第20話 紫遠の決意

 事実はきっと紫遠が想像するよりも、はるかに残酷だ。しかし、紫遠は覚悟を決めたのだ。青藍は彼に事実を伝える覚悟を決めなければならない。青藍はしばらく押し黙る。


「わかった。だが、約束してくれ」

「うん、何をだ」

 紫遠は深く頷き、真剣な瞳で青藍を見つめる。

「事実を知っても自暴自棄になるな、そして暴れるな」

「お、おう」

 青藍に鼻っ面に人差し指を突きつけられ、鋭い眼光に射貫かれる。その気魄に思わず呑まれそうになり、紫遠は拳に力を込める。


「蒼龍二八年、玄兎族が炎の壁を越えて宗の国土に侵攻した。皇帝はほぼ全軍を向かわせ、それを防ごうとする。指揮を執ったのは皇帝の長子、つまりお前だ」

 青藍はスマートフォンの歴史サイトから情報をかいつまんで伝える。

「そうだ、俺は二〇万の軍を率いて、北の李州城を目指した」

 紫遠は誇らしげに胸を張る。


「しかし、その道中で皇子は暗殺される。犯人は若き彼の側近、青蘭という男だ」

「そんな、嘘だ」

 紫遠が鋭い声で叫ぶ。それは胸が張り裂けそうなほど悲痛な響きを帯びている。紫遠は立ち上がりさまに脊髄反射で青藍の胸ぐらを掴み上げた。首を締め上げられた青藍は、顔を顰めながらも真っ直ぐに紫遠を見つめている。どうあっても紫遠に真実を伝えると決めたのだ。


「嘘だろ、嘘だって」

 紫遠の声は力を無くしていく。青藍を掴んだ腕も力を失い、その場にへたり込んだ。青藍は小さなため息をつき、ベンチに腰を下ろす。紫遠は激情に肩を震わせ慟哭しながら、地面に何度も拳を叩きつけている。地面はこぼれ落ちた涙で濡れている。

「続けていいか、紫遠」

 青藍は冷静な口調で問いかける。紫遠は俯いたまま涙を堪えながらゆっくりと頷く。


「皇子が殺害されたことで、皇軍は統率を失った。そこを玄兎族に突かれ散り散りになった。皇子の暗殺と同時期に、玄兎と北方異民族の連合軍が都に押し寄せた」

 一陣の強い風が吹き抜け、紫遠の長い髪を舞い上げる。


「都は占拠され、皇帝の一族は捕虜となった。外交大臣の朱鴎は連合軍と粘り強く交渉し、都の破壊は防がれた。かねてからの圧政に堪えかねた民は、皇帝の廃位を口々に叫び始める。朱鴎は紫遠の弟にあたる燈迦を帝位につけて摂政を行ったが、二年で廃位。大臣たちの推薦と民意を汲んで、自らが帝位についた」

 紫遠はもはや悲しみではなく、怒りに打ち震えていた。青藍は先を続けることを一瞬戸惑う。しかし、伝えなければならない。


「朱鴎はもと皇帝三族の処刑、朱王朝は周辺の少数民族とも和議を結び、平和な時代を築いた」

 紫遠は顔を上げた。涙の乾かぬその瞳は激しい怒りの色が燃えている。

「青蘭は、青蘭はどうなった」

「皇子の殺害は天下の大罪だ。彼は裁判にかけられ、罪を認めたため斬首された」

「うぉおおおおお」

 手負いの獣のような雄叫びが風に乗って講義棟に響き渡った。異様な光景に、遠くの渡り廊下を歩く学生たちが一体何事かとこちらを凝視している。


「紫遠、お前を気の毒に思う」

 紫遠の耳をつんざく怒りと悲しみの叫び声に、青藍は心臓が握り潰される感覚に襲われた。しかし、今はどんな慰めの言葉も彼の悲しみを癒やすことはできない。青藍は唇を噛みしめて、呆然と天を仰ぐ紫遠を見つめる。その色を失った目は空の色を映す。残酷なほど透明な青、青蘭と見上げた同じ空だ。

 紫遠は奥歯を噛みしめ、頬に流れる涙を乱暴に拭う。


「情けはいらない、俺はこの手で運命に取り戻す」

 紫遠は唇を引き結び、青藍を見つめる。その瞳には強い矜持が宿っていた。青藍はゆっくりと深く頷いた。

「わかった、俺はお前が元の時代に戻れるよう全力で協力する」

「ありがとう、青藍」

 紫遠は立ち上がり、青藍の手を強く握りしめる。青藍はその剛力に思わず眉根をしかめるが、負けじと握り返した。


「しかし、紫遠が話していた洞窟の鏡が怪しいが、俺もどうすればいいのか分からない。情報を集めよう」

 青藍はスマートフォンで検索ページを開き、手慣れた操作で文字を入力する。そして表示された大きな建物の画像を紫遠に見せた。

「ここは街で一番大きな歴史博物館、柊都博物館だ。宗の時代はほとんど資料が残っていないと言われているが、何かヒントはあるはずだ」

 紫遠も博物館に行くことは賛成のようだ。うん、と深く頷いた。


「なあ、その前に腹が減った。あの市場に行きたい」

 紫遠は白い歯を見せてにんまりと笑う。

「さっき昼飯を食べただろう」

 つい先ほどまであれほど激昂していたのに、青藍は呆れて目を見開く。

「怒ると腹が減るんだよ」

 紫遠は照れながら頭をかく。食欲が湧くということは元気を取り戻したということだ、この男は思ったよりも強かだ。青藍は内心安堵した。


 紫遠は昨夜案内した柊都夜市がいたく気に入ったようだ。大学からバスに乗って鼓楼前にやってきた。日が暮れてからしか開店しない店もあるが、日中もそこそこの賑わいを見せている。ちょうど博物館に向かう道中でもある。


「お、あれ食べたい」

 メイン通りから逸れた狭い路地に、新鮮なフルーツを並べている露店を見つけた。鮮やかな色が紫遠の目を引いたようだ。青藍は紫遠が欲しがった山査子飴を買ってやった。串に八個連なった真っ赤な山査子の実を飴でコーティングした夜市の名物だ。


「これうまい、好きだ」

 紫遠の時代にも山査子の実はあるようだが、山査子飴を食べるのは初めてらしい。飴でべっとりと覆われた見た目はすこぶる甘そうだが、山査子の酸味と相まって案外あっさりしている。紫遠は頬をもごもごと動かし、口に含んだ種をプッと飛ばした。その飛距離に青藍は目を見張った。

「紫遠はでっかいガキみたいだな」

 妙に誇らしげな紫遠の顔がおかしくて、青藍は吹き出した。種が飛んだ方向に、古びた商店が見えた。紫遠は興味を惹かれたらしく、ふらりと店先を覗き込む。


 埃っぽいショーウインドーの中には、雑多な骨董品が所狭しと並んでいる。紫遠はその中のひとつに目を留めた。大ぶりの宝石が埋め込まれた金色の腕輪だ。

 紫遠は山査子飴の最後のひとつを口に含み、串を路地へ投げ捨てる。紫遠があまりにも真剣に腕輪を眺めているものだから、青藍も気になって覗き込んだ。


「どうした、何か気になるものがあるのか」

 紫遠は神妙な表情で腕輪を指さす。

「あの金の腕輪、俺の時代のものだ」

 青藍はまじまじと腕輪を見つめる。確かに洗練されたとは言いがたい荒削りなデザインで、古代の墓から出土した遺物にも見える。紫遠はやんちゃだがこれでも宗国の皇子だ。審美眼は確かに違いない。


「気になるものがあるなら、冷やかしでもいいから見ていきな」

 二人があまりに真剣にショーウインドーを覗き込んでいたので、店のおやじがドアを開けて声をかけてきた。白髪交じりのごま塩頭で、五〇代くらいだろうか。日焼けした浅黒い肌は乾燥し、目元には深い皺が刻まれている。擦り切れた白のワイシャツからのぞく腕は意外と屈強だ。


「見せてもらおう」

 紫遠は悠々と店に入っていく。青藍が看板を見上げると、達筆な筆文字で古美術・骨董の「春秋堂」と書かれていた。

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