第39話 光を取り戻す魔鏡

 青藍は老婦人から借り受けた鍵で地下室への鉄の扉を開ける。電灯のスイッチを入れると、蛍光灯がついた。紫遠と共に鉄製の螺旋階段を降りていく。古い電灯の光は弱く、ずらりと並ぶ書棚の影が差して薄暗い。


 地上階よりも蔵書が豊富なことに驚く。興味深いタイトルの本に足を止めたくなるが、今は二枚の鏡を探すことが先決だ。

 狭い書棚の間を縫って所蔵品の収納庫を探す。書庫内をぐるぐる二周してみるが、収納庫らしきものは見当たらない。書棚にあるのはすべて書籍だ。あの記録は当てにならないのか、青藍は頭を抱える。


「青藍、先ほどから気になっていたんだが、あれは違うのか」

 紫遠が壁際にある鉄製の棚を指さす。

「あれはどう見ても掃除道具入れだ」

 青藍は掃除道具入れと思しき細長いロッカーの前に立つ。鍵がかかっているかと思いきや、扉はすんなり開いた。中はいくつもの棚で仕切られており、文物が保管されていた。

 青藍は軽く目眩を覚える。これは明らかに掃除道具入れのロッカーだ。その先入観で見過ごすところだった。紫遠はもちろん掃除道具入れなど見たことが無い。素直に疑問に思ってくれたのは幸いだった。


 青藍は円盤状の文物を包む布を棚から取り出して、慎重に開く。

「辟邪の文様だ」

「うん、これだ。間違いない」

 紫遠は深く頷く。もう一つ、下段の棚に天禄鏡も発見した。鏡は曇っているものの、どちらも保存状態は良い。青藍は興奮に顔を赤らめながら鏡の文様を指でなぞる。

「よし、これを持って砂漠の洞窟へ向かおう」

 二枚の鏡をバッグに忍ばせて足早に書庫を出る。老婦人に鍵を返して図書館を出ようとした。


「ちょっと待ちなさい」

 老婦人が厳しい声音で二人を引き留めた。眼鏡の下からじろりとこちらを睨んでいる。青藍の心臓がドクンと跳ねる。紫遠もまずいな、という顔で青藍に目配せする。

 鏡を持ち出したのがバレたか、このまま走って逃げてしまおうか。青藍はバッグの紐を握り絞める。手には汗がじっとりと滲んでいる。

「せっかく探してきたのに、この本どうするんだい」

 老婦人が“柊都城の成り立ち”を掲げている。書庫まで行かせておいて本を置いていくなんてとブツブツ文句を言っている。


 青藍は慌てて引き返し、貸し出しの手続きを行った。

「ありがとうございます。これで研究が捗ります」

 適当なことを言って図書館を出た。緊張の糸が切れた紫苑が笑い出した。青藍も釣られて笑い出す。

「ああ、びっくりした」

 しかし、愉快だったと紫遠は青藍の肩を涙目でバシバシ叩いている。

「どうなるかと思ったよ」

 青藍も肝を冷やした。肩にのしかかる鏡の重みがずっしりと存在感を増した気がした。


 辟邪鏡と天禄鏡を磨くために、学生寮の部屋へ戻った。

「カタバミはどこにあるんだ」

「あのときはカタバミしか無かったけど、ここにはこういうのがあるんだ」

 青藍は下駄箱からさび取りスプレーを取り出した。銅製品にも使えると書いてある。曇った鏡の表面にスプレーを吹きかける。もこもこを泡が立ち、ボロ布を使って磨いていく。すると、驚く程ピカピカになった。

「凄いな、一瞬で綺麗になった」

 紫遠は目を見開いて驚いている。自分もやってみたい、というので天禄鏡を任せた。


 辟邪鏡、天禄鏡、そして水晶玉。月明かりを反射させる鏡も用意した。

「これで宗王朝の時代に戻れるぞ」

 青藍は満面の笑みを浮かべて紫遠を見やる。紫遠はどこか物憂げな表情を浮かべている。別れが辛いのだろうか、青藍は押し黙る。時計の音だけが響く部屋に、ぐうと腹の音が鳴る。

「腹が減った」

 紫遠の言葉に、青藍は思わずずっこけた。そういえば、鏡探しに必死で朝から何も食べていなかった。紫遠は洞窟に向かう前に、腹ごしらえをしたいと言う。


 儀式用の道具一式を持って、青藍は紫遠を連れて駐輪場にやってきた。

「洞窟までこれで行く」

 青藍は前後にタイヤがついた乗り物を指さす。それは二人乗りが出来る小型のスクーターだった。夜に柊都映画城へ向かうバスは無いし、タクシーは金がかかる。車の運転はすこぶる苦手なので、やむなく守衛のおじさんに朝には返すからとスクーターを借りたのだった。


 青藍は紫遠を後ろに乗せてスクーターのエンジンをかける。

「へえ、馬みたいだ」

 紫遠は初めての乗り物に、背後ではしゃいでいる。

「俺は運転下手だから、しっかり掴まっててくれよ」

 青藍はアクセルを吹かし、スクーターはよたよたしながら走り始める。


 柊都大街の楡の並木沿いにスクーターを駐車する。華やかなライトアップの鐘楼や、煌びやかな看板の並ぶ通りをこれで見納めかと紫遠は名残惜しそうに見つめている。

 通りの中で客入りの多い、活気のある食堂に入った。四人がけのテーブルに案内される。

「よし、今日は最後の晩餐だ。火鍋を食べよう。好きなもの何でも注文していいぞ」

 ただし残さない量にすること、と青藍は人差し指を突きつける。

「本当か、嬉しいぞ」

 紫遠は嬉しそうにメニュー写真を眺めている。羊肉ともつ、ねぎ、白菜、春菊、冬瓜などの野菜、豆腐に春雨、きのこ、締めは麺を注文した。


 店員が陰陽の形に仕切られた鍋に赤色と白色のスープを入れて持ってくる。コンロに火を点けると、赤いスープがぐつぐつと音を立て始める。独特のスパイスの香りが鼻を刺激する。

「赤いのは唐辛子や山椒がたっぷりで辛いぞ、白い方は薬膳鍋だ」

 青藍に教えてもらい、タレと薬味も用意した。紫遠はごまだれを箸につけて味見をしてみる。ごまの風味とまろやかな出汁の味に目を丸める。

 紅白どちらのスープも煮えたってきたので、食材をどんどん投入する。紫遠は赤いスープに浸った羊肉をタレにつけて口に放り込む。


「ひやっ、辛い、口が燃える」

 紫遠は目を白黒させて口を押さえている。この辛さは宗の時代には無いらしい。コップの水を一気に飲み干し、涙目で鼻水を啜っている。青藍は赤いスープから野菜や豆腐を取り、平気な顔で食べている。

「青藍はすごいな、こんな辛いものを平気で食べるなんて」

「慣れだよ、ごまだれにつけると少し優しい味になるぞ。麻辣スープが無理なら、薬膳にしなよ」

 紫遠は悔しそうに薬膳スープをメインに食べ始めた。時々麻辣スープを試すうちに、痺れる辛さに慣れてきたようだ。身体が芯から温まり、額から流れる汗をおしぼりで拭きながら食べている。

「うん、これはやみつきになるのは分かる」

 紫遠は締めの麺も麻辣スープで食べていた。デザートの杏仁豆腐にいたく感動し、追加で注文した。


「この時代の食べ物は本当に美味しい」

 紫遠は元の時代に戻れば現代の料理が食べられなくなることが心底残念な様子で、切ない表情を浮かべている。青藍に露店で売っていた山査子飴をねだった。

「これは持って帰れるだろう」

「仕方無いな」

 青藍は山査子飴を二本買って紫遠に持たせてやった。

 すっかり日が暮れ、東側の城壁から月が昇り始めた。青藍と紫遠はスクーターに乗り込み、砂漠の洞窟を目指す。


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