その店

糸川

1

その店は、異様な程静かだった。

時おりスプーンや食器のかちゃりという音がするだけだ。

皆、何を食べているのだろう。

皿を抱え込むようにして夢中で食べている。

ちら、とこちらを見る客もいたが、またすぐに目の前の皿に戻る。

何かよほどうまいものでもあるのだろうか。


発着場を抜けると円形の大きな広場があり、広場の先には野菜や日用品や土産物をごちゃまぜに扱う市場がある。

「今朝とれた野菜だよ」

「きれいな布あるよー」

「何を探してる?見て行きな」


全ての呼び込みをふらりふらりとかわしながら歩く。市場の東の端の方には、ぽつぽつと食堂が並ぶ。ろくに看板も見ないまま、木の引き戸を一人通れるくらい開けている店に入った。簡素なカウンターにテーブルが3卓。5、6人の客。テーブルも椅子もいかにも安っぽい大衆食堂の感じで、気取らない料理を出す店のようだ。カウンターの向こうで、おかみさんらしき女性が「いらっしゃい」と声をかける。紺のエプロンをした、いかにもおいしい物を作りそうな色つやのいい肌の中年女性だ。カウンター席に座ると、すぐにコップの水が置かれた。

「メニューは壁にあるからね」

「はい」


壁に貼られた大きな紙を見る。黒のマーカーで雑にメニューが書かれている。俺は驚愕した。K星のダランダ、A星のフオラ、I星のソアムームがある。色々な星のメニューがずらりと並んでいるのだ。料理の横には必ず星の名がある。その数は50種はあるだろうか。こんな店があるとは。ほとんどの料理は、俺が見たことも食べたこともないものだった。


チキュウは…

夢中で探す。あった。


・じゃがいもを揚げたもの、赤いソースつき チキュウ

・すき焼きのようなもの チキュウ


じゃがいもはフライドポテト、赤いソースはケチャップのことだろうか。すき焼きのようなものってなんだ。よく分からないまま、俺はその2品を頼んだ。


「はい、おまちどおさま」


ほどなくして、やや大き目のフライドポテトが目の前に置かれる。じゃがいもを皮付きのまま切って揚げて塩をふったもの。小皿に赤いとろりとしたソースが添えられている。揚げたて熱々のじゃがいもを手でつまみ、ソースをつけて一口かぶりつく。この甘い中に辛みとほんのり酸味のある味はケチャップではなく、東南アジアの調味料ではないか。確かその名はサンバル。なぜサンバルなのだろう。揚げたじゃがいもとサンバルの組み合わせがこんなに合うとは。不思議と手が止まらなくなる。


次に運ばれたどんぶりには、ごはんの上にひき肉とネギ、小さく切った豆腐を煮たものがのっている。上には温泉卵。この香りは「すき焼きのようなもの」ではなく、まさにすき焼きではないか。何年ぶりだろうか、甘じょっぱい香りが食欲を刺激する。俺はどんぶりを抱えて貪るように食べた。豆腐にもじゅわりと味が染みている。温泉卵は大事に取っておき、途中で崩して肉と絡める。味の染みたごはんと具と卵が混然一体となってたまらない。


混ぜて食べるのは行儀が悪いかなという考えが頭をかすめる。同時に、これまで行儀悪く食べたものたちのおいしさが瞬時に頭に浮かぶ。ほかほかの白いご飯にバターと醤油一滴をたらしたもの。ケーキのフィルムについた生クリーム。歩きながら食べた肉まん。一流のものを美しい空間で味わえば、それはありがたく嬉しい。だが、何でもないものを行儀悪く食べる密かな喜びも確かにあるなと思う。


食べ終わって落ち着いた俺は、おかみさんと少し話した。

「どうだった?」

「すごくおいしかったです、本当に」

「よかった」

「どうしてこんなに色々な星の料理があるんですか」

「旅先で自分の星の料理を食べるとうれしいかなって思って。仕事で何年も自分の星に帰れない人もいるもんね」

確かに、俺が最後に帰ったのは2年前だ。

「最初は、この星の料理しかやってなかったんだけどね、お客さんのリクエストでどんどん増えちゃって。手に入らない食材も多いから、そこは適当にアレンジしてる。時々、全然違うとかちょっと残念って言われちゃうけどね。そしたら具や味付けを相談して変えてるんだ。私は本場の味は知らないけど、多分お客さんの力でだんだんおいしくなっているはずだよ」

「なるほど」

「さっきの豆腐は冷凍だよ。きのこがあれば入れてみたりもする。あるもので適当にね。じゃなきゃやっていけないよ」

それで豆腐がぎゅっとした食感で味が染みていたのか。

「お土産に調味料をくれるお客さんもいるよ」

それでサンバルなのかもしれない。


周りを見ると、薄い紫色の目をしたE星人が大切そうにエメラルドグリーンのぷよぷよしたものをスプーンですくっている。肌が発光しているC星人は、何か豆を炒めたようなものを食べている。フォーク状のしっぽを持つP星人は黄色っぽいスープに何かがごろごろと入ったものを食べている。よく見ると、手慣れた様子で薄いパンのようなせんべいのようなものを時々スープに浸して食べている。あのスープはなかなかうまそうだ。きっとP星人にはたまらない食べ物なのだろうな。


皆が懐かしい自分の星の料理を食べ、おそらく遠い自分の星に思いをめぐらせている。だからこの店は異様に静かなのかもしれない。次は、あの黄色いスープを頼んでみようか。俺は満ち足りた気分で店を出た。

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その店 糸川 @itokawa

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