第30話 刺客再来
青藍は洞窟内の写真をスマートフォンで撮影した。天井壁画、石仏、台座の装飾、祭壇には九つの窪み。後から見落としがあったときに使えるからだ。
洞窟を出ると、太陽の眩しさに思わず目を顰める。彼方まで続く白い砂の平原に、無限の青空が広がる風景は宗王朝の時代と変わらない、と紫遠は思った。隠されていた鏡にどんなメッセージが隠されているのだろうか。青藍は陽の光りの下で鏡を改めて眺めてみる。
「ずいぶんすくんでいるな、磨けば光るだろうが」
青藍の手にした銅鏡は表面が酸化して黒灰色になっている。これでは光を反射することも出来ない。
「そうか、磨けばいいんだな」
青藍は周囲を見渡す。洞窟の脇の水場近くに小さな黄色い草が生えているのを見つけた。青藍はそれをもぎ取る。
「カタバミか」
紫遠は青藍が何をしようとしているのか、気がついたようだ。
木陰の下のベンチに座り、鏡を磨く青藍の隣で紫遠はボトルのお茶を飲んでいる。プラスチックボトルはガラスのように透明だが比べものにならないほど軽い。1800年後の世界は珍しいものばかりだ。
青藍は自生していたカタバミを使って銅鏡の表面を念入りに磨いている。
「カタバミは三葉酸草とも言われ、シュウ酸を含んでいる。シュウ酸の化学反応で酸化した銅が綺麗になるはずだ」
歴史博物館で開催された銅鏡の磨き方講座で聞いたことがあった。まさか実際にやってみることになるとは。
「今の時代も銅鏡を使うのか」
暇を持て余している紫遠が銅鏡を覗き込む。
「銅なんて使わないよ、ガラスと薄いアルミの膜で作るんだ。部屋の洗面台の前にあっただろう」
「うん、映りが良くて驚いた。俺っていい男だな」
紫遠が学生寮の部屋の鏡の前でじっと立っていた訳がわかった。古代には現代の鏡ほど克明に反射するものは存在しかったので、興味深かったのだろう。
「うぬぼれるなよ、洟垂れ王子様」
青藍は呆れて小さく笑った。
根気よく磨き続けると、鏡は光を取り戻してきた。足元のカタバミが無くなる頃にはぼんやりと顔を確認できるほどになった。
「初めてやってみたが、綺麗になるものだ」
青藍はつるつるになった表面を満足げに見つめる。しかし、青蘭は二枚の鏡ではなく、何故この何の変哲も無い鏡を洞窟に隠したのだろうか。青藍は鏡をいろんな角度から眺めてみる。裏面はただの唐草文様だ。絵や文字が隠されている訳でも無いようだ。
紫遠は鏡が反射した光が踊る地面をぼんやりと眺めていた。光の中に何かが見える。紫遠は青藍の鏡を持つ手を握り、動きを止めた。
「なんだよ」
青藍は邪魔をするな、と唇を尖らせる。
「光の中に何かがある」
紫遠の真剣な表情に、青藍も鏡を動かしていた手を止めた。木漏れ日の中に鏡が反射した丸い光が浮かび上がっている。その中に微かに文字が見えた。
「これは魔鏡だ、透光鑑とも言われている仕掛け鏡だ」
青藍は秘密を発見した嬉しさを抑えきれない様子だ。それは紫遠も同じだった。
「明るいところでは分かりにくい、洞窟の中に光を反射させてみよう」
青藍は洞窟の入り口に立ち、太陽光を反射させる。紫遠は洞窟内で光が像を結ぶ位置を探した。
「もう少し、遠くを照らしてみてくれ」
紫遠の言う通り、青藍は鏡の角度を調整する。
「そこだ、文字が読める。そのままで頼む」
紫遠が興奮気味に叫ぶ。紫遠は鏡に隠された文字を読み解いていく。
「辟邪鏡と天禄鏡は選ばれし者を異界に送る。選ばれし者は水晶をその手に持ち、鏡の光に身を委ねよ。異界とは時間を越えた世界。時を進むには辟邪鏡で太陽光を、遡るには天禄鏡で月光を集めるべし。こ、これは元の時代に戻れるってことか」
紫遠は震える指で文字をなぞる。
「紫遠、続けてくれ」
青藍も青蘭の残したメッセージを聞きながら、興奮に手が震えるのを何とか抑えている。
「祭壇の文字盤が時を示す、とある」
青藍は祭壇に九つの円があったのを思い出した。月影が同じ時代にやって来られたのは、祭壇の文字盤で行き先が制御できたからではないか。青藍は祭壇でそれを確かめようと、足を踏みだした。
背中を何者かに掴まれ、身体が前に進めない。恐る恐る振り向けば。そこに老街で出会った黒装束の男、月影が立っていた。冷酷な色の碧眼が青藍を見下ろしている。
「うわあっ」
背筋が凍り付く恐怖に堪えきれず、青藍は思わず叫び声を上げた。尋常ではない青藍の声に、紫遠は洞窟の外に飛び出した。その首筋を狙い、鋭い月輪が突きつけられる。紫遠はすんでのところで踏みとどまり、頸動脈が切り裂かれるのを免れた。
「くっ」
「紫遠、覚悟しろ」
月影は唇だけを釣り上げて不気味な笑みを浮かべる。青藍の身体を邪魔だとばかりに突き飛ばし、紫遠に襲いかかった。
月影は重心を落とし、両手に装着した月輪を時間差で繰り出す。紫遠は後ろに後退りながらギリギリでかわしている。下からの突き上げを紫遠は上体をのけぞらして避ける。月影が大きく腕を横に薙いだ。切り裂かれた髪がぱらりと宙を舞う。一度逃がしたことでさらに執念を燃やしているのか、攻撃に恐ろしい切れがある。
心臓を狙う月影の一撃を紫遠は右腕ではたき落とす。死角からこめかみを狙う月輪を左腕で防いだ。そこへ月影の蹴りが大腿にヒットし、紫遠はバランスを崩して転倒する。
「鏡の秘密を掴んだか、だが残念だったな。お前の墓場はここだ。観念しろ」
月影は紫遠に飛びかかる。紫遠は地面を転がりながら逃げる。月輪の刃が紫遠の腕を切り裂いた。シャツから血が滲む。
「月影ッ」
不意に名を呼ばれ、月影は反射的に振り向いた。目映い光が目に飛び込んで月影は思わず腕で顔を覆う。青藍が磨き上げた銅鏡で太陽の光を反射させたのだ。
「くっ、貴様邪魔をするか」
月影はいまいましそうに顔を歪めた。太陽光の反射をまともに浴びて、まだ目を開く事ができない。
「助かった、青藍」
紫遠は立ち上がり、洞窟の前に置かれていた工事用の鉄のポールを手にした。手に馴染む重量感だ、長さもちょうどいい。それを脇に抱えて構えを取る。
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