第33話 母からの手紙

 青藍の部屋で次の計画を練ることにする。炊飯器にご飯はあるので、学食でおかずをテイクアウトしておく。部屋へ戻る途中、学生寮入り口の集合ポストで郵便物を確認する。チラシに紛れて1通の白い封筒が入っていた。青藍は差し出し人を確認し、眉を顰める。

 部屋に入ると、紫遠はぐったりとソファに倒れ込んだ。くたびれたソファだが、この弾力は古代にはないもので紫遠のお気に入りだった。先ほどまでカフェで女子学生のようにはしゃいでいたが、月影との戦いで精神を相当消耗していたのだろう。緊張の糸が切れたのだ。


「月影って奴さ、俺に何か恨みでもあるのか」

 寝転がったままで紫遠が呟く。あまりの執念深さに辟易していた。そもそも、暗殺指令が下されたとはいえ、得体の知れない異界と考えられていたこの時代にまで追ってくるなんて狂気の沙汰だ。

「もとの世界に戻れる保証なんて無いのに、まさに自殺行為だな」

 月影の執念は仕事へのプロ意識だけで説明がつけられない。紫遠を殺すという目的を達成したとして、その先彼は一体どう生きていこうとしているのだろうか、青藍には想像がつかなかった。ある意味、マインドコントロールとも言うべきか。きっとまた追ってくるだろう。


 紫遠はソファで微睡み始めた。青藍はポストに入っていた白い封筒を取り出し、ハサミで封を切る。差出人は母だった。青藍の暮らす柊都から鈍行列車で8時間ほどの辺境の町に住んでいる。アルバイトが忙しく、時々電話をかけるくらいでしばらく顔を見ていなかった。

 大学に通い始めた青藍を気遣う絵はがきを送ってくれることはあったが、封書で改めて手紙が届くのは初めてだ。妙な胸騒ぎがする。


 無地の便せんに、黒色のボールペンで不器用な文字がしたためられていた。そこには淡々と最近体調が良くないこと、親族から急な借金返済を迫られているため今の家を手放し、家賃の安い集合住宅へ転居を考えていることが書かれていた。転居先を見れば、いわゆる貧民街とされる治安の良くないエリアだ。独り身の母親を住まわせるには危険過ぎる。それに、体調が悪いなんて初耳だ。

 文末は、身体には気をつけて大学でしっかり学ぶように、と結ばれていた。


 青藍はソファで眠りこける紫遠の横をそっと通り過ぎ、ベランダに出てスマートフォンを取り出す。母親の住む家の電話をコールした。コール音が鳴り続ける。この時間に家にいないということは無いはずだ。青藍は手にはじっとり汗が滲んでいる。

 ようやく受話器を上げる音がして、青藍はホッと息をつく。

「母さん、手紙を読んだよ」

「ああ青藍ね、そう、届いたの」

 張りの無い声だ。ずいぶん参っているようだった。どんなに辛くても気丈に振る舞っていた母の面影は感じられない。


「体調が良くないって」

 母は病気知らずだった。体調が悪いと弱音をこぼすのは初めてのことではないか。

「ずっとお腹の調子が良くなくてね。しばらく我慢していたんだけど、とうとう病院へ行ったのよ」

 夫をガンで亡くしてから余計に病院嫌いになって、寄りつこうともしない。その母が病院に行くとは、よほどのことだったのだろう。案の定、大腸ガンが見つかったという。医者の話ではまだ初期なので、手術をすれば命は助かるということだった。

「でも、手術なんてねえ」

 夫が手術をして苦しい思いをしていたこと、結局助からなかったことが根底にあり、手術は受けたくないらしい。それに畳み掛けるように、商売に失敗した親族が借金の一括返済を強く要求しているという。


「ちょっと弱気になっちゃってね、心配かけてごめんね」

 母は涙ぐんでいるようだった。青藍はぎゅっと唇を噛む。

「この週末には一度帰るよ」

「いいのよ、大学があるんだから」

 母はそう言ってくれるが、放っておくわけにはいかない。帰るから、と念を押して青藍は通話を終了した。青藍はベランダにもたれ、学舎を赤く染めながら沈んで行く夕陽を見つめている。

 これ以上、のんびり大学に通い続ける訳にはいかない。学費のために必死にアルバイトをした貯金がある。それで母の命が救えるなら、青藍に迷いは無かった。

「この景色も見納めだな」

 沈み行く夕陽がひどく滲んで見えた。青藍は誰にともなくぽつりと呟いた。


 部屋に戻ると、紫遠がソファに座り気持ちよさそうに伸びをしている。大学を去る準備をしなければならないが、その前にやるべきことがある。紫遠を古代へ送り届けなければならない。

「青藍、大丈夫か」

 只ならぬ雰囲気を察したのか、紫遠が青藍の顔を覗き込む。青藍は塞ぎ込む気持ちを誤魔化すように、ぎこちない笑みを浮かべた。

「ああ、それよりも洞窟で得た情報を整理しよう」

 何かを考えていた方が気が紛れる。青藍は青蘭の残した鏡と水晶玉を取り出す。


「あっ」

 思わず声を上げた。水晶玉が入った巾着を取り出し、机の上に中身を出してみた。巾着からは粉々になった水晶の欠片が出てきた。

「割れている」

 月影から逃げるために、巾着をポケットに入れたまま無我夢中で走った。その途中に割れてしまったのだ。1800年前の水晶だ、脆くなっていたに違いない。紫遠が時間を越えるための大事な儀式の道具が壊れてしまった。青藍は青ざめる。しかし、巾着の中にまだ塊の手応えがある。慎重に取り出してみると、五個のうち二個だけは無傷だ。

「よ、良かった。二つは無事だ」

 青藍は思わず胸を撫で下ろした。紫遠も安堵してソファに大きなため息をついて身を投げた。

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