魔法使いと穴と僕。

 ある日、僕は深い、すごく深い穴へ落ちてしまった。

 元を辿ればあの脳筋魔法使いのせいだ。

 時間は今から、多分ちょっと前くらい。


 ※


 お昼はいつも通り、水くみに勇者が行って、枝集めは武闘家、ご飯の準備をするのは僧侶。僕はそれを定位置で、いつも通り眺めているだけの簡単なお仕事。


 そんな中、魔法使いだけが、腹が減ったとか、動けねーとか騒いで、全く手伝おうとしなかった。これもいつものことなんだけど。


 だけども今日はいつもと違って、魔法使いは僕を黙って見ていたかと思うと、にやりと笑って、いつもの二倍の早さで僕を鷲掴みにしてきた。


「なに!? なになに!? いたい! まほうちゅかい、いたい!」


 離せと主張するように身体全部を使って逃れようとするけれど、やはり脳筋魔法使い。そう簡単に離してはくれなさそうだ。


「むー! むむむー!」

「美味そう……、食えっかなー」

「いやー!」

「なー、おっさん。これの皮を剥いでさー」

「……」


 魔法使いの言葉に、無言で顔を上げた僧侶の手には、研いだばかりの包丁が、これでもかというほど太陽の光を反射してギラついていた。


「いやーーー!」


 僕はもう無我夢中で手から抜け出した。食われて人生終了とか笑えたもんじゃない。

 てか、食われたら勇者倒せないじゃないか!


 そんなこんなで走って(いや転がって)、そのままこの穴の中に真っ逆さまというわけ。

 これも全部魔法使いのせいだ。いや、魔法使えないし、脳筋野郎で十分かもしれない。


 あーあ。

 遙か上に見えるお天道様が恨めしい。今頃、勇者戻ってきてるかな……。呼んだら気づくかな。


「ゆうちゃー!」


 声の限り叫んでみたけど、悲しく反響していっただけで、呼んだ本人が出てくる様子は全くない。

 まだ戻ってないのかな。それとも、僕がいないことに気づいてないのかな。


 もしかして、勇者誰かに倒されたのかな。


「ゆうちゃ、ゆうちゃ……! うわーん、ゆうちゃー!」


 やだやだ! 勇者は僕が倒すのに!

 そうだよ、倒されたら僕が困るから、こんなに焦ってるんだ! 断じて怖いからとか、淋しいからとか、そういう理由じゃない。


「ゆうちゃー!」

「お、いたいた。非常食、生きてるなー」

「まほうちゅかい!? いやー!」


 ひょこりと顔を覗かせたのは、なんと魔法使い改め脳筋野郎だ。逆光で表情がよく見えないけれど、脳筋野郎は笑い声を響かせて、掛け声と共に軽い足取りで着地した。


「いやー!」


 逃げようとした僕を、脳筋野郎はひょいとつまみ上げた。食べられると思った僕は目をぎゅっと閉じたけれど、どこかふわりとした暖かさに違和感を感じて、恐る恐る目を開ける。

 脳筋野郎は僕を肩に乗せて、うーんとお天道様を見上げていた。


「まほう、ちゅかい?」

「安心しろって。食わねーから。あいつらはともかくとして、おっさんに三枚おろしにされそうだからな」


 そう言ってにかっと笑った。

 本当に大丈夫か心配になったけれど、このまま僕一人ではどうしようもないし、仕方がないから大人しく乗っていることにする。


「よし、登るぞ! 落とされないように気をつけろよ!」


 登る? この断崖絶壁にも近い穴を?

 僕が何か言う間もなく(言ったとしても無意味だろうけど)、脳筋野郎は掛け声をかけて準備体操を軽くして、ひとつ伸びをしてから、ロッククライミングよろしく登り始めた。


「まほうちゅかい、こわい……!」

「よしよし。ちゃーんと引っ付いてろよ」


 器用にずんずんと足やら手を使って登っていく。たまに岩が崩れてひやりとしたけれど、脳筋野郎は焦りを見せずに登っていく。

 脳筋はやっぱりこんな時も脳筋なんだなと感心していると、半分くらい登ったところに少し出っ張りがあって、壁に背中を預けるようにして脳筋野郎は休憩しだした。


「やっぱたけーなー」


 額の汗を拭って上を見る。

 さっきより空は近くなったけれど、まだまだゴールには遠そうだ。


「非常食、さっきは悪かったよ。非常食は最後まで取っておくもんだもんな」

「え」

「ははっ。さてラストスパートと行くぜ、しっかりくっついとけよ!」


 こいつが言うとどこまでが本気で冗談なのかわからない。いやでも、目を見る限り本気ではないような気もする。


 脳筋野郎はまた軽々と登っていって、やっと外に出られた時には、もう日は沈みかけていた。お昼ご飯どころか、もうすぐ夕ご飯の時間だ。

 これもそれも、この脳筋野郎のせいだ。


 僕はこの苛つきを込めて、ありったけの力でこいつのほっぺにグリグリと身体を押し付けた。でもこいつは嫌な顔をひとつせずに、


「よしよし。ほいじゃ、腹も減ったし帰るとするかね」


と欠伸をしてから、脳筋野郎は歩き出した。

 その間も、特に僕を食べるような素振りは全く見せずに、勇者たちが野営の準備が整った頃には合流できた。


 能天気な勇者は「おかえり」と笑う。

 何がおかえりだ。危うく僕は食べられるところだったんだぞ。いや、もしかしたらそれが狙いだったのかもしれない。

 勇者まじ勇者。侮れない。


「もう! クライフさんがいないから、お昼ご飯大変だったんですよ!」

「あー、わりーわりー」

「まぁまぁ、フロイと遊んでくれてたんだよ。たまにはいいじゃないか」


 大変だった? この脳筋がいないだけで?


「じゃ、オレ先に食うわ」

「いつもありがとう、助かってるよ」

「いーってことよ」


 いつも? 一体なんだろうと思って、僕は脳筋野郎の肩からぴょんと勇者の肩に乗り移って、勇者のほっぺをグリグリしてみる。


「なに? まほうちゅかい、なに?」

「そっか、フロイは知らないのか。クライフはね、僕らが安心して休めるように、いつも“魔法”をかけてくれてるんだ」


 そんな便利な魔法があったのか。

 あれ、でもおかしいな。こいつ脳筋じゃなかったかな。

 脳筋野郎は親指をぐっと立てて「任せとけ」と笑った。


 ご飯をかき込むように食べた脳筋野郎は、いつも持ってる杖を片手に、僕らの輪を離れていく。

 確かにあいつは脳筋で、どこまでが嘘で、本当なのかわからないけれど、僕らが安心して食べられるのがあいつのお陰というのなら。


 脳筋野郎。ではなく、魔法使い、と呼んでやってもいいかもしれない。

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