第31話 真剣勝負

「あいつ、昨日会ったときよりも切れがいい」

 武器を手にしたものの、紫遠は月影を警戒している。太陽光のダメージから目が復活したのか、月影が体勢を立て直し、構えを取る。

「眼鏡だ、眼鏡をかけてる」

 青藍が月影を指さして叫ぶ。月影は青藍を睨み付け、銀縁の眼鏡をくいと持ち上げた。その動作がどこか誇らしげで、青藍は何故か微妙に腹が立った。

「月影はド近眼だったのか」

 昨夜、地下鉄駅で電車の到着までに余裕があったはずなのに、追って来なかったのは人混みに紛れて顔の区別がつかなかったためだと合点がいった。しかし、今は文明の利器でその弱点を克服している。


 紫遠は鉄のポールを槍のように振り回す。感覚は掴めた。紫遠はニヤリと笑う。月影と紫遠は互いに構えたまま睨み合いを続けている。

「おっ、なんだ撮影か」

「クルーがいないから練習かしら」

 洞窟見学にやってきた観光客が対峙する二人を見つけ、駆け寄ってきた。その様子を見つけた他の観光客もシャッターチャンスとばかりに集まってくる。集中して微動だにしない二人の周辺にあっという間に人だかりができた。


「槍の彼、カッコいいわ」

「銀髪の彼は悪役かしら、とてもクールね」

 女性たちが沸き立っている。青藍は青ざめながら頭を抱えた。ここで行われているのは真剣勝負だ。しかも、月影は紫遠を殺しにかかっている。

「本来の俺のやり方に反するが、仕方が無い。大衆の面前でお前を血祭りに上げてやろう」

 月影は月輪を紫遠に向かって突き出す。

「それ眼鏡って言うんだっけ、似合わないぞ」

 紫遠は鼻で笑う。月影は気分を害したようだ。青藍にも殺気が増したことが分かった。

 軽口をたたき合いながらも、二人は互いに隙を見せず、忍耐強く出方を探っている。周囲の観光客たちも二人の放つ気に呑まれ、沈黙する。


 砂漠に一陣の風が吹き抜けた。細かな砂が風に煽られ、紫遠の目に入った。紫遠は思わず目を細める。月影はその隙をついて動いた。大きく踏み込み、月輪で頸動脈を狙う。

「くっ」

 涙目の紫遠はそれを辛うじて鉄のポールで防ぐ。すかさず月影は紫遠の脇を狙う。紫遠はポールを回転させ、二段目の攻撃を防いだ。

「おおおおぉお」

 間近で見るアクション映画そのものの動きに、観光客たちは興奮気味に歓声を上げる。月影は小さく舌打ちをする。碧眼に殺気が漲った。間合いを詰めながら息もつかせぬ連続攻撃を仕掛ける。


 紫遠は襲い来る月輪をポールで弾き返す。月影の右の月輪がポールを捕らえた。三日月の内側に引っかけて押さえつけ、大きく踏み込んで左の月輪で紫遠の脇腹を狙う。紫遠は身を引いてギリギリで刃をかわす。シャツが裂け、女性客はキャッと声を上げる。

 紫遠はポールを両手で握り込み、思い切り振り上げた。月影の身体が宙を舞う。しかし、軽やかな身のこなしで着地し、また突進してくる。紫遠は踏み込んで中段の突きで月影の胴を狙った。

 動きを読んでいた月影はバックステップで難なくかわす。紫遠は大きく踏み込み、上段に素早く突き出した。月影の顎をポールが掠める。のけぞって体勢を崩した月影の肋骨に突きがヒットした。しかし、瞬時に身を引いたのか、手応えが無い。


 紫遠はポールの中央に握りを変え、構えを取る。

「棒術に宗旨替えか」

 月影は警戒を強める。槍は間合いに踏み込めば弱いが、棒術は接近戦にも適している。

「どうせ穂先がないから、こっちの方が良かったな」

 紫遠は今思い出したという調子で、呑気に構えている。青藍は呼吸をするのも忘れて二人の戦いを見守っている。

 月影が最初に踏み込んだ。紫遠は迫り来る月輪をポールで打ち返しながら、隙を突いて月影の足元に攻撃を仕掛ける。膝にポールがヒットし、月影は苦痛に顔を歪める。


 武器は違えど、ほぼ互角の戦いだ。致命傷には至らないものの、紫遠には切り傷、月影には打撲に顔を歪めている。あまりの鬼気迫る戦いに、観客たちは息を呑んで二人を見つめている。

 気が付けば、月影の動きが鈍くなってきた。時々顔を歪めているのは蓄積した痛みのせいだろうか。紫遠のポールが月影の手首を打ち、月輪を弾き飛ばした。月影はその場に膝を折り、頭を抱えている。紫遠はゆっくりと歩みより、ポールを月影の喉元に突きつける。

「このままお前の喉を突き破ることもできる」

 月影は憎々しげに紫遠を見上げる。観客は緊張の展開を見守っている。


「殺すがいい」

 月影はそう言いながらも、鋭い目で紫遠を睨み付けている。澄んだ碧眼には彼の最期の矜持が見えた。紫遠はポールを握る手に力を込める。

「やめろっ」

 観客をかき分けて、少年が月影に駆け寄る。少年は月影の前に立ち、守るように両手を広げた。冬波だ。月影はそれに驚き、目を見開く。

「もう降参してるよ」

 冬波は怒りの表情で紫遠を見上げる。月影は冬波を押しのけようとしたが、彼はその場を動こうとしない。

「そうだな、俺の勝ちだ」

 もとより月影を殺すつもりはない紫遠は、構えを解いて笑顔で肩を竦めた。


 その瞬間、緊張が解けたのか観衆が歓声と盛大な拍手を送る。膝立ちの月影は恨みがましい目で紫遠を睨んでいるが、紫遠はそれを気にも留めず、観衆をかき分けて青藍とともに去って行った。

「どちらもいい演技だった」

「これは何の映画なんだ」

 その場に残った月影に感動した観光客が詰め寄る。

「どいてください、疲れているんです」

 意識朦朧としている月影の腕を冬波が引っ張っていく。紫遠との戦いの最中に、強い目眩を感じた。だんだんと気分が悪くなり、いよいよ動けなくなった。一体何が起きたのか、月影は耐えがたい頭痛に唇を歪めている。


 断崖を離れた紫遠と青藍は、ちょうど城門前にやってきた柊都中央駅行きのバスに乗り込んだ。月影との戦闘で疲弊した紫遠は荒い呼吸を整える。城門まで一緒に走っただけの青藍の方が虫の息だ。

「あいつ、どうして急に具合が悪くなったんだ」

 バスに揺られながら、紫遠は不思議そうに呟く。正直、月影の方に分があった。途中までの勢いで押されていたら、喉をかっ切られていたかもしれない。青藍が急に肩を揺らして笑い始めた。

「眼鏡だよ」

「青藍が目につけているこのガラスのことだな。眼鏡があれば良く見えるんだろう」

 紫遠はそう言いかけて、青藍の眼鏡を借りたときのことを思い出した。かけた途端、目が回る感覚に驚いた。


「そう、普段眼鏡をかけ慣れていない人は急に視力が上がるから、頭痛や目眩を起こすことがある。なにせ月影には人生で初めての眼鏡だ、感覚がついていかず耐えがたい頭痛と目眩に襲われたんじゃないか」

 眼鏡をかけてあれだけ動き回ったので、それが助長されたのだろう。

「なんにせよ、助かった」

 紫遠は心から安堵し、ホッと息をついた。

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