第四話 先輩は魔法使い②
警告をされた、のだと思われた。
僕は自室で思案した末、そう結論した。警告を受けたのだ、と。
では、一体何の警告をされたのだろう。当然、一つだ。
聞き込みを止めろ、ということだろう。もっと言えば、神谷先輩に付いて探るのを止めろ。
要はそういうことなのだろう。
しかしなぜ、皐月先生はそんなことを言い出したのか。それが分からなかった。
神谷先輩のことを訊いて回っていたのは何も僕だけではない。
だと言うのに、なぜ僕だけがあんな警告を受けなくていけないのか。
「……まだ若いから」
この世には知らなくてもいいことがあるのだと、皐月先生は言った。それは一体どういうことなのだろう。先生は僕に、何を言いたかったのだろうか。
思えば、僕は入学してからまだ日が浅い。神谷先輩のこともろくに知らない。
別にプライバシーを覗きたいと思っているわけではない。が、もうちょっとだけあの気弱な先輩に付いて知りたかった。
力になりたかったのだ。けれど、それはきっと叶わない。
先輩は一人で抱え込んでいた。僕に相談なんてなく、たった一人で。
僕は足手纏いにしかならないと思われたのかもしれない。実際、僕が神谷先輩の役に立てるとは僕自身思えないのだから、仕方がない。
とはいえ、何もしないというわけにはいかないだろう。僕は先輩の役に立ちたい。
何かないだろうか。
皐月先生は何か知っている様子だったけれど、教えてはくれないだろうな。
僕はベッドから立ち上がると、ぐるりと首を回した。
もうかれこれ一時間ほど、同じ姿勢だったので肩のあたりが固まっていた。
「……僕に何ができるのだろう」
先輩はこうしている間にも、ずっと苦しみ続けている。
あの性格だ。自分を責めているに違いない
これまでの聞き込みから、ざっくりとした様子は分かっている。先輩は霧崎先輩の親友に付き纏っていた。その結果として入院をしなければならないほどの大怪我を負ったわけだ。
そうした事情があり、霧崎先輩は神谷先輩を敵視している。
けれども、そこには神谷先輩なりの事情があったはずだ。なぜなら、何もないのに先輩が同級生に入院が必要なほどの大怪我を負わせる理由がはないからだ。
そのはずだ。
先日の聞き込みでは、ほとんどの人が神谷先輩を信じていなかった。
少なくとも、僕にはそう感じられた。だから、僕だけは先輩を信じていなくてはならない。
しかし、先輩は何らかの秘密を抱えていて、それは僕が知ることのできない類いのものらしい。
皐月先生は神谷先輩のその秘密を知っている。先輩が抱え込んだものを。
「……ああもう」
頭の中がぐるぐると回るようだった。思考が纏まらない。
結局のところ、僕は先輩の役に立つこと、先輩を助けることなんてできないのだろうか。
そんな、後ろ向きな考えが脳裏を過ぎる。
くそ、だめだ!
僕はバッと布団を頭から被った。小さな子供のように体を丸め、目を閉じる。
眠ろう。今は、もう眠ってしまおう。
明日になれば、きっといい考えも浮かぶだろう。だから、今は忘れることだ。
そう、今は忘れてしまおう。
1
「さて、昨日は中途半端なところで終わってしまったわけだ」
霧崎先輩はそう言うと、黒板に何かを書き出した。
誰もいない空き教室。ドラマやアニメだと、恋人たちの甘酸っぱい一幕でも流れるのだろうが、僕たちに限ってそれはない。
先輩が書いているのは事件のあらましのようだった。
そして、それらにこれまで聞き集めた証言を書き加えていく。
とはいえ、素人の聞き込みな上に警察の人も事件性がないと言っていたらしい。
要するに、神谷先輩を犯人だとする霧崎先輩の案は無理がある、というわけだ。
にもかかわらず、霧崎先輩はずっと神谷先輩が犯人だと思っているという。
「……先輩、ちょっといいですか?」
「むっ……なんだね」
さて、では行こうと霧崎先輩は踵を返した。そのタイミングで僕が声をかけたものだから、先輩は背中を向けたまま首だけを僕の方へと向けるという器用なことをしなければならなくなった。なかなかに面白い光景だ。
笑ってしまわないように気を付けながら、僕は先ほど浮かんだ疑問を口にする。
「先輩は神谷先輩が犯人だと思っているんですよね?」
「ああ、その通りだ。これは傷害事件だと思っているとも」
そんな大げさな、とはさすがに言えなかった。
実際、怪我人が出ているわけだし。そしてそれは入院するほどの大怪我でもあることだし。
「……だったら、神谷先輩だけではなく別の線からも捜査をした方がいいのではないでしょうか?」
これだけ聞き込みを続けても何らの成果は得られなかったのだから。
校内だけの聞き込みにも、限界が来ているのかもしれない。
そう思っての提案だったのだが、果たして霧崎先輩に伝わっただろうか。その点は疑問だ。
「……そうだな、その点も考慮に入れる必要があるかもしれない」
「そうですよ。というか、それ以外にない」
「何かな?」
「いえ、何でも」
ここ数日、この人に付いて回って分かって来たことがある。
この霧崎アユという先輩。しっかりとしているようで、ポンコツな部分が散見される。
それも、思い込みの激しいタイプのポンコツだ。これはなかなか厄介な部類だと思われる。
「それで、一体何をしようというのだね?」
霧崎先輩はチョークで黒板を打つ。その度に白い粉が飛び、足下へと落ちていく。
僕は粉の動きを目で追いながら、素早く言葉を見繕う。
「――この前、神谷先輩を目撃した、という人がいましたね」
「ああ、いたね。それで?」
「そこへ行ってみませんか?」
僕の提案に、霧崎先輩の手がピタッと止まった。最後にわずかな白い粉が落ちる。
「ええと、君はつまり、件の犯行現場へと行ってみようというわけだね?」
「その通りです」
まさしく、霧崎先輩の言う通りだった。
僕は先輩に、例の現場へと行ってみようと提案しているのだ。
「事件性はなく、ただの事故として処理されたのなら、簡単なはずですよ」
「それはそうだろうが……しかしな」
先輩は僕の提案を真剣に思案していた。行くことを渋っている様子だ。
それはそうだ、と思う。何せ、親友が危害にあった(と思っているのはこの人だけだけれど)場所だ。あまり気持ちのいい場所ではないだろう。
「どうしても嫌だと言うのなら、僕一人で行って来ますよ」
今のまま、神谷先輩が疑われ続けるのは心苦しい。
この一手が、何かしら疑念を晴らすことに繋がるのなら、僕はやる。
「ううむ……しかしだな」
霧崎先輩は眉間に皺を寄せ、考え込んでしまっていた。
なぜ、それほど悩む必要があるのだろう。嫌だと言うのなら、やらなければいいだけの話だ。何を迷うことがあるのか。
「……分かった。わたしも同行しよう」
「えっと、いいんですか?」
「ああ、構わん。後輩一人に負担を強いるわけにはいかないからな」
「ああ、なるほど」
一応、僕のことを後輩と思ってくれているらしい。
ただの嫌いな奴の知り合い、くらいの位置ではないということか。
そして、この発言で僕はこの人への認識を改めなくてはならないだろう。今まではただのポンコツだと思っていたのだが、案外責任感の強い性格のようだ。
「先輩も来るんですか……」
「なんだ? 何か不満があるのか?」
「あー……いえ、別に不満があるとかではないんですが」
うまくは言えなかったが、なぜかろくな目に遭わないような気がしてならなかった。
とはいえ、一人で行く、というのは少々不安があったことも事実ではあるので、同行者がいる、というのはありがたかった。
「では、いつ行きましょう?」
「今日これから……と言いたいところだが、わたしも予定があるので、週末ではどうだろうか?」
「分かりました。では、日曜にそうですね……駅前集合ということで」
「ああ、分かったよ」
先輩はちらりと時計を見やった。本当に用事があったのだろう。
「では、今日はこれでお開きということで」
「ああ、ではまた終末に会おう」
ひらひらと手を振って教室を出て行く先輩。
僕は先輩が教室から出て行くのを待って、背もたれに体重を預けた。
ああ、なんだか疲れたな。
天井を仰ぎ、心中で呟く。
2
そして終末になった。
僕は最寄り駅から電車に乗り、霧崎先輩との待ち合わせの駅へと向かった。
電車に揺られながら、窓の外を見る。
流れ去る景色は、僕の中の何かを刺激してくるようだった。その言語化の難しい何かは、きっと胸の奥のもやっとしたものに起因しているのだろう。
神谷先輩は何ら悪いことはしていない。あの気弱な人が、そんな大それたことができるとは思えない。ならば、犯人は別にいるはずだ。
今更になって、そのことに思い至る。もし、犯人が別にいるのなら、今から現場に向かうのは危険ではないだろうか。
「いやいや」
警察の話では、事件性はないとのことだし、何も心配いらないだろう。
起こったのはただの事故で、そこに誰かの意思が介在しているとは思えなかった。
だからこそ、霧崎先輩も僕と一緒に行こう、と言ってくれているのだろうし。
そんなこんなと考えている内に、目的地へと他取り付く。霧崎先輩はまだ到着していないようだった。
先日、先輩とは連絡先を交換していた。必要な時以外は連絡しないようにと固く命じられているが、今は必要な時に該当するだろう。
そう判断し、ぼくは先輩にメッセージを送った。
――先輩、到着しました。今どこですか?
未読。続け様に送ってみた。
――約束の時間まで後二分ほどですが、大丈夫ですか?
――あの、約束を忘れたわけではないですよね?
未読。
僕は首を傾げた。
「どうしたんだろう?」
先輩はまだ来ていない様子だし、何かトラブルがあったのだろうか。
僕は周囲を見回してみた。けれど、先輩の姿はどこにもなかった。
そうやって霧崎先輩の姿を探していると、手にしていたスマホが震え出した。
霧崎先輩からのメッセージだ。
――申し訳ない。たった今起きた。
「…………は?」
僕は画面に映っているその一文を読んで、思わず固まってしまっていた。
だってそうだろう? 約束の時間になっても現れず、何かあったのかと心配までした。
なのに、当の本人は寝坊してしまったという。これは怒っていい案件だと思う。
しかし、僕は怒る気にはなれなかった。なぜだろう?
自分の心というのは、分からないものだ。
僕は安堵もしていた。トラブルではないようで、ホッとする。
「それにしても寝坊とは」
もっと時間に厳しい人だと思っていた。学校で会っていた時の雰囲気から、何となくそんな印象を持っていたのだけれど、意外だ。
何と返信するべきか迷って「わかりました」という無難な文句を返す僕。
スマホをポケットに入れ、近くにあった椅子に座る。
このまま待ちぼうけを喰らうハメになるのだろうな、と何となく思った。
霧崎先輩の家がここからどれほどの距離にあるのかは分からなかったが、小一時間は待たされることになるだろうと覚悟を決める。
ああ、僕ってなんて健気な後輩なのだろう。それに比べて霧崎先輩はときたら。
根拠薄弱な理由で同級生を疑い、約束には遅刻する。全くダメな人だった。
「まあ、それが分かっただけよしとしよう」
これからは、霧崎先輩のようない人とは関わらないようにするが吉だろう。
今回の一件が片づいたら、僕はあの先輩には近付かない。それで解決だ。
部活もしていない僕が上級生と絡むことなんて、ないだろうし、その点は大丈夫だと思うけれど。
ともかく、せっかく思いがけずできた時間だ。調査のことを考えよう。
時間は有意義に使わなくては。
3
霧崎先輩が姿を現したのは、それから三時間後だった。
嘘だろ……と僕はスマホの時計とにらめっこをする。
メッセージのやり取りがあってから三時間、僕はずっと駅で待たされ続けていた。
なんだか、へとへとになってきた。帰りたい。
「……申し訳ない。準備に手間取ってしまった」
「手間取ったって、あれから三時間ですよ? 何してたんですか?」
「しょうがないだろう。女子には色々と必要な準備があるんだ」
「必要な準備……」
僕は先輩の全身を眺めた。
残念ながら、僕には女子の服装を含めたあれこれを描写する力はない。
読者諸兄には申し訳ないが、まあおおよそ女子中学生の私服を思い浮かべてもらえればいいのではないだろうか。
「……では、行きましょうか」
「ちょっと待ってくれたまえ、君」
「何ですか?」
僕は立ち上がり、歩き出そうとすると、先輩に手を掴まれてしまった。
振り返ると先輩はもじもじしていた。本当に何?
「ええと……なんだ。あの」
「何か言いたいことがあるんですか? あっ、トイレならあっちですよ」
「ち、違う! そういうことが言いたいんじゃなくて」
「だったら……」
何が言いたいんだ、この人は。
「……だから、あの……」
もぞもぞと体を揺らす先輩。
僕としては一刻も早く調査に乗り出したいところなので、こんなところで油を売っているわけにはいかないのだが。
「わたし、今まで男の子と出かけることなんてなかったんだ。だから……」
「だから?」
ああもう、何が言いたいんだ、この人は。
先輩の妙な態度に、僕は苛立っていた。
だってそうだろう? これからやらなければならないことを考えたら、こんなところでもじもじと油を売っている暇なんてないはずだ。
「どう……だろうか、わたしの格好は」
「……ああ」
なんとなく、先輩の言いたいことが分かった気がした。
霧崎先輩は初めての男子とのお出かけに際して、見栄えを気にしているのだ。
端的に言ってしまえば、可愛いと言って欲しいのだろう。
「ええと、そうですね」
だがいかんせん、僕はここに遊びに来たわけではない。デートのつもりももちろんない。
僕たちは調査に来たはずだった。
何より、僕は別段この人にいい印象はない。
初めて会った時があれだったからなあ。
とはいえ、ここで僕が下手なことを言えば、先輩は気を悪くするかもしれない。
最悪、帰ってしまうこともあり得る。それならそれでいいという気もするが、後々面倒になる可能性も大いにあるわけで。
「……可愛い、と思いますよ。よくお似合いです」
どうしたものかと一瞬迷ったが、結局のところおべっかを使うことにした。
こう言っておけば、とりあえずこの場で不機嫌になられることもないだろうという目論見だ。
「そ、そうか? ふふ、ありがとう」
霧崎先輩はニコッと微笑み、小首を傾げる。
不意にそんな顔をするものだから、ドキリとしてしまう。
「そ、そんなことより、さっさと行きましょう」
「そんなこととはなんだ。……失礼な奴だな」
僕は先輩に背を向け、出口を目指す。
霧崎先輩が遅刻してしまったせいで、あまり時間がないのだ。道草ばかり食っているわけにもいかない。
「僕たちの目的を忘れたんですか?」
「……分かっているさ。ちょっと気になっただけだ」
霧崎先輩は不満げにしていたが、今は先輩の気まぐれに付き合っている暇はない。
一刻も早く、真相を知りたい。そして、神谷先輩の助けになりたかった。
4
事故現場は先ほど僕たちがいた駅から十分とかからない場所にあった。
通りを挟んだ小路に入ると、先ほどまでの人影はスッと消えてなくなってしまう。
人の気配のほとんどないそこは、建物の間に囲まれていて薄暗かった。
ここで、一体何があったというのだろう。僕は背筋が強張るのを感じた。
「ここで、神谷雫は暴挙に出た」
霧崎先輩は振り返る。僕も、先輩に続いて今来た方を振り返った。
小路に人影はなかったが、通りを挟んだ向こう側はたくさんの人が行き来している。
まるで、ここだけ見えない何かに隔てられているかのようだ。
確かに、ここなら何らかのトラブルに巻き込まれても不思議はないだろう。
「一体、ここで何があったのでしょう?」
「分からない。ただ、ろくでもないことがあったのは確かだと思う」
それは、僕も同意見だ。警察が事故だというのならその通りなのだろうけれど、それだけではない何かがあったと見るべきだろう。
「それにしても、じめじめして嫌なところね」
先輩は眉間に皺を寄せ、そう言った。
確かに、ここは嫌なところだ。じめっとしているのはもちろん、得体の知れない不気味さがある。
もしここで人さらいにでもあったら、誰にも気付かれずにあっという間に連れ去られてしまうかもしれない。
霧崎先輩の親友が連れ去られる。その場に居合わせた神谷先輩も同様だ。
悪いイメージは、いともたやすく僕の脳内を浸食していく。
そんなことにはならなかった。二人とも生きているし、さらわれてはいない。
片方は無事とは言い難いけれど、それでも何事もなく過ごしているはずだ。
だから、これはただの妄想だ。すぐに忘れてしまえ。
僕は頭を振り、蔓延る悪いイメージを振り落とす。
「……ねえ、真壁君」
「え? ええと、何か?」
名前を呼ばれ、僕は顔を上げた。すると、霧崎先輩はじっとこちらを見ていた。
真剣な眼差し。きらきらと輝くその瞳に、吸い込まれそうだ。
「なぜ、神谷雫はこの場にいたのかしら? どうしてあの子は、神谷雫を庇おうとするの?」
「それは……」
それは、神谷先輩が何らかの目的でここにいたからだ。
その目的とは、きっと小門先輩に関連するものだ。それが分かれば、先輩への疑惑も晴れるだろう。
「……そろそろ帰りましょう」
「もういいんですか?」
「ええ……この場にいても、何ら得るものはなさそうだから」
霧崎先輩は僕のすぐ側を通り過ぎ、通りへと出て行く。
その背中は、少し自信なさそうに項垂れているように見えた。
5
現地調査は空振りに終わった。僕は霧崎先輩と連れ立って歩きながら、何ら成果のなかった午後の一時を振り返る。
あの場で一体何があったのだろう。それを知る手がかりは、全くと言っていいほど掴めなかった。おそらく、大したことではないのだろう。
それでも、ここまで大事になってしまった以上、そして霧崎先輩がこれほどの執着を見せている以上、何かしらの問題なりトラブルなりがあったと見ていい……のだろうか?
僕は返りの電車を待っている間、ぼうっとそんなことを考えていた。
調査に要した時間はおよそ一時間にも満たなかった。まあ警察が既に結論を出していることでもあるし、今更僕たちのような子供が出しゃばったところで何かが掴めるとは思えなかったけれど。
などと思考を巡らせていると、ふとある疑問が僕の中に沸いてきた。
「……あの、ちょっと訊きたいんですけれど」
「何? わたしに答えられることなら」
「小門先輩に会うことは可能ですか?」
「それは……どうし手かしら?」
霧崎先輩は目を細め、警戒するように僕を真正面から見据えた。
先輩に睨み据えられて、僕は思わず背筋を伸ばす。
「……ここまでやって何も掴めなかったんです。あとは、小門先輩に話を聞くしかない」
ことの真相を知っているのは、もはやその人一人だ。憶測やデマに踊らされる可能性を排除するためにも、小門先輩に話を聞くのが一番だろう。
そう、霧崎先輩に説明する。先輩は思案顔であごに手を添えていた。
「それは……一理ある。……けれど、でも」
先輩は眉間に皺を寄せ、唸った。きっと、小門先輩と僕を引き合わせることに抵抗があるのだろう。
逆の立場だったら、僕だったらどうだろうか。
親友を傷付けた(かもしれない)人間の知り合いとその被害者を引き合わせるためのパイプ役。……うーん、ちょっと嫌だな。
けれど、ここでこの人は断ったりしないだろう。ここまでの短い付き合いの中でも、それは分かる。
「……わかったわ。けれど、すぐには無理よ」
「わかりました。会えるとなったら、連絡をください」
「ええ……そうするわ」
多少嫌そうな顔はされたものの、一先ずは了承してくれた。
あとは小門先輩と会える日程の連絡を待つばかりだ。
6
翌日も翌々日も、霧崎先輩からの連絡はなかった。学校でも、どこか距離を置かれているようだ。
僕としては、それも致し方ないと思う。なぜなら、霧崎先輩からしてみれば僕は親友を傷付けた憎き相手の知り合いだ。あまりいい感情は持っていないのだろう。
それにしたって、約束は約束だ。そろそろ何らかの連絡事項があってもいい頃合いだと思うのだけれど。
「まあ、このままうやむやになってくれるなら、それはそれで」
まだ、神谷先輩は学校に姿を現してはいないようだった。
今なら、何となく先輩の気持ちがわかるような気がする。少なくとも、学校に来ないことに関しては、だけれど。
二人の先輩の間に、何があったのか。神谷先輩からも話を聞ければいいのだけれど。
しかし、僕は神谷先輩の連絡先を知らない。きっと、先輩のクラスの誰も知らないんだろうな。
そこまで考えて、ふと一人の顔が思い浮かぶ。
たった一人だ。神谷先輩の連絡先を知っていそうな人物。
「皐月先生なら……」
あの人なら、もしかして知っているかもいしれない。そんな期待が胸の中に渦を巻く。
皐月先生は前々から神谷先輩と知り合いだったらしく、割と気安い間柄みたいだ。先生苗ら、もしかしたら先輩から何か聞いている可能性は多いにある。
けれど、そう簡単には教えてくれないだろう。何せ怪我人が出ているのだ。
当たってみる価値はあると思う。けれど、期待は薄い。
なら、やはり霧崎先輩の親友だという小門先輩に来たいするより他にないだろう。話が聞けることを祈るばかりだ。
僕としては、一日も早くこの件が片付くことを願うばかりだ。
なんてことを考えながら、学校へ到着する。
下駄箱で靴を履き替えていると、見計らったかのように校内放送が鳴り響く。
『――一年C組、真壁陸。職員室に来なさい』
僕は上履きを手にしたまま、固まっていた。
何だろう? なぜ、僕は職員室に呼び出されてしまったのだろう?
呼び出しの理由が分からなず、困惑する。
首を傾げつつ、靴を履き替えて職員室へと向かう。
職員室には、まばらに先生たちの姿があった。皐月先生を探して、視線を彷徨わせる。
「先生」
僕は皐月先生を見付けて、近付いていく。先生はじっとPCの画面を見詰めたまま、動かなかった。
「……先生?」
「ああ、真壁か」
振り返った皐月先生の顔色は優れなかった。きっと疲れているんだろう。
先生は僕の顔を見ると、はあと溜息を吐いた。突然なんだ?
「ちょっとこっちへ来い」
皐月先生は立ち上がり、僕を手招きする。
僕は先生に付いて行く。皐月先生は大きな歩幅でぐんぐんと進んでいくものだから、後を追うのは大変だった。
先生が立ち止まったのは、校舎裏にあるボロボロの小屋の前だった。
以前、過去建てられた絵画の飾られた小屋があったが、あれとは別の場所だ。
あちらはまだ厳かな感じがしたが、ここはどちらかというと家畜小屋だったのだろうと思われる名残が多々あった。
その一つが、祖父の家に行った際に度々見かけるニワトリ用の餌箱らしきものだ。
「……真壁、おい真壁」
「あの、そんなに何度も名前を呼ばれなくても聞こえていますよ?」
「だったら、貴様は先日の私の言葉は無視した、ということでいいんだな?」
先日の私の言葉、とはやはりあの人気のない教室での一幕のことらしい。
なんとなくそんな気はしていたが、やはりあれは警告だったのか。
「無視……っていうと違います。僕はただ、先輩のことを放っておけないと言いますか」
「……はあ、まあ貴様の言わんとしているところは分かる」
皐月先生は溜息を吐くと、目頭のあたりを抑えた。相当お疲れの様子だ。
「けれどな、真壁。あれのことは貴様にはどうしようもいないことだ」
「どうしようもないって、そんな……」
「私の方でも手は尽くしているが、心の傷というものはなかなかに厄介なんだ」
「心の……傷?」
「……この際だから話しておこう」
皐月先生は僕から視線を外すと、上空を仰いだ。僕もつられて、空を見上げる。
快晴だった。雲一つない陽気。
こんな日に、神谷先輩は自宅に引き籠っているのかと思うと、いたたまれない気持ちになる。
そんな先輩を何とかしたくて、元気付けたくて、僕はここまでできることをやってきた。
けれど、そんな僕の行動は余計なお世話だったのかもしれないと、先生の態度から思えてしまう。
「あれは複雑な事情を抱えている。これに関しては私の口からは詳しいことは言えない」
先生は目を閉じ、思案する。
何を話すべきか、何を話さないべきか。それを考えているのだろう。
「……ことの顛末を話ておこう」
皐月先生は目を閉じたまま、そう言った。
ことの顛末。つまり、今回の騒動の発端となった事故のことだろうか。
「あれは実際には事故ではない」
先生の断定的な口調に、僕はまゆを潜めた。
「は? ……でも、警察の話では事故ということになっていたのでは?」
「ああ。まあ証拠もなく、事件として処理することはできなかったんだ」
だから、事故扱いになってしまったのだと、先生は言う。
「入院中の小門」
「えっと、神谷先輩に襲われたという噂の」
正直、あの噂は嘘だと思っている。
先輩にそんなことが可能だとは思えないし、第一そんなことをするメリットがない。
理由もなしに、入院するほど痛めつけるなんてことがあるのか。甚だ疑問だ。
「その小門は一人の男に襲われそうになったんだ」
「襲われ……それって」
「婦女暴行。そういう類いの話だよ」
苦虫を噛み潰したような先生の表情に、僕は二の句が継げなかった。
それは、人としての尊厳を踏みにじる、卑劣な行為だ。断じて行われるべきではない、最低の行い。
「まあ、実際には未遂で終わったわけだけれど」
それはよかった。本当に。
「でも、どうやって……」
僕は先日、霧崎先輩といった場所の記憶を探り出す。あの場所は人通りから外れていて、よほど大きな声を出さなければ気が付かないだろう。
「……それはな、あれの持つ能力に起因する」
「の、能力……?」
ずいぶんと突飛な言葉が飛び出してきた。どういうことだ、能力って。
僕は先生の言っていることの意味が分からず、困惑する。
だってそうだろう? 能力って……そんな小学生じゃあるまいし、そんな言葉が通用すると本当に思っているのだろうか。
僕の訝る視線を感じたのか、皐月先生は再び溜息を吐いた。
「まあそういう反応をしてしまうのは分かる。が、これは厳然たる事実だ」
「せ、先生?」
先生は真正面から僕を見据える。腰に手を当て、威圧的な態度で見下してくる。
「あれは……神谷雫は未来を見通すことができる、魔法使いだ」
「ま、魔法……使い?」
何を言っているんだ、この人は。
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