第35話 鏡の在処
「あのがらくた屋のおっちゃんに聞いてみるのはどうだ」
紫遠が言うのは、柊都大街の裏路地にあった骨董店、春秋堂のことだ。確かに、ああいう店は横の繋がりが強いかもしれない。情報を得るには悪くないアイデアだ。
「明日にでも行ってみよう」
青藍も賛成した。全く手がかりが見つからず落胆していたが、これで少しだけ希望の光が差した。
「青藍は教師じゃなくて研究者が向いているな。鏡の謎を解いたとき、とても嬉しそうだった」
紫遠の何気ない言葉に、青藍は心臓を鷲づかみされるような鈍痛を覚えた。飲みかけたお茶のグラスをそっとテーブルに置く。
「俺は元の時代に戻れたら、民を安んじて宗王朝の発展に努める。宗王朝の素晴らしい文化や芸術を保護して後世に伝えよう。青藍、ぜひ俺の生きた時代のことを研究して、広めてくれ」
紫遠はこれまで武勇を上げることだけを目標に生きてきた。それが父である皇帝を助け、国を守ることだと自負していた。今、彼に初めて国を継ぐ者としての自覚が生まれたのだ。
「紫遠、お前なら宗王朝を繁栄に導ける。きっと名高い皇帝として名前を残せる」
青藍はぎこちなく微笑む。
母を助けるため大学を去る決意をした。教師への道も閉ざされることになる。研究者など夢のまた夢だ。思わず目尻に涙が滲んだ。それを紫遠に悟られたくなくて、シャワーを浴びると告げて青藍は席を立った。
熱めの湯を浴びながら、拳を握り締め、壁のタイルに頭を打ち付けた。大学に残れないのは心底悔しい。しかし、自分をここまで育てた母の苦難を思えば、恩返しをすべきときだ。青藍は顔を上げた。涙はもう出なかった。
青藍の様子がおかしいことに気が付いた紫遠は、ダイニングテーブルに置いてあった白い封筒を手に取った。この手紙を読んでから青藍はどこか挙動不審だった。良くないとは思いながらも、紫遠は手紙に目を通す。
手紙の主は体調が優れずお金に困っており、住居を移さなければならないことを嘆いていた。文末には青藍を気遣う言葉が書かれている。
「これは、母親からの手紙か」
紫遠は青藍が母子家庭で無理をして大学に通っていると話していたことを思い出す。もしや、先ほど青藍が一瞬目に涙を溜めていたのは、母親のために大学を去ろうとしているのではないか。
バタンとドアが開く音がした。青藍がタオルで髪をガシガシと拭きながら、すっきりした顔でバスルームから出てきた。
「お先に、紫遠もシャワー、いや、湯浴みすればいい」
ソファに腰掛けてミネラルウォーターのペットボトルを傾ける。
「青藍、これをお前に」
紫遠がおもむろにテーブルの上に見事な金細工の腕輪や飾りベルト、指輪を置いた。青藍は驚いて目を見張る。書籍や博物館の展示で見たことがある古代の装飾品がいま目の前にある。
「なんだよ、これ」
しかし、青藍は冷静になり紫遠に怪訝な表情を向けた。
「世話になったお礼だ。服を買うとき、メシを食うとき、薄い板を店員に見せていた。あれはお金の代用なんだろう。いつも俺の分まで払ってくれた」
紫遠の言う薄い板とはスマートフォンのことだ。紫遠はこの時代の金が無い、だから身についていた貴金属を代わりにもらってくれ、と言う。
「もらえないよ、こんな高価なもの。それに遠くからやってきた友達には飯くらいおごるだろ」
青藍はあっけらかんと笑い、かたくなに受け取ろうとしない。差し出した装飾品はすべて突っ返されてしまった。
***
翌朝、柊都大街の裏路地にある骨董店、春秋堂へ向かった。白いランニングシャツ姿のごま塩頭のおやじが店先でタバコを吹かしている。二人の姿を見て、よう、と気さくに手を振る。
「入んなよ」
幽風は地面に落としたタバコを靴底で揉み消し、二人を雑多な骨董品が溢れ返る店内へ誘う。パイプ椅子を2つ置いて、座るよう促した。独特の饐えた匂いと、エキゾチックなお香がない交ぜになった不思議な匂いが鼻を突く。
「あんたら若いのに物好きだね」
若者が骨董品に興味を持っていることが嬉しい様子だ。小間使いが出かけているからと、湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。
「おっちゃんなら詳しいと思って、聞きにきたんだけど」
紫苑が単刀直入に辟邪鏡と天禄鏡について尋ねる。
「辟邪と天禄の見事な彫刻が施された、公歴200年前後の鏡か」
幽風は腕組みをしながら天井を見上げて何やら考えている。そして、何か思い出したのか埃かぶった棚から大判のファイルを引っ張り出した。
「あれは何年頃だったかな」
ぶつぶつ独り言をいいながらページを繰っていく。ファイルには大小様々な写真が綿密に切り貼りされていた。剣や器、古銭など発掘された古代の遺物の記録だ。
「お、これだ。いいものだからちゃんと写真を撮っておいたんだ」
ファイルの見開きページに二枚の鏡の写真が貼り付けてあった。
「辟邪と天禄、これに間違い無い」
紫遠は高ぶる感情を抑えられず、立ち上がって叫ぶ。間違い無い、ほんの3日前に洞窟で見た鏡だ。
「にいちゃん、やっぱり目が高いね」
幽風は頷きながら感心している。
「これをどこで見つけましたか、今どこにあるんです」
青藍も興奮気味に幽風に訊ねる。その質問に幽風は目を泳がせている。正式な発掘品では無く、出所が胡散臭いのだろう。しかし、今はそんなことを断罪するつもりはない。
「どうしても見たいんです。どこにありますか」
青藍の真剣な眼差しと熱意に根負けしたのか、幽風は仕方無く教えてくれた。
「街の北門近くに図書館がある。そこに併設の資料館に展示してあるはずだ」
資料館は古代王朝をテーマにしたこじんまりした展示コーナーがあるという。紫遠と青藍は顔を見合わせて、頷く。
「ありがとう、おっちゃん」
礼を言って紫遠と青藍は春秋堂を後にした。
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