第23話 青蘭の願い

「辟邪鏡と天禄鏡は遙か古代に作られました。誰がどんな目的で作ったのかはわかりません。超古代の人々は鏡の力で異界を行き来していたのでしょう」

 桂山の話に、青蘭は見たことも無い道具を扱う人や、空を飛ぶ鳥ではないものが洞窟の壁画に描かれていたことを思い出す。

「異界とはいったいどんな場所なのですか」

 青蘭は見知らぬ土地にいるであろう紫遠を想いながら訊ねる。


「異界とは、言い得て妙ですが、時間軸が異なる同じ世界と言われています」

「つまり、未来や、過去」

 にわかには信じがたい。青蘭は混乱しそうになり、頭を抱える。

「その通り、どこへ行くかは鏡の導きによるものです。我々の一族は辟邪鏡と天禄鏡を合わせて“久遠の魔鏡”と呼んでいます」

「久遠の魔鏡」

 青蘭はその言葉を呆然と繰り返す。

「桂山、私の一生の願いを聞いてもらえませんか」

 桂山は青蘭の真剣な眼差しに、深く頷いた。


 青蘭は桂山に頼み事を事細かに伝えた。桂山はそれを聞き漏らすまいと真摯に耳を傾けた。そして、青蘭は桂山に刃物を乞うた。桂山は胸元から護身用の小刀を取り出し、青蘭にそっと手渡した。

 青蘭は己の髪を鷲づかみにして、根元からばっさりと小刀で切り落とした。

「なんということを」

 そのような美しい髪を惜しげも無く、と桂山は狼狽える。青蘭は気丈に微笑みながら、束ねられた髪を桂山に手渡した。

「私の髪は紫遠がいつも褒めてくれたものだ。美しいと自負している。私の願いを叶えるには金が必要になるだろう、これをせめてもの足しにして欲しい」


 桂山は青蘭の志に静かに涙を流した。美しい黒髪を大切に布に包み、懐にしまった。

「桂山、あなたはどうしてここまで危険を冒して私に会いにきてくれたのですか」

「父桂兆は、街の大通りで西域から持ち込んだ商品を販売する露店を出していました。そこへ無法者がやってきて、移民がここで商売をすることを許さないと因縁をつけ、店を滅茶苦茶にしようとしたのです」

 桂山は続ける。そこへ馬に乗った紫遠が通りかかり、無法者を諫めて父を助けたという。それから桂兆は通りで安心して商売を続ける事ができ、とても感謝していたと。

 紫遠には恩義を感じており、今回の殺害事件には陰謀があることに勘づいて青蘭に会いに来たと話した。


「紫遠は怠け癖があるが、心根優しく器の大きな男だ。きっと立派な皇帝になれると信じている」

 青蘭の瞼には、紫遠の姿が見えるのだろう。口元に微かな笑みが浮かんでいる。

「私もそう信じます。青蘭さん、あなたの願いは必ずや聞き届けます」

 桂山は深々と頭を下げ、息を潜めて地下牢を出て行った。

 希望は託した。どうか、紫遠がここへ戻ってきますよう、青蘭は石壁の隙間から覗く蒼い月を見上げて祈りを捧げる。


 ***


 地下牢から戻った桂山は、青蘭の依頼を遂行するため支度を始めた。同郷の青銅器職人に竹簡に示した図面を手渡した。

「これはかなり手間だな」

 腕利きの職人も腕組みをしながら頭を悩ませる。

「時間をかけてもいい。どうか秘密裏にやってくれ。父の仇を取るためだ」

 桂山の悲痛な願いを聞いて、先ほどまで唸り声を上げていた職人は一も二もなく頷いた。


 地下牢を訪れた二日後に、桂山は皇子殺しの大逆の男、青蘭の斬首を見届けた。まるで演劇の舞台のような刑場に引き出された青蘭はまったく動揺することはなく、処刑台に静かに首を預けた。その美しくも潔い姿に、それまで罵り声を上げていた民衆は息を呑んで静まり返った。

 処刑人の振り上げた巨大な斧が太陽を乱反射し、容赦なく振り下ろされた。青蘭のか細い首は一瞬で胴体と切り離された。民衆は残虐な見せ物に歓声を上げ、情け深い皇子を想い涙を流した。


 それから三月ほどが過ぎると、柊都の大通りには荒くれものの玄兎族が我が物顔で練り歩き、治安が悪化しているように見えた。皇帝の一族は捕らえられ、牢に繋がれて処刑を待つのみと聞く。

 職人に依頼した品は無事に完成した。桂山は青蘭の髪を売って入ったまとまった金を、全て職人に手渡した。


 桂山は砂漠の洞窟を目指し、馬を駆った。警戒していたが、朱鴎は洞窟にも鏡にも興味を失ったらしく、警備兵も置かれずすべてがそのままになっていた。

 桂山は洞窟内に松明を灯し、のみを取り出した。大仏の台座にのみを入れ、一心不乱に彫り続ける。一定の大きさの空洞ができたことを確認し、その中に布に包んだ辟邪鏡と天禄鏡、水晶玉、そして職人に依頼したものを隠した。空洞の穴は石の塊で埋めた。その石には蘭の花を彫刻し、それを鮮やかな瑠璃で彩色した。

 地下牢に繋がれていた青蘭が残した望み通り、作業は完了した。


 桂山は柊都を後にする。もう戻ることはないだろう。父の仇を打つことができなかったか、いや、そうは思わない。青蘭の思いは必ずや時空を超えて紫遠に届くだろう。砂丘の向こうに溶けるように陽が沈んでいく。黄昏の砂漠はどこまでも金色に輝いていた。

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