第14話 アレルギー

「へっくしょい」

 大学構内に豪快なくしゃみが響き渡る。紫遠が袖で鼻を拭おうとするので、青藍はあわててティッシュを押しつける。

「袖で鼻を拭くなよ」

 青藍は呆れてため息をつく。鼻がすっきりした紫遠はクスクスと笑う。


「そういえば、風邪をひいて鼻水を垂らしたときに青蘭に同じことを言われたなあ、お前みたいに乱暴な言い方じゃなかったけどな」

 紫遠は懐かしい青蘭の顔を思い出す。隣にいる青蘭に瓜二つの男は面倒見は良いが、すこぶる口が悪い。閃光で離ればなれになり、一八〇〇年の隔たりが出来てしまったと思うと、不意に切なくなった。


「悪かったな、口が悪くて」

「いや、張り合いがあって面白いぞ」

 青藍の皮肉に、紫遠は全く動じなかった。

 寮へ戻っても、柊都夜市での興奮冷めやらぬ紫遠は多弁だった。あの食べ物が美味しいだの、今度はあれを食べたいだの、槍の腕を自慢し始めるあたりで面倒くさくなった青藍は、紫遠にシャワーを勧めることにした。


「ここを捻ると湯が出る。温度はこの動きで調節する。髪を洗うのはこれ、一度押せばどろどろの水みたいなのがでるから、それで髪を洗えばいい」

 シャワーの栓の使い方や洗髪料の使い方を説明して、紫遠をバスルームに放り込んだ。しばらくして、熱っと叫び声が聞こえたが、そのうち静かになったので、無事に身体を流せているのだろう。


 紫遠がシャワーを浴びているうちに、青藍は再び歴史書を取り出した。宗王朝についての記載を探してみるが、三〇〇年程度の短命な王朝であること、目を引く文化の発展も無く、偉人の排出も少ないため、圧政を憎んだ大臣のクーデターにより王朝が滅びたことくらいしか情報が無かった。


 パソコンを立ち上げてインターネットを検索してみる。

「うーん、このくらいか」

 今ひとつ魅力に欠ける王朝なので、やはり研究者も少ない。

「そうだ、鏡について何か情報は」

 紫遠を現代へ送り込んだ鏡の仕掛けについて検索してみる。神獣を描く古代の鏡の写真はたくさん出てくるが、それを使ってタイムスリップするなんて情報はあるはずが無い。


 完全に手詰まりだ。何も有益な情報が得られない。青藍は低い唸り声を上げる。このまま元の時代に帰れなければ、紫遠はどうなるのだろう。現代に生きるのか、その場合、誰が面倒を見るのか。とんでもない拾いものをしてしまった。

 青藍は頭を抱える。しかし、紫遠はどこか憎めないところがある。しゃくではあるが自分は彼の従者に似ているというし、何かの巡り合わせなのだろう。


「おーい」

 バスルームから呼ぶ声が聞こえた。そうだ、紫遠をほったらかしだった。

「うわ、出てくるな、水浸しになる。シャワーは止めろよ、その前にシャンプーをもっとしっかり落とせ」

 まったく世話が焼ける。泡塗れの紫遠をバスルームに押し返す。その逞しい身体に無数の傷が走っているのを見て、青藍は息を呑んだ。彼は若くして歴戦の勇士なのだと思い知らされる。


「これでいいか」

 しっかりと頭からシャワーを浴び直した紫遠が全裸で仁王立ちしている。青藍はバスタオルを投げる。それを受け取った紫遠はバスタオルと青藍の顔を見比べている。

「甘えるな」

 そう言いながらもバスタオルを奪い取り、頭をガシガシ拭いてやる。

「こうやって自分で水気を取るんだよ、下着はここ、寝間着のTシャツとジャージはお前でも着られるだろう」

 身体が温まった紫遠はご機嫌で、夜市で買った炭酸飲料を飲んでいる。口の中の刺激に驚いたが、それがやみつきになったようだ。


「しゃんぷーというもの、良い匂いだ」

 自分の髪の匂いをすんすん嗅いでいる。青藍は髪が短いし、こだわりも無いので安物のリンスインシャンプーを使っているのだが、それでも紫遠の髪は美しい艶やかさを増していた。古代では髪は水で流して植物油でつや出しをしている程度なのだろう。現代の化学物質のトリートメント効果はてきめんのようだった。


「へっくしょい」

 紫遠はまたくしゃみを連発し始めた。

「きっと、紫遠の時代に無いものにアレルギー反応が起きているんだろうな」

 現代の生活は化学物質に塗れている。突然これほど環境が変われば免疫反応が出るのは頷けた。

 歯磨きのやり方を教えてやり、ベッドで寝るよう促した。


「すごい、ふかふかだ」

 ベッドのクッションに感動して飛び跳ねる紫遠を諫める。紫遠は嬉しそうにふとんに潜り込んだ。

「ベッドはこれしかないから、俺も後から横に寝るぞ」

 一人でベッドを陣取るなと紫遠に釘を刺しておく。


「いいよ、青蘭とは一緒に寝ることもあるし」

「そ、そうなのか」

 同性でも友人同士同衾するのは古代の習わしだったことを思い出す。きっと紫遠は青藍よりも抵抗がないのだろう。

 着替えを用意して、バスルームに向かおうとしたときだった。


「青藍、ありがとう」

 背を向けたままの紫遠がぼそりと呟いた。

「うん」

 青藍はそれだけ返事をすると、電気を消してバスルームに向かう。熱いシャワーを浴びながら、青藍は思いを巡らせる。

 紫遠は明るく振る舞っているが、きっとひどく不安に違いない。率いた二〇万の軍のこと、李州城のこと、都のこと、そして青蘭のこと。情報が少なすぎる。

 しかし、何とか元の時代に戻してやらないと。青藍は再び決意を固めた。


 リンスインシャンプーを使おうとすると、ほとんど空だった。

「この間補充したばかりなのに、あいつ」

 塩梅がわからない紫遠は無くなるまで出し続けて使ってしまったのだろう。青藍は思わず舌打ちをする。バスルームから出ると、着替えが散乱していた。


「まったくめんどくさい王子様だ」

 文句をいいながら、パンツやシャツを拾い上げて洗濯機へ放り込んだ。何が悲しくて男の下着を洗濯しないといけないのか。


 ベッドに戻ると、紫遠はベッドの真ん中で大の字になって寝息を立てている。青藍はそれを端に押しのけて、ごろんと横になった。今日は酷く疲れた、しかし楽しい一日だった。目まぐるしい出来事を思い出しているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

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