第41話 久遠の魔鏡

 息を切らして駆け込んできた青藍を見て、紫遠は仰天する。

「あいつが来た、ド近眼の、月影だ」

 青藍が叫ぶ。

「やはり来たか」

 紫遠は月影の到来を予測しているようだった。紫遠が元の時代に戻ってしまえば、任務は失敗だ。月影が儀式の遂行を許すはずがない。

 洞窟内に黒い影が滑り込んできた。月影は紫遠を射貫くような目で見据える。

「残念だったな、紫遠。ここがお前の墓場となる」

 月影は月輪を紫遠に向けて突き出す。その表情には勝ち誇った笑みが浮かんでいる。


「俺は宗王朝の皇子だ。国を、家族を、親友を守るために行かねばならない」

 紫遠は真っ直ぐに背を伸ばして立ち、月影と対峙する。その凜とした眼差しに、月影は一瞬吸い込まれるような錯覚を覚えた。月影はそれを振り払うように月輪を構える。

 月影はこれまで以上に本気でかかってくるだろう。そして紫遠は丸腰だ。青藍は緊張の面持ちで二人を見比べる。


 月影が動いた。両手につけた月輪が闇を舞う。紫遠は辛うじてそれを避ける。蝋燭の火が風に揺らめき、影が踊る。紫遠が身をかがめ、下段の蹴りを放つ。月影は地面を蹴って飛び、それをかわした。着地と同時に、紫遠に斬りかかる。紫遠の腕を月輪が掠り、鮮血が迸った。紫遠は腕を押さえて後退る。

「紫遠」

 青藍の悲痛な叫びが洞窟内に響く。このままでは紫遠が殺されてしまう。そうだ、鏡を使って紫遠を元の時代に戻せば、この場から逃げることができる。しかし、通路に置いた手鏡は月光を反射していない。まだ雲がかかっているのだろうか。


「鏡が割られている」

 青藍は青ざめる。通路に配置した手鏡が月影によって割られていた。これでは月が出たところで光を反射させることはできない。

「くっ」

 紫遠が苦悶の呻きを上げる。鋭い刃が脇腹を掠り、着物がぱらりと裂けた。肌にうっすらと赤い筋が走る。月影の攻撃は激しさを増していく。狭い洞窟内では逃げ場もない。

「青藍、すまほだ。すまほで月を映せ」

 紫遠が叫ぶ。青藍は頷き、洞窟の外へ向かって走り出した。頭上を見上げると、厚い雲間から月が姿を現わした。尻ポケットからスマートフォンを取り出し、月を撮影する。


 青藍はすぐに洞窟内に引き返す。石仏の前で月影が紫遠をじりじりと追い詰めている。青藍は天禄鏡を取り出し、スマートフォンで撮影した月を映した。天禄鏡が蒼い光を放ち始める。それを祭壇の辟邪鏡へ向けた。

「何っ、一体どうやって」

 月影は驚いて振り向く。青藍がスマートフォンを手にしてニヤリと笑っている。

「じゃあな青藍、俺の時代のこと、俺が生きた証、絶対に伝えてくれよ」

 光に包まれながら紫遠は笑顔を向ける。

「ああ、約束する」

 青藍は力一杯叫んだ。

 二対の鏡が閃光を放つ。その眩しさに目を開けることができない。洞窟内に蒼い光が満ち、やがて弾けた。


 ***


 光が収束し、洞窟内を静寂が支配する。青藍はうっすらと目を開ける。祭壇の上の蝋燭の火が揺らめくのが見えた。周囲を見渡すと、紫遠の姿は無かった。

「良かった、無事に元の時代に戻れたんだな」

 青藍は大きなため息をついて、その場にへたり込んだ。そう言えば、あいつはどうした。ハッと気がついてもう一度周囲を見渡すが、洞窟内にいるのは自分一人だけだ。

「まさか、月影も連れて帰ったのか」

 あの土壇場で、なんという男だ。紫遠は月影を見捨てなかった。月影が油断した隙に残り1つの水晶を握らせたのだろう。


 不意に洞窟内に足音が響く。こちらに近付いてくるようだ。青藍は警戒して立ち上がった。

「月影」

 おずおずと顔を覗かせたのは、一人の少年だった。見覚えがある、ここで紫遠と戦ったとき膝をついた月影を庇った少年だ。少年は洞窟内を見回す。探し人の姿は無く、ひどく落胆している。

「月影を探しているのか」

「うん、俺の友達だった」

 少年は涙ぐんでいる。あの月影の友達か、青藍は意外に思った。

「そうか、彼は無事に元の時代に戻ったようだ」

「じゃあ、あのにいちゃんと一緒に帰ったんだね」

 どうやら少年も事情を知っているようだった。青藍は蝋燭の後始末をして少年とともに洞窟を出た。


 空を見上げると、嘘のように雲は晴れて月が輝いていた。残された二人、顔を見合わせる。

「青藍。柊都大学に通っている。ああ、でももう辞める予定なんだけどさ」

「俺は冬波、本当は陽湖っていう名前なんだけど、月影がそう呼んでた」

 二人はぎこちなく握手を交した。冬波は紫遠が持ち込んだ封筒の宛名を思い出し、ハッと顔を上げる。封筒の当て名は確か青藍だった。紫遠は彼の母親にお金を送ろうとしていたのだ。彼が大学を辞めると言ったことに関係があるのかもしれない。ほぼ初対面なのに、突然そんな込み入った事情を聞くのはさすがに躊躇われる。

「もう遅い、俺は帰るよ。君はどうする」

 青藍は駐車場に向かって歩き出す。冬波は慌てて後を追う。大学のことを聞き出すきっかけを失ってしまった。


 二人は並んで城壁脇を歩く。

「なあ、月影ってどんな奴だった」

 青藍に訊ねられ、冬波は腕組をしながら考える。

「ぱっと見は怖いけど、ちょっと抜けてるところがあって、悪い奴じゃないよ」

「へえ、そうなんだ」

 紫遠をあれほど追い詰めた恐ろしい男のことを少年が親しみを込めて語っている。青藍は意外に思った。

「この間は、青梗菜炒めと間違えて植木の草を箸で掴もうとしたんだよ。それに、靴を買いにいったら左右逆に履いちゃってさ」

 月影が紫遠を追って現代にやってきた三日間、冬波は彼との時間が忘れられないようだった。愉快な調子で明るく話しながら、零れ落ちそうな涙を拭っている。


「紫遠はどんな人だった」

 冬波が青藍を見上げる。

「お調子者で底抜けに明るくて、熱い心を持っていたよ。あいつ、あれでも皇子様なんだぜ」

 笑っちゃうよな、と言いながら青藍も鼻を啜った。

「紫遠は月影を元の時代に連れて帰ったんだ。大丈夫、あいつならきっと悪いようにはしない」

 青藍の力強い言葉に、冬波はうん、と頷いた。


「え、君何歳なの、車でここまで来たのか」

 駐車場に停めた小型トラックに乗り込もうとする冬波を見て、青藍が目を見開いて驚く。

「俺14歳だよ」

 当然無免許だ。交通違反はしたこと無いよ、とエンジンをかけながらピースサインをつくる。それを聞いて呆れ果てている青藍に、冬波は思い切って訊ねた。

「ねえ、青藍は大学が楽しくないから辞めちゃうの」

 冬波の問いに、青藍は一瞬俯いて口ごもる。

「大人の事情だよ。正直言うと、母さんが病気なんだ。傍についていてあげたい」

 それを聞いて、冬波の心はズキンと疼いた。幽風は青藍の母にお金をきちんと届けるだろうか。ゴミ箱に丸めて捨てられた封筒を思い出し、不安を覚える。

「じゃあ、気をつけてな」

 そんな冬波の思いを知らず、青藍は手を振ってスクーターに乗り込み、駐車場を出ていった。

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