、しかも実の父親のをみてもぎりぎり耐えられるかどうかの話でしかない。
「空くん、このお魚おいひいよ」
「喜んでくれてうれしいよ」
「新婚さんみたいだね。私がいることを忘れてないかい?」
「別に忘れてない」
「そうか、ならいいんだが。......ところで凜ちゃんは成績優秀と聞いたのだけど、本当かな?」
「ええ。まぁ......学年ではトップだと思いますが」
「ぜひ空に勉強を教えてあげてほしい。高校を卒業したら働くつもりでいてね、そのことを否定するつもりはないのだけど、勉学をおろそかにしているような気がしてね」
「とってもおろそかにしてると思います」
「凜......」
「簡単に、それにたまにでいいから勉強を教えてもらえると助かる。空も凜ちゃんほどのかわいい子に教えてもらえたらきっと頑張るだろうし」
「お、おい......」
一言二言余計なことを付け加えないでほしい。
そして父さんの作ったその雰囲気ではどうにも言い出しにくいような気がしてならない。もしや父さんも緊張しているのだろうか。俺には子供か? などと茶化しておいて。
「私は空くんの勉強だけじゃなくて、全てを支えて見せますよ」
俺の彼女がとってもかっこいい。
「父さん、話がある」
「実は......」
そうして俺と凜は包み隠さずすべてを話した。
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