第40話 友との別れ

 柊都城門を出て、北へ。青藍は紫遠を乗せてスクーターを走らせる。街の灯が届かなくなると、頭上の星が輝きを増す。月も高くなり、蒼い夜空を照らしている。

 片側二車線の道路は空いていた。この時間に郊外へ向かうのは業務用の大型トラックくらいだ。時折、猛スピードのトラックがスクーターを追い抜いていく。砂埃にやられて、紫遠がくしゃみをした。

 暗い道路は果てしなく続いている。スクーターの頼りないヘッドライトがぼんやりと闇夜を照らす。右手に柊城映画城の看板が見えてきた。洞窟まであと十五分ほど。


 柊都映画城の駐車場にスクータ-を停める。ナイトショーも九時で終わり、駐車場はガラガラだ。城壁の脇を抜けて、洞窟を目指す。警備員が向こうからやってきたので、壁に背中をつけて息を潜める。

「この時間に見回りをしたなら、しばらく回ってこないだろう」

 気怠げにタバコを吹かしながら警備員が通り過ぎていく。それをやり過ごし、青藍と紫遠は北の端の洞窟へ向かう。


 洞窟内に入り、青藍はバッグから蝋燭を取り出した。ライターで火をつけ、十本ばかり祭壇に立てる。

「儀式の雰囲気があるだろう」

 青藍はこれから時空を越えるという前代未聞の儀式をすることに興奮しているようだ。青藍は紫遠に紙袋を手渡す。中には紫遠がこの時代にやってきたときに着ていた宗王朝の着物が入っていた。

「俺はこの時代の服が気に入っていたんだけどな」

 紫遠は着替えたくなさそうだったが、しぶしぶジーンズを脱ぎ始める。

「これは履いておく」

 そう言って、パンツはそのままに着物に着替えた。


「鏡を配置しよう」

 青藍は雑貨店で買ってきた手鏡を取り出す。月光を洞窟内に導くために使うものだ。手鏡には取っ手に丸い穴が開いていた。青藍は紫遠と共に、角度を調整しながら洞窟の壁に釘を使って手鏡を取り付けていく。洞窟の岩は固く、力一杯金槌を入れる必要があったが、腕っぷしの強い紫遠のおかげで何とか取り付けが完了した。


 洞窟の外に出て、月を見上げてみる。先ほどより雲が厚みを増しているようだ。

「天気が崩れそうだ。早く儀式を進めないと」

 足早に洞窟へ戻ろうとする青藍の腕を、紫遠が掴んで引き留めた。月明かりに照らされた黒曜石の瞳がまっすぐに青藍を見つめている。

「青藍、ありがとう。お前とはずっと昔から親友だったような気がする」

 紫遠の言葉に、青藍はぎこちない笑みを浮かべる。

「やめろよ、何だよ改まってさ。俺たち3日前に会ったばかりだろう」

 青藍は紫遠から顔を背ける。その目尻に微かに涙が滲んでいる。


「バカ、別れが辛くなるじゃないか」

 青藍は眼鏡を取り、腕で頬を流れる涙を拭った。そして、バッグから一枚の写真を取りだした。初めて出会った日、柊都大街で二人で撮影した写真だ。紫遠は白い歯を見せて満面の笑みを浮かべ、青藍は唇を吊り上げて無理矢理笑顔を作っている。

「これ、やるよ」

 青藍から受け取った写真を紫遠は嬉しそうにじっと見つめている。それを大事に胸元にしまい込んだ。


「青藍と過ごした日々は、夢じゃない。青蘭にも伝えるよ。お前に似た口の悪い男がいたってことを」

 青藍は鼻を鳴らしてフンと笑う。紫遠は腰につけた玉佩ぎょくはいを取り外し、青藍に手渡した。緻密な彫刻が施された美しい紫瑪瑙の石に鮮やかな青色の組紐とタッセルがついた見事なつくりだ。

「俺がここにいた証に、受け取って欲しい」

 皇族の持つ玉佩だ。値がつけられないほど高価なものだ。青藍は躊躇ったが、紫遠の気持ちを汲んで受け取ることにした。


 二人はどちらともなく強く抱き合った。耳元で紫遠が鼻水を啜る音が聞こえた。

「元気でな、洟垂れ皇子様」

「お前も鼻水垂れてるぞ」

 紫遠は唇を尖らせて笑う。

「さあ、早く青蘭を助けに行かないと」

 名残惜しそうな紫遠の背を押す。洞窟へ戻り、祭壇の文字盤の前に立つ。文字盤を覆う砂を払うと、針が浮かび上がってきた。


「設定は公歴だな。0、2、1、0、0、4、0、5」

 青藍が慎重に針を動かす。針は砂を噛んでごりごりと音を立てながら各数字の位置でピタリと止まった。これで蒼龍二十八年四月五日に戻ることができる。時刻は夜十時に設定した。紫遠が飛ばされた時間そのままだと、洞窟に暗殺者が潜んでいる可能性があるからだ。

「これでいい」

 青藍は緊張に額から流れる汗を拭う。紫遠は黒い巾着袋から水晶玉を取り出し、握り絞める。辟邪鏡を祭壇にセットした。あとは天禄鏡で月の光を導けばいい。青藍は紫遠を見つめる。紫遠は黙って頷いた。

 青藍は天禄鏡を持って洞窟の外へ向かった。紫遠は光の導きを静かに待つ。


 青藍が洞窟の外へ出ると、月にぶ厚い雲がかかっていた。風で流されていくものの、しばらく雲は続いている。待つしか無さそうだ。

「タイミングが悪いな」

 青藍はひとりごちる。ふと、頭上に影が差した。顔を上げた瞬間、崖の上から何者かが目の前に降り立った。

「げ、月影」

 黒装束に身を包んだ銀髪の暗殺者が立っている。手にした月輪を目の前に突きつけられ、青藍は息を呑む。


「紫遠はこの中だな」

 月影は眼鏡をくいと持ち上げる。

「鏡の謎を解いたか。なかなかやる。しかし、このまま奴を元の時代に返すことはできない」

 月影の碧眼が冷たく光る。青藍はじりじりと後ずさり、洞窟の中へ向かって駆け出した。ここまできて邪魔されるとは、青藍は悔しさに唇を噛む。

 月影は口許に冷酷な笑みを浮かべる。壁にぶら下げられた手鏡を拳でかち割りながら、ゆっくりと洞窟内を進んでいく。

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