第37話 資料館探索

 幽風はカウンターで紫遠の持ち込んだ宝飾品を真剣に鑑定している。月影は店の奥にあるコンクリート打ちっぱなしの台所の古びた丸テーブルについた。冬波が三軒隣の食堂から持ち帰った料理を広げる。山盛りの肉まんに、小豆のおかゆ、薄焼き卵に野菜や肉を挟んだクレープ、長細い揚げパン、油条と豆乳ドリンクにはたっぷりの砂糖が入っている。

 月影は手を合わせたあと肉まんを掴み取り、口に放り込む。皮にほんのり甘みがあり、中身はぎっしりジューシーな肉と野菜が詰まっている。すぐに二つ目に手が伸ばす。

 宗王朝でもこのような肉まんはあるがパサパサの皮は味がなく、あんも貧相だ。適当に腹が満たせたら良いという程度で、食に興味は無かった。この時代にやってきて月影は食べる楽しみに初めて気がついた。


 山盛りあった食事はきれいに無くなってしまった。月影は豆乳ドリンクを美味そうに飲んでいる。

「冬波は学校に行っていないのか」

「うん、叔父貴がここに住むなら働けって。その方が人生の知恵がつくってさ」

 貧民街ではそれが正しいのかもしれない。幽風は若い冬波を体の良い小間使いとしてこき使っているようだが、一人でも生活できるよう鍛えているようにも感じられた。

「学問を学び、試験に合格すれば地位が得られる。俺の時代では学が無い人間は苦労を強いられる」

 月影は自分の身の上を思い返す。幼い頃に誘拐され、過酷な労働を課せられた。その後も自分の意思とは関係無く、暗殺家業を生業にすることになった。後悔などする暇も無かった。生きることに必死だった。


「学校か、行ってみたいよ。いろんなことを教えてもらえるし、それに、学校に行けば友達ができるかな」

 冬波は寂しそうに笑う。

「でもいいや、俺には月影はいるから」

 月影は眉を顰める。冬波は無邪気な笑顔を向けている。どう返事をしていいか分からなかった。これまで孤独に生きてきた月影には友達と呼べる人間などいなかった。同僚や部下はいるが、暗殺業で徒党を組む以外には疎遠だ。

「冬波、よく聞け」

 月影は着物の胸元から巾着袋を取り出し、冬波に手渡した。冬波が中を覗き込むと、そこには金細工の宝飾品や、宝石が詰まっていた。


「月影、これ」

「お前にやる」

 月影は言いかけた冬波の言葉を遮った。冬波は驚いて巾着と月影の顔を見比べる。

「もらえないよ、こんな高価なもの」

 冬波は月影に巾着を突き返す。しかし、月影はそれを受け取ろうとはしない。

「これを金に換えて、お前は学校に行くといい。学問を学べ。人生が開ける」

 月影は自分がそんなことを口走るとは思ってもみなかった。いったいどの面下げて、と思わず自嘲する。

「うん、ありがとう月影」

 冬波は月影の真剣な眼差しに気圧されて、躊躇いがちに巾着をポケットにしまい込んだ。


 冬波がカウンターを覗き込むと、鑑定が終わったのか幽風は金の指輪を丁寧に磨いている。フウフウ息を吹きかけて薄ら笑いが止まらない様子だ。ゴミ箱には紫遠が持って来た白い封筒が丸めて捨ててあった。冬波はそれを見つけて幽風に駆け寄る。

「叔父貴、それを売った金をどうすんだ」

「ガキには関係ないだろう」

 幽風は厳めしい顔になり、うっとおしげに冬波を追い払った。冬波は封筒を呆然と見つめている。


 ***


 時計が十時を示す頃、青藍が食堂の前に戻ると紫遠は店の前の長椅子に腰掛けて羊串にかぶりついていた。お金も無いのにどうしたのかと思えば、向こうに座るおっさんが分けてくれたという。

「兄ちゃんの話、面白かったぜ」

 おっさんが笑いながら手を振る。立ち話でもして気に入られたようだった。紫遠は自覚は無いようだが、人心掌握が上手いのかもしれない。紫遠は羊串をたいらげて満足そうな表情で青藍を見上げる。

「手頃な鏡を買ってきた。都北図書館へ向かおう」

 紫遠と青藍は鐘楼前のバス乗り場からバスに乗り、北門へ向かう。


「こんな場所に図書館があったかな」

 バスを降りて、金木犀の並木に沿って歩く。金属製の巨大な門は施錠されていたが、脇にある通用門が開いていた。手狭な庭の向こうに二階建ての近代建築が建っている。“都北図書館”と古い木の看板が掲げられている。赤レンガで積み上げた壁に、伝統的な文様の格子窓が嵌まっている。風情のある建物で、もしかしたら資産家の邸宅だったのではないだろうか。

 ステンドグラスが嵌め込まれた黒木のドアを開けると、図書館特有の古いインクと紙の匂いが漂ってきた。足元には擦り切れた赤い絨毯が敷いてある。


「この街には柊都中央図書館という省で一番大きな図書館があるんだ。ここは区営の図書館なのか」

 入り口に図書館の歴史が紹介されていた。百年前に結核で亡くなった資産家の邸宅を利用したもので、街で初めての図書館らしい。しかし、館内にほとんど人気は無く、やはり皆蔵書の多い中央図書館を利用するのだろう。

 三部屋をぶち抜いて作られた図書室には壁一面の書棚が据え付けられており、圧倒される。こんな部屋で研究をしながら日がな一日過ごしてみたいものだ。蔵書は地域の歴史や名著、宗教、社会、科学など一般的な分類の本が並ぶ。しかし、ラインナップは一昔前で時間が止まっているようだった。


 玄関ホール正面の大階段を上って二階の一角が資料館となっていた。黒ずんだ絨毯の上を歩くと、木の床がミシミシと軋む。

「展示品なんてほとんど無いじゃないか」

 紫遠は埃かぶったガラスケースを覗きこんでみるが、文字が擦り切れたパネルが何枚か配置されているだけで展示品はほとんど無い。

「これは、放置されて長いようだ」

 あまりに利用者が来ないため、面倒になって諦めた。そんな雰囲気だ。壁のパネルも日焼けしてほとんど読むことができない。


 壁一面に宗王朝の歴史コーナーがあった。狭い展示室の中でかなりの割合を裂いている。宗王朝について目玉の展示品があるに違いない。くすんだガラスケースを注意深く覗いていくが、割れた土器や武骨な青銅器が申し訳程度に置いてあるだけで、めぼしいものは無い。

「鏡は別の場所に移されたのかもしれない」

 この惨状では、下手したら展示物は売り払われた可能性もある。次の手がかりは見つかるだろうか。青藍は腕組をしながら低い声で唸る。

 紫遠はガラスケースに両手をつけたままがっくりと項垂れた。ふと、目線の先に色褪せた赤い布の上にピン留めされたパネルがあった。

「辟邪鏡、天禄鏡」

 紫遠は思わず叫び声を上げる。

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