第3話 山は動いた。

 

 


 ヒット&アウェイならぬ、アウェイ&アウェイで何とか4ラウンドを逃げきった羽沢が赤コーナーに戻る。

セコンドの田原が羽沢をタオルで仰ぎながら、小声で指示を送る。

「バードンの汗の量が増えて肩で息をし始めてます。次のラウンド、プランBで行きましょう」


「え?プランB?大丈夫なの?」

羽沢が驚いた顔で聞き返した。


「バードンはかなり焦ってます。何とか1発当てたいから次は今までより強引に接近して来ますよ」 


「それ余計に危ないんじゃない?」


「いや、チャンスです。スタミナはまだ大丈夫ですよね?」


「うん、大丈夫。マススパーの時の方がしんどかったくらい余裕がありますよ。君の体は凄いねえ」


「とにかく今までよりサークリングを遅くして、向こうが強引に出て来るのを誘ってください」 


「それはつまりどういう事?」


「早いステップで来たら逃げる。ダラダラと来たらプランBです」 


「はい、分かった。それじゃあインターバル終了後にバードンの接近を誘いましょう!はい、一旦5ラウンド!」


5ラウンド開始のゴングが鳴る。

羽沢は、少しスピードを落としたサークリングで様子を伺う。リングの中央でバードンJr.が仁王立ちし、グローブで来い来いとアピールする。

海外の客だけでなく、地元の観客もバードンJr.のアピールに拍手を送る。

羽沢は、観客の反応など意に返さずサークリングを続ける。

バードンJr.のセコンドから羽沢のスピードが落ちてるぞ!と声が聞こえてきた。

するとバードンJr.はステップせず、やや小走りで羽沢に接近した。


「プランB!」

田原が羽沢に大声で指示を送った。

すると羽沢は、重心を低くして急接近するバードンJr.のボディにカウンターのジャブを1発見舞った。

バチン!という音が琵琶湖に響き、観客からどよめきが起こった。


5ラウンド、ついに初めてのパンチが当たった。


バードンJr.は効いたのか、バックステップで羽沢から距離を取った。


「良いですよ!そのままサークリング続けましょう!」

田原が現状維持の指示を送る。

猛特訓したプランBが思い通りに成功した羽沢は気が緩んだのか、ガードしていた両手を下げてサークリングを続けた。


「ガードは下げないで!」

田原が慌てて指示を送った。


その瞬間、バードンJr.が2ステップで羽沢の目の前に接近した。


「プランX!プランX!」

田原が3種類のプランの中で最後に出すはずだったプランXの指示を出した。


すると羽沢は足を止め、ガードを固めながらロープを背にして左右に頭を素早く振った。


1発で決めようと慌てるバードンJr.のパンチは大振りでなかなか当たらない。


羽沢は、ロープから上半身が場外にはみ出るほどのけ反った状態でバードンJr.に英語で挑発的な言動をぶつけた。

「優勝劣敗の世界でこんなインチキ団体を選んだ君はハッキリ言って弱い!」


「うるせえ!黙って殴り合え!このチキン野郎!!」

挑発に乗ったバードンJr.の攻撃が更に大振りとなり益々有効打が出ない。


プランX。

徹底したガードを貫きながら、言葉で相手を追い込む作戦である。

羽沢のボクシング技術と、田原の卓越した煽りのディベート術を合わせた2人にしか出来ない最終奥義だ。


「君のパンチ力は凄い!フィジカルも凄い!じゃあ何で当たらないんだろう?」


「プロモーターってのはねえ、君を賭けの対象でしか見てないの!つまり投資じゃなくて投機なの!」


「ボクシングって知ってる?」


羽沢の数々の挑発的な言葉で、セコンドの落ち着けという指示も聴こえないほど冷静さを欠いたバードンJr.は、やみくもに手打ちのパンチを出し続け、無駄に体力を消耗していった。


羽沢も素早いディフェンスをしながら喋り続けた事で、呼吸が乱れスタミナが落ちて来ていた。


バードンJr.の猛攻が止まった。

完全にスタミナが切れたバードンJr.はガードを下げ後退りしていく。


「プランG!プランG!」

田原が指示を送ると、羽沢は前進し、バードンJr.の顔面めがけてワンツーを繰り出した。


18cmの身長差により、羽沢のパンチは顔面には当たらず、その下のアゴをかすめた。


それが功を奏してバードンJr.の脳が揺れ、その巨体がマットに沈んだ。

倒れ方が危険だと判断したレフェリーが試合を止めた。


その瞬間、観客達のどよめきと歓喜の入り混じった歓声が琵琶湖の湖面を激しく揺らした。



まさに誰も予想だにしなかった大逆転劇、

「近畿の奇跡」が起こったのだった。



勝利の手を上げた羽沢が真っ先に田原のもとへ向かう。

「羽沢さん!!やっちゃったよ!!羽沢さんの指示通りやったら勝っちゃった……え?…羽沢さん?ちょっと!羽沢さん!?」


田原は目を瞑ったまま、燃え尽きたようにエプロンサイドにうなだれていた。


田原が手に持っていたチャンピオンベルトがキラキラと輝き出した。


その輝きは「堂島トレーナーからの賞賛」だと確信した羽沢の目に、大粒の涙が溢れ出した。


セコンドとして全力を尽くした羽沢とベルトの中から喜びのサインを送った堂島トレーナーの姿を見て、あの田原総一朗が泣いたのである。


まさに「鬼の目にも涙」だ。



————————————————————



 それから数日後の深夜、羽沢はチャンピオンベルトと堂島トレーナーとボストンバッグを担いで、田原総一朗と共にあの神社へ向かった。 


階段を昇り切った2人は、神社から1番下の階段を眺めながら、転がり落ちるための準備をしていた。


2人はボストンバッグから甲冑を取り出し、自分達と堂島トレーナーに装着した。


「勝って兜の緒を締めて転がり回って元戻り」という計画は果たして成功するのか?

そんな不安に駆られた田原の中の羽沢は、羽沢の中の田原に問うた。

「元に戻らなかったらどうします?」


羽沢の中の田原は迷うことなく言い切った。

「ぶっ倒れるまで転がろう!」


3人の階段落ちは、朝4時まで徹底的に続いた。




結果、今回は元に戻らなかったが、来月の最終金曜に再びこの階段で転がり落ちる約束をした。


(おわり)

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近畿の奇跡 〜総一朗とぼくの1ヶ月〜 蛾次郎 @daisuke-m

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