第24話 博物館見学

 柊都博物館は石器時代から近代に至るまでの出土品、生活用品から美術品まで量、質ともに国内有数の所蔵を誇る。国内外からの観光客が多く訪れ、常に賑わいを見せている。


 青藍と紫遠は歴史博物館前バス亭に降り立った。伝統的な建築様式を模した巨大な建物の前には手入れの行き届いた美しい庭が広がっている。二羽の向かい合った鶴を象った庭木に紫遠は目を留めた。


「青蘭の父は庭師だった。庭木を動物の形に剪定するのが上手くて、俺はいつも夢中になって彼の仕事を眺めていたよ」

 その時に年の近い青蘭と仲良くなったのだという。紫遠は池に泳ぐ錦鯉や、芝生に設置された石灯籠を見て、宮廷の庭の方が立派だと自慢げに胸を張る。


 博物館入り口では簡単な手荷物チェックと、X線による保安検査があった。検査を通り抜けると、四階の高さの吹き抜けに、見上げるほどの巨大な石版画が掲げてある。この土地の歴史をダイジェストに表現したもので、左から右へと巻物のように見ていくことができる。


「おお、これはすごい」

 紫遠は版画を見上げて子供のように眼を輝かせている。青藍もその隣に立ってみる。紫遠の興奮が肌を通して伝わってくるようだ。全く違う、遠い時代に生きている紫遠は何を感じているのだろうか、彼の感動の深さは計り知れない。

「俺の時代はあの辺りかな」

 紫遠が着物を着た人たちが宮殿に集う場面を指さす。石器時代からそう離れていない位置にある。


「そうだな、あの辺りが公歴二〇〇年頃だろう」

 青藍は頷く。それから右へ進んで、現代まで、かなりの距離がある。

「青藍がいる時代はこの辺り、俺はとても遠くにやってきたんだな」

 紫遠は感慨深く呟く。そこには一抹の孤独が感じられた。親兄弟、親友、仲間と一八〇〇年も離れて、全く見知らぬ時代にいるのだ。元の時代に帰れる確証は無い。紫遠は鼻水を啜る。青藍はそっとポケットティッシュを差し出した。


「展示を見に行こう」

 青藍について、一階第一展示室の石器時代から見学を始める。紫遠は説明パネルを懸命に読み込んでいる。

「この時代で使われている文字は、俺の時代の文字と同じもの、似ているものが多いが、知らないものも多い」

 古代と比較すると、文字の種類は増えているに違いない。紫遠は半分ほどの意味は読み取れているようだ。


「近代になって、文字を簡素化する取り組みがあったんだ。例えば、これはこの部首を簡単にしたもの、この規則が分かればもっと読めるかもしれないな」

 青藍は文字の読み方を教え、紫遠は真剣に耳を傾ける。暴れん坊のわがまま皇子様と思っていたが、飲み込みが早く学問にも通じていることに青蘭は密かに驚いた。


「青藍は賢い。青蘭みたいだ」

 紫遠は間接的に青蘭を褒めて、誇らしい気分になる。

 石器時代の人骨から復元した顔の模型や、当時の暮らしの再現、出土した石器などが並ぶ。次の時代は青銅器時代、琥王朝のコーナーだ。紫遠の生きている宗王朝の一代前の王朝で紫遠の興味も深く、解説パネルや展示物をひとつひとつまじまじと眺めている。


「琥を滅亡に導いた白杜は俺のご先祖様だよ」

「へええ、ああ、それはそうか」

 青藍は驚いてみるが、紫遠は宗の皇子だ。思えば、とんでもない男と共に過ごしていることを改めて実感し、不思議な気分になる。

 いよいよ、目的の宗王朝のコーナーに差し掛かる。解説パネルを読むと、大学の中庭で青藍が教えてくれたことが書いてあった。白杜により建てられた宗王朝は十一代皇帝宗緑永、つまり紫遠の父の代で事実上三〇〇年の幕を閉じる。紫遠は目の前が真っ白になりそうなほどの怒りに唇を戦慄かせる。ふと、肩にそっと手を置かれた。


「紫遠、ここから一度離れるか」

 青藍の穏やかな声に、紫遠は首を横に振りひとつ深呼吸をした。

「いや、大丈夫だ」

 無理矢理笑顔を作り、頷く。紫遠にとってここは試練だ、青藍は彼の意思を尊重する。

「俺は、何が起きたかを確かめなければならない」

 ガラスケースの中には宮廷で使用された青銅の食器や壷、装飾品が展示されている。朽ちて錆び付いた青銅、割れてわずかな破片だけの壷。その経年劣化に、紫遠は残酷な時間の経過をしみじみと感じた。


「こんなものしか残っていないのか」

 彩色壁画の一部や破損した仏像など、展示品が貧相だと感じているのだろう。紫遠は呆然と呟く。

「そうだな、宗王朝は三〇〇年の間に戦乱や飢饉で荒廃し、その、圧政で国が乱れていたことで、ろくな記録や出土品が無い時代とされているんだよ」

 青藍は紫遠を気遣いながら言葉を選んで話す。しかし、事実は厳しい。研究者がそっぽを向くのもそういう訳なのだ。研究対象としてあまりに貧相なのだ。


「そんなはずはない。宗王朝は近隣諸国とも均衡を保ち、民を安んじていた」

 紫遠の目尻に悔し涙が滲んでいる。それが事実なのか、青藍には分からない。

 後世の画家が描いた古い巻物に、宗時代の飢饉の様子が描かれていた。蝗の大群が押し寄せ、作物を枯らし多くの死者が出た寒村の情景だ。人が道ばたで野垂れ死に、痩せ細った子供が泣いている。


「確かに三年前、ひどい飢饉があった。しかし、父上は国庫を解放し、麦や米を民に配布したはずだ」

 紫遠は眉根を顰める。

「それでも末端には行き届かないことがある。現代でも災害が起きたら国が物資を供給するが、官僚がそれを横領することはままあることだ。実際に現場を見ないとわからないこともある」

 青藍の言葉は痛烈に紫遠の胸に刺さった。当時、宮廷でも食料に不安があったが、実際に食いっぱぐれる者はいなかった。街の民もそうだ。しかし、遠隔地で何が起きていたか、それを中央は知っていたのか。


「俺は、自分の武勇を磨くことにだけに夢中になっていた。周りが何も見えていなかったのか」

 紫遠は少なからずショックを受けているようだった。

「その若さで大軍を統率していたんだろ、紫遠は立派だ」

 青藍のフォローに紫遠はしおらしく頷いた。

 部屋の中央には、柊都の都と炎の壁のジオラマが設置してあった。公歴二一〇年の玄兎族の侵攻を示すものだ。紫遠はジオラマのガラスケースに飛びついた。


「二一〇年、玄兎族の侵攻図だな。都から二〇万の大軍が北西の李州城へ向かっている。しかし、都の警備の隙を突くように、北東から壁を越えて侵攻しているな」

 青藍が解説パネルとジオラマの位置を確認しながら説明する。紫遠はべったりとガラスに貼り付いてジオラマを凝視する。その熱心な姿は異様で、周囲の見学客は引き気味で見つめている。


「俺は都を出て、李州城へ向かっていた。この辺りの洞窟で鏡を見つけた」

 紫遠は李州城への道中を指さす。

「その辺は柊都映画城がある。紫遠と出会った場所だ」

 紫遠と青藍は満面の笑みを浮かべた顔を見合わせる。

「あの洞窟だ、あそこに戻れば何か分かるかもしれない」

 二人はハイテンションで拳を付き合わせた。

「しかし、ほぼ全軍が出払った隙を突いてまさに背後からとは、出来すぎているな」

 青藍はジオラマを観察する。炎の壁はこの時代に完成され、かなり強固だったはずだ。紫遠も腕組みをしながらしかめ面でジオラマを睨んでいる。


「そうか、侵入拠点となった場所は一番大きな関所、玉(ぎょく)麗関(れいかん)がある。関所の利権は外交大臣の朱鴎が握っていた」

「つまり、その大臣が機会を見計らって関所を開け放ったというわけか」

 紫遠の額に血管が浮き出し、こめかみが怒りに震えている。怒りに任せてガラスをブチ割ろうと拳を高らかに掲げたところで、青藍は必死に羽交い締めで止めた。

  

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