第13話 衣替え

「ここは柊都夜市だ。夕方になると毎日開かれる」

 通りには露店が軒を連ね、賑やかな掛け声があちこちから聞こえてくる。串焼きの匂いが食欲をそそる。完全に日が落ちて、通りを歩く人の数も増えてきた。

「あれは何だ、俺も欲しい」

 紫遠は子供が持っていたLEDライトで発光してヘリウムでふわふわ浮かぶ風船に目を輝かせる。夜間の進軍の旗印にしたいという。


「やめておけ、子供のおもちゃだよ。それより服をどうにかしよう」

 青藍はひとまず服飾店に紫遠を連れて行く。クローゼットの自分の服を貸しても良かったが、サイズが合いそうになかった。ゆったりとした袷の着物を着ているため分かりにくいが、引き締まった筋肉質の紫遠はわりと体格がいい。メンズ向けのショップで服を見繕う。

「シャツと、ズボンだな。そう言えば、下着ってどうなっているんだ」

 青藍は腕組をしながら、紫遠を上から下まで眺める。紫遠はハンガーに掛かっている服が珍しいようで、あれこれ物色している。


「何かお探しですか」

 店員がやってきたので、青藍は予算を伝え、二着分のコーディネートを依頼する。紫遠は皇帝の子だ。金に困るようなことは無かっただろうが、現代では無一文だ。支払いは青藍のバイト代からということになる。

「下着もお願いします」

「わかりました」

 店員はスタイルの良い紫遠を見て、コーディネートしがいがあると嬉しそうだ。


 薄手のシャツに長袖のTシャツを重ね、ボトムはジーンズに決まった。紫遠の時代は下着は身につけないらしく、着物の下はすっぽんぽんだ。

「これはこの時代で老若男女誰もが履いているものだ。この穴からそれぞれ足を出す。こっちが前な」

 何が悲しくて男にパンツの履き方を教えないといけないのか。

「着替えさせてくれないのか」

 紫遠は真面目な顔で訊ねる。きっと宮殿では、何人もの従者がお着替えを手伝っていたのだろう。

「甘えるな」

 青藍は額に血管を浮かべながら試着室のカーテンをピシャッと閉めて、大きなため息をついた。


 尻丸出しでパンツの履き方を訊ねてきたのと、ジーンズが固いと文句を言ってきたが、ようやく着替えが完了した。

「お、似合うじゃないか」

 引き締まった上半身に長身で脚が長い紫遠は、現代服を着ても一際目を引いた。青藍は思わずポカンと立ち尽くす。ショップ店員もまじまじと見惚れている。

「へへ、そうか」

 紫遠は褒められたのが嬉しいようで、はにかみながらも胸を張ってみせる。

 支払いを済ませ、着物と予備の一着分を手提げ袋に入れてもらい、店を出た。


「あれ食べたい」

 羊串の香ばしい匂いに誘われ、紫遠は青藍の手を引く。吊した塊から削いだ新鮮な肉を串に刺して焼いている。夜市の人気メニューのひとつで、通りでも食べ歩きしている人は多い。

 青藍は5本ずつ買って紫遠に手渡した。辛味のスパイスが効いており、肉の旨味を引き立てる。

「これは俺の時代にもあるが、不思議な香りがする」

 串をペロリと平らげ、地元の麺料理の店に入った。メインの麺と、野菜の炒め物、鶏肉の煮付け、卵とトマトのスープを注文する。


「うまい」

 れんげでスープを掬って口をつけた途端、紫遠は目を見開く。がっつくように麺を啜り、野菜を口に詰め込み、鶏肉を貪る。

「誰も取りゃしないよ、落ち着いて食べろって」

 豪快な食べっぷりに青藍も目を見張る。まるで何日も食べていないようだ。そう言えば、進軍中と行っていたので、腹は空いているのかもしれない。

「こんな味は初めてだ。それに、麺ももちもちしていて切れないし、美味しい」

 皇子というから栄養もある豪華な宮廷料理を食べていたのだろうが、現代の化学調味料やスパイスは当時には無いものだろう。これほど感動するのも頷けた。

 食事代もおごりだが、こんなに喜ぶ姿を見ると、青藍も悪い気はしない。


「アイスクリーム、食べたことがないだろう」

 店を出て通りを歩いていると、果実を使った牛乳アイスの店をみつけた。1本買ってやると、思い切りかぶりついた。

「何だこれ、唇が痺れるほど冷たい」

 紫遠は目をぱちぱちさせて驚いていたが、ゆっくりと舐め始めた。

「甘い、うまい」

「何を食べさせても全力で感動してもらえて嬉しいよ」

 青藍は無邪気な様子の紫遠を見て、思わず笑みをこぼす。


「きゃあ、泥棒っ」

 雑踏の中で、女性の叫び声が聞こえた。人混みをかき分けて、女性もののバッグを脇に抱えた男が走ってくる。カップルを突き飛ばし、ゴミ箱を蹴飛ばしてなり振り構わず逃走している。

 それを見た紫遠は、羊串店の軒先に立てかけてあった竹箒を手にした。

「止まれ」

 箒で男を制する。男は道を塞がれて立ち止まった。無精髭にジャージ姿の男は落ちくぼんで血走った目をしており、かなり危険だ。客たちは遠巻きに様子を見守っている。青藍は青ざめて白目を剥いた。


「邪魔をするな」

 男は尻ポケットからジャックナイフを取り出し、紫遠に突きつける。周囲からどよめきが起きる。紫遠は箒を槍のように脇に抱え、構えを取る。その目は真っ直ぐに男を見据えている。まなじりが切れ上がった黒曜石のような瞳で睨まれ、その気魄に男は一瞬たじろいだ。完全に紫遠の気に呑まれている。

「うおおおっ」

 男が先手を打った。雄叫びを上げながらナイフの切っ先をメチャクチャに振り回す。紫遠は無駄の無い動きでそれをかわす。


「その程度か」

 紫遠が反撃に出た。箒の柄で男の脇を撃つ。

「ぐえっ」

 男は脇を押さえて後退る。客が思わず歓声を上げる。紫遠は肩、脚、と竹箒で男に打撃を加える。そのスピードに男は防戦に徹するしかない。手首への一撃に男はナイフを路上に落とした。

「くそっ」

 殴りかかろうとする男の鳩尾に、竹箒の先端で鋭い一撃を食らわせる。竹箒の柄をくるりと回転させ、怯んだ男の側頭部に食らわせた。男は白目を剥いて、石畳に突っ伏した。一瞬の沈黙の後に、嵐のような拍手と歓声が巻き起こった。


「ほい、これ」

 男が手放したバッグを拾い上げ、女性に返した。女性はスターでも見るような憧憬の目で紫遠を見上げている。

「あまり目立つのはまずい、行こう」

 青藍は慌てて紫遠の腕を引いていく。もし警察に事情でも聞かれたら、面倒なことになる。身分証だって持っていない。

「にいちゃん、かっこよかったぜ」

 客たちが次々に声をかける。紫遠は嬉しそうに笑いながら手を振る。観戦していた露店のおやじがいたく感じ入って、持って行けと袋いっぱいの果物を持たせてくれた。

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