第27話 青藍の機転

 袈裟懸けに振り下ろされる月輪に、紫遠は目を見開く。意識を最高潮に集中させ、真剣白刃取りで受け止めた。無表情だった月影が一瞬口角を釣り上げて笑った気がした。

 月影はすかさずもう片方の月輪で紫遠の腹を狙い、突きを放つ。紫遠は月影の腕を解放し、背後に転がった。体制を立て直させまいと、月影が瞬時に間合いを詰める。


「紫遠、これを使え」

 青藍の叫び声が聞こえ、紫遠の目の前に竹の棒が転がってきた。紫遠は月影が棒を踏みつけるより早く拾い上げ、ヒュンと音を立てて振る。月影は刹那の判断で背後に飛びのいた。


 紫遠は長さ1.5メートルほどの竹棒を脇に抱え、構えを取る。いつも携えていた槍に比べると軽すぎるが、無いよりは断然マシだ。

「そんな棒切れを手にしたところで何ができる」

 月影は月輪で紫遠を威嚇する。そう言いながらも、槍術に名高い将を前に警戒している。


「青藍、逃げなかったのか」

「俺はそこまで薄情じゃない」

 青藍は不満げに唇を突き出す。

「見くびって悪かったよ」

 紫遠は竹棒を中段に構える。丸腰で逃げ回っていた時とは、明らかに面構えが変わった。月影は警戒して守りの姿勢に入る。


 紫遠が踏み込んだ。竹棒を突き出し、月影の顎を狙う。想像以上のリーチの長さに、月影は上半身をのけぞらせる。紫遠は竹棒で連続で突きを放つ。一撃が月影の脇腹にヒットした。痛烈な打撃に思わず唇を歪める。

 紫遠は竹棒をくるくると回転させ、横に薙いだ。月影は背後に飛ぶ。回転によりスピ―ドを増した竹棒の風を切る音が路地に響く。紫遠の側頭部を狙った一撃に、月影が目を見開いた。月輪の鋭い刃により、竹棒の先端がすっぱりと斬り落とされる。

「くっ」

 紫遠は歯嚙みしながらも突きを繰り出す。

「お前の動きは見切った」

 月影が竹棒の先端を月輪でスパスパと斬り落としていく。ついに、竹棒は紫遠の手元から20センチほどの長さになってしまった。


「まずい」

 紫遠は短くなった竹棒を見やり、青ざめる。先ほど脇腹に一撃を食らった月影はすこぶる機嫌が悪そうだ。異様な殺気を醸しながら間合いを詰めてくる。

「紫遠、こっちだ」

 青藍が老街の出口へ向かって走り出す。紫遠は竹棒を投げだし、青藍と共に駆け出した。

「地下鉄の乗り場はこの先だ」

「それに乗って逃げるんだな」

 紫遠には地下鉄がどんな場所かわからないが、ここは土地勘のある青藍に任せるのが得策だ。


「逃がさん」

 月影が追ってくる。かなりの俊足だ。だんだんと距離が詰まってくる。

「お前、走るの遅いな」

「うるさい、俺は長距離走の方が得意なんだよ」

 少し走っただけで息を切らす青藍を見て、紫遠は呆れている。このままでは追いつかれてしまう。

 突然、青藍が建物の壁に向かって走っていく。一体何をするのかと思いきや、壁に立てかけてあった足場に使われる長い竹棒を縛っていたロープを思い切り引っ張った。


 大量の竹棒が、すぐそこまで追いついた月影の頭上に降ってくる。

「くっ」

 月影はそれに怯み、足を止めた。バラバラと転がる竹棒が道を塞ぐ。

「やったな」

 喜ぶ紫遠の腕を引っ張り、青藍は老街の出口を目指す。ネオン煌く大通りに出ると、その明るさに一瞬安堵した。

 風切り音が聞こえ、紫遠は振り返る。何かが頬を掠った。頬に痛みが走り、血が流れている。脇に停めてあった車体に月輪が突き刺さっていた。竹棒の罠から抜け出した月影が怒りの形相で駆けてくる。


「うわっ、来た」

 青藍は地下鉄への階段を駆け下りる。紫遠も遅れてついていく。青藍は走りながらポケットからスマートフォンを取り出した。そこには地下鉄のICカードが挟んである。雑踏をかき分け、改札を目指す。

 形式的な保安検査を通過し、青藍は駅員に2名分と伝えて改札を通過した。そのまま大学方面の電車乗り場へ走った。あと30秒で電車が到着するアナウンスが液晶画面に流れている。


 2人を追って階段を駆け下りた月影は保安検査のゲートを通過する。手にした月輪に検査機が反応し、ブザーが鳴った。

「止まりなさい」

 ガタイの良い男性駅員がのしのしと歩いてくる。月影は駅員の首を片手で掴み、持ち上げた。首を締め上げられた駅員は地面から浮いた足をばたつかせている。意識を失う寸前で月影はその手を緩めた。駅員は地面に倒れこみ、周囲にいた女性客が小さな悲鳴を上げる。


 月影は改札に向けて走った。通過する寸前で改札のゲートが閉まる。その動きを予測してなかった月影は、もろにぶつかり足止めを食らってしまった。小さく舌打ちをして、改札を軽やかに飛び越える。

 人の波をすり抜けホームに走り出たが、電車待ちの人だかりの中で2人の姿が見つけられない。目を細めてみるが、同じような背格好の若者は多い。

 そうしているうちに、プシューと音がしてドアは閉まり、電車は動き出してしまった。走り出した電車の窓に紫遠と青藍らしき姿を見つけ、月影は怒りに目じりを痙攣させる。


 背後からいかめしい顔の警備員が近づいてきた。先ほど階段下で男の首を絞めたことで仲間の兵がやってきたと知る。月影は人の波に交じりながら、連絡通路へ向かう。通路脇に寝ころんでいた浮浪者の横に座り込んで気配を消した。

 警備員は黒いボロ布を纏ったホームレスをちらりと見やり、そのまま通り過ぎていく。

 人通りが絶えた薄暗い連絡通路で、隣に寝ている浮浪者を見やる。ボロボロの身なりで、2枚重ねの段ボールの上に身を縮めていた。

「これほど豊かな時代でも、見放された者はいるのだな」

 月影は誰にともなく呟いた。

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