朝はおむすび、夜はおにぎり

おおさわ

―― 縁 ――

 腹が、減った。


 そう思った『あなた』は、少し凹んだお腹に手を当て軽くさする。


 時間は早朝。

 外食で済まそうにも、開店してるところはそうないだろう。

 何しろ昨今、新型感染症の被害が拡大する最中。

 24時間営業を続けているチェーン店など皆無に等しく、となればコンビニエンスストアでも探さなくてはならない。


 探すと言っても、『あなた』は周辺の地理に詳しくない。

 近所に住んでいるわけでもないし、この場所に、こんな時間にいるのも、突然の用事があってのことである。


 喧騒の訪れを待つ静かな町並みで、すれ違う人々も僅か。何れも、出張や早番、部活の朝練など、ありきたりな営みから少しズレた足音たち。


 『あなた』も、この風景に置かれたひとつの音であった。


 ――――クゥ。


 少々情けない腹の虫の音。


 せっかく見ず知らずの土地に行くのだからと、どうせなら名物やご当地モノを食べようと何の計画も立てなかった我が身の迂闊さ。

 ああ、こんなことなら家を出る前に何かを食べてくるのだった、と後悔もひとしおである。


 頼もしいのは、こんなときでも文明の利器とインターネット。

 手にしたスマートフォンで、ブラウザを開き、周辺地図から飲食店を検索する。営業開始時間も掲載されていたりで、便利なものだ。


 とは言え、繁華街に隣接する立地なせいか。夜遅くまでの営業時間のお店は幾つかヒットするが、早朝からとなるとなかなか見つけられない。

 幸い、というべきか。コンビニエンスストアなら点在するようだ。


 コンビニおにぎりで小腹を埋めておいても良いだろう。そのぶん、お昼を豪勢にやるのも良い。

 ――――と、思って足を向けたのだが。


 見慣れたコンビニエンスストアの看板を遠目に見つけるや、同時にガラスの割れる音も響いてきた。

 店先で太った男性が、手にした日本酒のワンカップ瓶を地面に叩き付けた、のだろうか。おそらく、だいぶ酔っているのだろう。すれ違う人に悪態を吐きながら、その場で千鳥足を繰り返し、何とか立っているように見える。


 『あなた』は、眉を潜め、口をへの字に曲げる。


 内から店員が出てくる様子はなさそうだ。

 警察をもう呼んだだろうか。


 当然、関わりたい類の人種ではない。何しろ、酔いで覚束ない指先でパック酒にストローを差し込もうとしている。まだ飲もうというのか。

 アル中、という言葉が頭に思い浮かぶ。


 くるりと踵を返して、別のお店に向かう。大丈夫、コンビニにこだわりのある方ではない。今だけ半額とか新商品とかには、とても惹かれるタイプの人間ではあるが。


 今来た道を引き返した『あなた』であるが、違和感にふと足を止める。

 見上げれば、商店街のアーチ看板の前だった。


 こんな場所、通り過ぎただろうか?


 きこく町商店街。


 この辺、そんな名前だっただろうか?


 違和感の正体は、それだけではない。

 どこか、鼻をくすぐるような甘い匂い。

 アーケードの下、それに誘われて『あなた』は足を踏み入れたのだった。


「きこく町商店街へ、ようこそー」


 タイミングを同じくして、足を踏み入れる人影。

 気配をまったく感じていなかったところでの突然の歓迎に驚き、そのハスキーな声の主と、思わず顔を見合わせてしまう。


 切れ長の瞳がさらに細められて、艶のある笑みを作る。

 マスクで口元が隠れていても、おそらく、美人。


「季節の季とー、穀物の穀をー、ひらがなにしてー、きこく町なのー、ここはー。昔はねー、それはそれは、色んなのが流れ着く場所だったからー。季節の穀物ー? いや、喜びの国、きこく、だったかな? わっすれたー、っぱ、米よ、米」


 女性にしては背の高い、その頂点から背を覆う無造作に結んだポニーテール。そしてボディラインに自信を感じさせるタイトなシャツとパンツルック。高身長に拍車をかけるハイヒール。


 タレントやモデルだと紹介されても、ただ頷くだけだろう。


「米は良いわよねー、食っても飲んでもさー、うまーい!」


 酔っているのか。

 酔っ払いを避けて、こちらに足を向けたのに、隣にいるのも酔っ払いとは。おかしな縁もあったものである。


 苦笑する顔を覗き込まれて、上機嫌そうに鼻で笑われた。


「腹が減ってるー、そうだろー?」


 だが、嫌な気分ではない。


「そんな顔してるよー? 『 あ な た 』」


 図星を指摘されても、不思議と警戒感は沸かない。


「いやー、商店街の連中は、朝も早いからさー。飲み仲間がいなくて大変。さっきまで近くのバーで飲んでたの。独りで。おねーさん、さーびーしーいー」


 示し合わせたわけではないが、何故か並んで歩を進めている。

 女性は、三十代だろうか。案外もっと若いのかもしれない。外見や印象で損をしている可能性もある。


「アタシは、ここの商店街で総菜屋をやってんだけどねー。ゴメンねー。営業時間外なんだわー。いやー残念。ウチの、美味しいんだぞー? まさか、残り物で作ったまかない出すわけにもいかないしさー」


 なんと、お総菜屋さんとは。

 浮き世離れした、と言っても過言ではない恵まれた容姿からは想像もつかない。


「帰ってー、寝てー、起きてー、買い付けしてー、仕込みしてー、だからさー」


 シャッターを閉めている店先が多いが、僅かに気配がある。開店前だけのようだ。

 古い町並みの光景は隠せないが、ここには時代に取り残された閉塞感が何故か感じられない。人々の息づく活気のせいか。


「ここの商店街は、いいよー。何事もなければ、本当にいいとこさー。本当にね」


 商店街と言えば、全国展開チェーン店や郊外大型店舗などの台頭によって客足が遠退き、店舗も寂れて全てシャッターが下ろされているイメージだった。

 今時、こんな場所もあるのかと、逆に新鮮な気持ちになる。


「お目当ては、あそこだろー? 分かるよー。こんな時間から、いー香りだもんねえ」


 ああ、あそこだ。

 小規模ながら人だかり、行列らしき人影もちらほら見える。


 ここまで来れば間違えない、この匂い、この香り。これに導かれていたのだ。

 ほんのりと甘く、しっとりやわらかな。

 そう、炊きたてのご飯だ。


「えへへ-、えとねー、オススメはー、えっとー、やっぱ、いいやー。好きなの食べなー? どれも美味しいからー。そういう縁だしー」


 食の形態も様々、朝は洋食の人もいるだろう。

 けれど、日本人の遺伝子レベルで刻み込まれた、忘れ得ぬ食感。

 古くから営まれてきた、稲作、お米との、縁。


 縁?


「炊いたお米がー、なくなったらー、営業終了? 気を付けろー?」


 こんな朝から気を付ける情報ではないと思うが。


「単品10個いじょー、お買い上げはー、よー予約ぅー」


 なるほど、大食いの方は、予めの用意がいるわけか。


「夜はー、やってなーい」


 分かりました。ご時世ですもんね、時短営業。ええ、分かります。


「夜はー、おむすびー、やってなーい」


 ですから、分かりましたって。


「夜は、おにぎり・・・・・・」


 え? 何ですって?


 何の縁か、『あなた』は、今日この時この場所で、幾人かの列の最後に並ぶ。


 それを見て、女性は手を振りながら、向かいの店先のシャッターにぶつかり、「こっちじゃねえやー」と呟きながら裏手に回る。


 愉快な人だった。


 見返せば、そこは小さな店舗に落ち着いた濃紺の暖簾、白字でシンプルな屋号。


 おむすびや。


 ここは、きこく町商店街に店を構える、おむすび専門店である。

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