―― 朝 ――

 おむすびや。


 ここは、きこく町商店街に店を構える、おむすび専門店である。


 暖簾をくぐり、扉を開けば、第一声。


「いらっしゃいませぇーっ」「いらっしゃませ」「・・・・・・」


 続く山びこのような来店を迎える挨拶と、かしこまった会釈。

 パッと目に入る人影は、みっつ。男性2人に、女性が1人。


 身にまとうのは、暖簾を同じく濃紺色の作務衣。調理を意識してか、パリッと襟の折り目正しく、細口の袖は七分。


 頭に巻く手ぬぐいはそれぞれ色違いで、男性は無造作に後ろでしばり、女性は三角巾に折って巻いている。


 店員の衣装から目を移せば、外観から予想通りの、こぢんまりとした広さの店内。

 意匠は木目調で統一され、掃除や手入れの行き届いた清潔さを感じさせる、落ち着きのある古風なデザイン。

 まるで老舗の寿司屋だ。


 ガラス張りのカウンターには、様々な具を笹の葉のようなものを敷いたトレイにずらりと並べていて選び甲斐がありそうだ。


「どうぞ、店内に進んでお待ち下さい」


 大柄で壮年の男性が、野太い声で、立ち止まった客を促している。


 行列の邪魔になっていたのだろう、その客は、小さく頭を上げ下げしながら小刻みに歩を進めた。


 それ以外の周囲の客は、常連の様子で注文も会計も慣れたもののようだ。

 次々と行列が前に進む。


 周囲の客の視線が、痛々しく向けられてくる。

 店内の活気もそれに輪を掛ける。


 明らかに慣れていない様子の1人だった。


「お客様、こちらは初めてでいらっしゃいますか?」


 カウンター内から、若い男性の声が届けられる。

 少し高めで歯切れの良い、そして瑞々しささえ感じられる。マスクを通してさえ気持ちの良い発声だった。


「じっくり選んで頂いて結構ですよ。よろしければ、後ろに下がって頂いて、ええ、お決まりでしたら、声をかけて頂ければ――ただ、お並びでご注文の方を先にさせて頂きますが」


 一見らしき客は、頷く、どこかホッとした様子で壁際に後退る。


 若い男性店員が、さらに若い女性店員に声をかける。


 頷いた女性店員は、A4サイズの手書きの冊子を手にカウンターから抜けだすと、一見の客の前でちょこんと頭を下げると両手で冊子を手渡した。


「・・・・・・」


 終始無言の女性店員は無口な性格なのだろうか。接客業としてそれもどうかと思わせたが、その立ち振る舞いに嫌味なものはまとっていなかった。


 客がお礼を言ったときに、少女が持つ特有の、儚く可憐な笑顔によって応えていたのがその証左だろう。マスクで口元が隠れていたのが悔やまれるくらいだ。


 客は、初見の慣れないお店での焦りから解放され、安堵の溜息と共に、手渡された冊子に視線を落とす。

 どうやらメニューのようで、お店の紹介文と予約も書き込めるようになっている。持ち帰りできるリーフレットというわけだ。


 こだわりのお米と豊富な具材を謳う、テイクアウトおむすび専門店。

 字は整いながらも少し丸字で可愛らしい、あの女性店員の手書きだろうか。


 テイクアウトのみ?


 これも感染症下のご時世。

 そう言えば、店内を見回しても、イスやテーブル、イートインコーナーのようなものは何ひとつない。

 あるものと言えば、セルフ式開閉のショーケースと、その中に陳列された市販のインスタントカップ味噌汁くらいだ。


「縁結びセット! ひとつ! くださいっ!」


 陽光差す朝に似つかわしい、明るく快活な注文は、制服を着た少女の声だ。高校生だろうか。登校には少し早い時間帯だが、部活の朝練か、遠距離の通学か。


「いらっしゃいませ! ありがとうございます! 縁結び、ひとつ、入ります!」

「縁結び、ひとつ! ありがとうございます!」

「・・・・・・」


 若い男性の声に続いて、野太い声が続き、やはり女性は小さく会釈する。


 メニュー表の最初に載っている、縁結びセット。555円。なるほど、ご縁とかけているのか。


 3つの小さめ俵型のご飯の中央を凹ませて、そこに具材を載っけている。

 3枚入った焼き海苔がパッケージされて添えられているのは、海苔で手掴みするように包んで食べるのか。


 紙容器の中は仕分けされており、おかずも3つ並ぶように配置されている。内容は、たまご焼き、きんぴらごぼう、ひじきの煮物などなど・・・・・・日替わりでローテーションされているようだ。

 おむすびの具も同様で、毎日食べても飽きないメニューに工夫されている。


 ご時世というか、細かな気遣いというか、アレルギーに気を付けるよう優しく注意書きもされているのが心憎い。


 何もあれこれと豊富な具材に悩む必要がない、初めてならこれにすれば間違いない、これでいいし、これがいい、そんな安心感と共にある、これぞセットメニューではないか。


 それだけではなく、1日前に予約すれば、自分好みの具材とおかずでアレンジセットを作り置きしてくれるそうだ。

 手間暇もかかるだろうに、何と気前の良い!


「また、お越し下さったんですね、ありがとうございます」

「だって! すっごぉく美味しくてっ! また来ちゃいましたっ!」

「はは、そう言って頂けると。ありがとうございます」


 若い男性店員と女子学生の談笑は続く。


「あの日、コンビニのおにぎりにしようかと思ってたんですけど! 偶然ここをみつけて! んもぅ、超ぉおおぉっ! ラッキーって感じでっ!」

「こんな時間なのは、部活の朝練か何かですか?」

「はいっ! 高校で陸上やってますっ!」


 女子学生は、実際に走るかのように肘を曲げて前後に両腕を振って見せた。


「ああ、でしたら、おなかも空きますよね」

「もうっ! ぺっこぺこで! えへえへへぇ~」


「・・・・・・」


 女性店員が、ずいっと横からセットおむすびの容器を差し出してくる。若干ながら、会話の邪魔をしたようにも見えたのは錯覚であろうか。


「縁結び、お待たせしましたぁ!」

「ありがとうございますっ!」


 女子学生は、両手で律儀に受け取ると、背筋の整ったお辞儀を見せて回れ右、陸上部さながら素早く退店していった。


 その後も、客の行列は続く。

 幾つもの注文を伺い、おむすびを握りながら、会話で間を繋ぎ、待たされたように感じさせない。


 良く良く観察して見れば、店の中心は、若い男性店員のようだ。注文を喜々として聞き、受け答えの容易な会話を客との間で引き出し、笑顔で見送りする。

 その間にも、調理の手は止まっていない。


 挨拶こそ野太い声で元気で、先入観から店主か何かだと思われた、大柄で壮年の男性。脇に立ってどこか一歩退いており、調理の補佐と主に会計を担っている。


 声こそ発しないが、女性店員はさながら店内に咲く可憐な花を思わせる。それでも注文が入れば、調理に集中し、てきぱきとこなしているようだ。男性店員ふたりとの流れるような連携も見事。


 その一見客は、リーフレットから視線を上げて、一見にして核心を確信した。


 ――この店は”当たり”だ、と――


 壁際から一歩踏み出し、行列の前後に客に頭を下げながら確認を取り、礼を述べ、若い男性店員に注文を告げる。


「ありがとうございます! 縁結び、ひとつ、入ります!」


 それから簡単な会話を交わし、セットおむすびを受け取り、会計を済ませる。


「あ、お客様」


 若い男性店員は、他の客の注文をさばきながら、話しかけてくる。


「商店街の中央の街路樹、ベンチになってますから。少し歩けば、公園もありますよ」


 食べる場所まで気を遣ってくれるとは!


 気分爽快、未だまばらな人通りのアーケード商店街の下。


 頬張るおむすびの、美味しいこと美味しいこと。

 ふんわり口の中でほどけ、噛み締めるお米の優しい甘み。

 ほどよい塩加減と、香ばしい海苔の歯応え。

 ひと口めから鮮烈な、この具材の味よ。


 また、来よう――――高揚しながら、そう呟いたのだった。

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