第七話 彼と彼女とペットたちの事情。

 神谷雫――その名前は僕の通う学校においては知る人は少ない。

 まあ普段は登校はしても、図書室に直行しているらしいし。

 先輩が僕や司書の先生以外と会話している姿ってほとんど見たことない気がする。いくつか例外はあるけれど。

「さて、どうしたもんか」

 前回の続き。僕は何をすればいいのだろう。

 とりあえず神谷先輩と合流したいところだけれど、ちょっと前に電話をかけてみたけれど、出なかった。

 なぜだろう、と疑問に思ったが、仕方がない。

 ……歩き回って探すしかないだろうな。

「……なんで僕がこんなことを」

 ちょっとだっけ愚痴が零れる。

 実際、僕が神谷先輩の世話を焼く必要も義理もないはずだ。

 はず……なんだけどなあ。何でだろう。

 どうにも、神谷先輩が気になって仕方がない。心配だ。

 意味も理由もなく、ただただ心配だ。

「はあ……まあ仕方がない。仕方がないんだ」

 仕方がない、と何度も自分に言い聞かせる。全くしょうがない。

 面倒臭いことこの上ないが、探し出す以外にないのだろう。

 その内、先輩の方から電話がかかってっくるかもしれないし。

 

 

 

           1

 

 

 神谷先輩との合流を目的として、僕はうろうろとそのあたりをうろつきまわることにした。

 ああ、貴重な休日が過ぎていく。なんてことだ。

 時刻を確認して、僕は嘆く。

「……なんで先輩は電話に出ないんだろう?」

 神谷先輩はあまり機械が得意な方ではない。かくいう僕もそうなのだが、僕の場合はまあ人並みくらいには使える。

 先輩はそれに輪をかけてひどい。もしかすると、単純に電話に出る方法がわからないのではないか?

 その他にも、あれやこれやと嫌な想像が脳裏を過ぎる。

 その中でも、一番最悪なのは先輩がなんらかの事件に巻き込まれている、ということだ。

「とりあえず僕はどうするべきか」

 何をすればいいかなんてわからなかったが、ひとまずは落ち着こう。

 嫌な想像ばかりするものじゃあない。先輩は大丈夫だ。

 などと考えていると、ふと視界の端に見知らぬ人影が入ってっ来た。

 いや、先ほど見かけた女性だ。握られたリードの先には、チワワが繋がれている。

 あの男性とは別れたらしい。散歩の際には、あの場所で会話をするのが習慣だったのだろうか。

 いずれにせよ、先輩の予言が外れるなんて珍しい。先輩の能力も絶対ではない、ということだろうか。

 なんてことを考えていると、なんとなく僕はあの女性に違和感を感じた。

「…………」

 ちょっと後をつけてみようかな。

 僕はこそこそと女性の背後に付く。冷静に考えたら完全に怪しい人なんだろうから、あまり考えないことにした。

 急いでいる様子だった。先ほど先輩と一緒に見た時とは違い、慌てているところを見るに、何かトラブルがあったのだろう。

 何があったのだろう。僕は半分好奇心に突き動かされるようにして、女性を尾行する。

 もし、神谷先輩がこの場にいたのなら、僕のこの行動はたしなめられただろう。

 先輩は、どちらかというと好奇心というよりは、親切心から何かをするような人だ。ああいう性格でなかったら、きっと友達も多かったに違いない。

 もしかしたら、今頃は彼氏だっていたかもしれない。

 彼氏……か。ありえないな。

 僕は頭の中に生じたバカげた想像を鼻で笑う。

 あの神谷先輩に限って、彼氏だなんだというのは似合わないにもほどがあるだろう。

 先輩が誰かと仲睦まじくしている様子など、想像できない。

「それよりも、尾行だ」

 僕は自分の頭の中に生じた、よからぬ想像を追い出して、尾行に集中する。

 なんとなく、自分がマンガや小説の中に登場する探偵になったような気がして、ちょっと楽しかった。

 母さんが知ったらきっと怒るだろうけれど、これはこれで休日の過ごし方としては悪くないなと思える。

 さて、女性の様子はというと。

 小走りだった。息を切らせて走っているが、周囲の人や物を気にしつつなので、あまり速度はないため、尾行事態は可能だった。

 加えて、焦っている様子の女性は僕のような人間がいることなど露ほども考えていないのだろう。チワワの方は、ちょっとだけ楽しそうに走っていた。

 不意に、女性が立ち止まった。なんだ、と思っていると、どこかへと電話しているようだ。

 会話の内容はよく聞こえない。足下でチワワがくるくると回っていた。

 僕はさりげなく、周囲を見回した。

 今更だが、このままじっとしているのはさすがに怪し過ぎる。

 本当に今更だが。しかし動いているのと立ち止まっているのでは、怪しさのレベルが段違いだろう。

 早く終わらないだろうか。なんてことを考えていると。

 チョンチョン、と背後から誰かが背中を突いてくる。

 僕は思わず飛び上がり、悲鳴を上げそうになった。すんでのところで、我慢する。

 危なかった。

 しかし、誰だろう。もしかして警察とかだろうか。

 怪しい人間が怪しい行動をしています、とか通報があったのだろうか。

 僕はゆっくりと、頭をめちゃくちゃ回転させながら、言い訳を考えつつ振り返った。

「あの、これには理由があってですね……」

 ひねり出した言い訳を言い終わるより先に、僕は口を噤んだ。

 なぜって? そりゃあ言い訳をする必要がないことを悟ったからに決まっている。「……えっと、大丈夫?」

 振り向いた先には、困ったように笑う神谷先輩がいた。

 カッと、顔が熱くなる。恥ずかしさが全身を襲った。

 ……穴があったら入りたい。

「だ、大丈夫です。……先輩こそ、何をしていたんですか? 電話もしたのに」

「ええと、ごめんね。ちょっとね」

 神谷先輩は小さく笑うだけで、僕の質問には答えてくれなかった。

 まあ先輩が言いたくないのであれば、無理には聞き出せない。

 それに、聞いたところでどうにかなるものだとも思えなかった。

「まだ、これの使い方がよくわからなくて」

 先輩はスマホを取り出して見せる。

 嘘だろう、と思う反面、先輩ならあり得そうだとも思う。

 それくらい、先輩は最新テクノロジーに弱い。

 スマホ自体は別に最新でも何でもないけれど。

「……それで、あの男の人はどうしたんですか?」

「えっとね、そのことなんだけれど」

 神谷先輩はチラリと僕の背後を見た。つられて、僕も振り返る。

 そこには、今まさに電話を終えたらしい件の女性がいた。

「……こっちに来て」

 先輩が僕を手招きする。ので、僕は大人しく付いていくことにした。

 あの女性のことが気にかからないわけではなかった。が、僕が後を付けたところでどうしようもない状況だったのも事実だ。

 それに、不審者として通報なりをされてしまうと厄介だ。

 神谷先輩には、何か考えがあるのだろう。というふうにも思っていた。

 


          2

 

 

 先輩に連れられて言った先は、とある公園だった。

「ええと……先輩、ここはどこですか?」

「えっとね……ええと」

 先輩は困ったようにワタワタしていた。困るくらいなら連れてくるなと言いたいが、それは言わないことにする。

 まあ、だいたいの予想は付くわけだし。

「もしかして、あの後あの男の人を尾行したんですか?」

「尾行っていうか……ちょっと声とかかけられなくて」

「後を付けたのなら、それは立派な尾行ですよ」

 自分のことを棚上げして、先輩を責めるように言ってしまう。

 とはいえ、事実は事実だ。自分がやっていたからといって、他人の間違いを指摘できないのはよくないことだと思う。

 それはそれ。これはこれ。ただそれだけの話なのだから。

「それで、ここで何をするつもりなんですか?」

 公園の目と鼻の先には一件の家があった。

 最近建てたのだろうか。妙に新しい。将来はこんな家に住みたいな、と外観だけを見て僕は思った。

「実は、真壁君がいなくなる前に二人は別れたんだけれど」

 なるほど。別れた後にあの人は何らかの連絡をもらったらしい。

 あの慌てようからして、確実にいい知らせではないことだけは確かだ。それ以外はわからないけれど。

「あの人はこの家に入っていったの。たぶん自宅だと思うんだけれど」

 まあ十中八九そうだろう。玄関脇にあの男性が連れていたと思われる犬が見えるから。

「それでね、二人で一緒に問題を解決してもらいたいんだけれど、ちょっと手伝ってくれる?」

「……手伝う?」

 ちょっと、先輩が何を言っているのか僕にはわからなかった。どういうことだ? 手伝うとは? 何をどう手伝うというんだ?

「真壁君は、わたしの力のこと知ってるよね」

「えっ……まあそうですね」

 神谷先輩――神谷雫には、常人にはない不思議な力がある。

 いわく、先輩は未来を視通す力があった。その力でもって、僕が知る限りでもいくつかのトラブルを解決か、もしくは回避することに成功している。

 今回もまた、先輩の未来視の力によって、現在あの女性が抱えている問題を解決しようというのだろう。

「もし、二人の協力させることができたら、どうなるんですか?」

「そしたら、二人は幸せになれる」

「幸せに……ですか」

 別に他人の幸せを願うことは悪いことではない。

 ただ、この現状から言って二人を再び合わせることは容易なことではない

と簡単に想像が付いた。

「でも、どうするんですか? 状況はかなり不利ですよ」

 手伝うことはやぶさかではないが、だからといって何か作戦があるわけでもなし。

 状況は芳しくない。

 まずもって、あの男性を家から出すことが難しそうだ。その上、件の女性とまた会わせなくてはならないと来た。

 難しいどころではない。どうやるつもりなのだろうか。

 僕は先輩の計画に不安を抱きつつも、黙って見ていることにした。

「真壁君、お願いがあるのだけれど」

 黙って、見ている、ことにした。

「……先輩、今なんと?」

「真壁君、お願いがあるのだけれど」

 先輩は同じことを繰り返し、言った。僕の聞き間違いじゃなさそうだ。

 悪い予感はしていたけれど、まさか僕にやれというつもりじゃないだろうな、この人。

 僕は例の男性宅を見やる。

 問題はいくつもあるが、一番はやはり不法侵入を犯さなければならない点だろう。

 その上で男性に気付かれることなく、しかし彼を外に連れ出す。

 ここまでで、いくつか犯罪を犯さなければならないとうところが嫌だった。

 嫌だった、というよりダメだろう、それは。

「僕に犯罪の片棒を担げと?」

「そういうわけじゃないけれど……まあそうなるよね」

 実際には片棒どころか、主犯と言われかねない。

 悪質ないたずらとか言われて、説教を喰らうだけならまだしも少年院とか入れられたらたまったものじゃあなかった。

 他人の恋路を応援するためにそんなリスクは犯せない。

「帰りましょう、先輩」

 僕は踵を返して、帰ろうとした。けれど、先輩はその場でじっとしている。

 思い悩むようにして、眉間に皺を寄せて考え込んでいるその姿は、まるでこれから自殺でもする人にも見えた。

 僕には未来予知をする能力なんてない。ないはず、なのだが、その時の先輩の行く末がわかってしまった。

 神谷先輩はおそらく一人でも、計画を実行に移すだろう。けれど先輩はどんくさい人だから、失敗する。

 だから僕は引きずってでも先輩を連れて帰らなければならないのだけれど。

「先輩、神谷先輩。行きますよ」

 僕が何度手招きしても、先輩は頑として動こうとはしなかった。

 それこそ、矢でも鉄砲でもって勢いだ。動かないから勢いなんてないけれど。

「先輩、先輩」

 冷静に考えたら置いていくべきだろう。僕まで巻き添えを喰う必要はない。

 あれだけ忠告したのだから、それで十分だ。

 だから僕先輩をそのままにしていこうとした。したんだけれど。

「……先輩、いい加減にしてください」

 僕は神谷先輩の肩を掴んで、力を込めた。

 けれど、先輩は抵抗してくる。先輩程度の力なら、無理矢理引きずっていくことも可能だろうけれどできることならやりたくはなかった。

「わたしは一人でも大丈夫だから。真壁君は返ってくれていいよ」

 先輩は強情だった。普段はあれだけ気弱そうにしているのに。

 なんだか頭が痛くなってきた。全く先輩は強情だ。

 大丈夫なわけがなかった。先輩には無茶を通り越して無理や無謀と言ってもいいくらいだ。

 本当に、いい加減にして欲しいものだ。

 僕はため息を吐いて、先輩の隣で身を屈めた。

「真壁君?」

「先輩を一人にはできませんよ」

「でも、嫌なんじゃ……」

 僕はもう一度、わざとらしく大きくため息を吐いた。

「そりゃあ嫌ですよ。でも、先輩を犯罪者にするわけにはいきませんからね」

 卑怯な言い方かもしれない。でも、これくらい言わないと先輩は諦めないだろう。

 悪者にはなりたくない。とはいえ、神谷先輩を見捨てて自分だけ離脱するなんてことは無理だ。

 僕の思惑通り、先輩は悩んでいるようだった。

 自分の無理を押し通すか、僕に犯罪の片棒を担がせるか。

「どうするんですか、先輩」

 僕は先輩に詰め寄ってみる。ここまで言えば諦めるだろう、という確信があった。

「……わかったよ」

 しょぼん、と肩を落としながら先輩はそう呟いた。

 僕は胸の内に引っかかるものを感じながら、それでも飲み込む。

 なぜ僕が悪いことをしているような気分になっているのだろう。僕は当然のことを言ったまでだろう。

 別に神谷雫だからというわけではない。誰だって知り合いが犯罪者になるのは嫌なものだ。そうに決まっている。

 それが今は、たまたま先輩だったという話だ。他の誰であっても、僕は同じように行動しただろう。

 それでも、やはり胸の奥に不快感がわだかまる。これはなんだろう。

 神谷先輩の希望を叶えてあげられなかったことに対する罪悪感だろうか。

 もやもやする。僕は一体どうしてしまったというのか。

「……先輩、その……すみません」

「えっ……?」

 僕が沈黙に耐え切れなくなって謝罪を口にすると、背後で先輩の不思議そうな声が聞こえてきた。

「僕のせいで、先輩がつらい思いをしているみたいだったから」

「……ううん。真壁君の言っていることは正しいよ」

 そうだ。僕の判断は正しい。

 相手は名前すら知らない赤の他人だ。面識すらない。

 大丈夫、大丈夫。僕は正しい。

 正しい正しいと自分に言い聞かせていると、背後で大きな音がした。

 ガキンッ! と。

 なんだ、と振り返る。もちろん、先輩もだ。

 僕たちはそろって男性の家の方を見た。すると、繋がれていたはずの犬がゆっくりと出てくるところだった。

 首をしたまま、リードを地面に付けて。

「えぇ……」

 僕は思わずそう呟いた。噓でしょ。

 僕たちが見ている前で、犬はともすれば楽しそうに、どこかへと行ってしまったのだった。

 

  続。

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