第12話 繁栄の柊都

「すまない、青藍」

「お前、俺を殺す気かっ」

 自由になって青藍は紫遠にくってかかる。しかし、ショックを隠せず、しょげこむ紫遠を青藍は気の毒に思った。青藍は立ち上がり、二杯目の茶を淹れてガラステーブルに置いた。

「その鏡の光で、紫遠は時空、あー、時間を越えてきたってことだな」

「俺は1800年も後の世界に飛ばされてきたというのか」

 地図が無限に入っている板、牽引するものがいないのに自走する車、思い返せば見慣れないものが無数にある。それは同時代に全く想像もつかない技術でつくられたものばかりだった。時間を越えた、という話に信憑性は充分にある。


「どうしよう、俺」

 紫遠は頭を抱えて蹲る。その姿があまりに惨めで、青藍は思わず小さく丸めた背中をさすってやる。がっしりと肉のついた背中に内心驚いた。軍を統率し、あれほどの槍演舞をこなすのだ、よく鍛えている。

「元の時代にどうやって帰るか方法を探してみよう」

 建設的な意見に聞こえるが、青藍には全くどうしたらいいか分からない。無責任な気休めにしかならないと思ったが、紫遠にはそれだけで嬉しかったようだ。

 今は国が滅亡したこと、彼の慕う青蘭という青年が彼を殺害したことは話さない方がいいだろう。青藍は歴史書を本棚にしまいこんだ。


「俺は元の時代に帰りたい。そして、李州城へ向かわねば」

 紫遠は涙ににじむ目をこすり、拳を固く握りしめた。その瞬間、ぐうと腹の音が鳴る。

「そう言えば、腹が減ったな」

 青藍と紫遠は顔を見合わせる。紫遠は躊躇いがちにうん、と頷く。

「俺も腹をくくるよ。とにかく、その奇抜な衣装をどうにかしないと」

「奇抜ってどういうことだ」

 紫遠は不満そうだ。しかし、青藍の服装を見て、やはり時代性が全く違うことに気がついた。

「大学の近くに柊都大街という大通りがある。そこなら食べ物も、着るものも何でも揃う」

 青藍の提案に、紫遠は顔をぱっと明るくした。乗り気になったようだ。


「ちょっと待って、コンタクトは疲れたから眼鏡にするよ」

 青藍は洗面所に向かった。興味津々の紫遠はその後をついていく。青藍は鏡を見ながら目の中に指を突っ込んだ。

「な、何をしているんだ」

「眼球を補助する道具を外しているんだ」

 青藍が眼球から透明な薄い丸いものを取り出す様子を、紫遠は呼吸を止めて見つめている。コンタクトレンズを洗浄するために、水道の蛇口を捻った。

「うわっ」

 紫遠は勢い良く出た水道水に驚いて、大きく後退る。ひとつひとつのイベントにこうもいちいち驚いて疲れないものか。いや、もし自分が2000年後の世界へタイムスリップをしたときに、驚かずにいられるだろうかと考えてみる。紫遠の反応は馬鹿にできない、と青藍は思った。


 顔を洗い、机の上に置いた眼鏡をかける。眼鏡も珍しいらしく、紫遠は至近距離からじろじろと青藍を眺めている。

「それは何だ」

「視力を補うものだよ。俺は目が悪くて遠くのものがあまり見えない」

 あまりに興味津々なので、青藍は紫遠に眼鏡を貸してやった。紫遠はおそるおそる見よう見まねで眼鏡を装着してみる。

「うわっ、目がまわる、何だこれは余計に見えない」

「俺は乱視も入っているからな」

 テンションの高さにやはり面倒臭いな、と思いながら青藍は紫遠の手から眼鏡を取り返した。


 これからバスで柊都大街へ向かうことにするが、出発前にトイレに行くことを勧めた。便器の中を狙うこと、用を足したらボタンを押して流すことを教えておく。

「気持ち良かった、すごい技術だ」

 しばらく経ってトイレから出てきた紫遠は顔を赤らめて興奮気味にまくしたてる。洗浄と間違えてウォシュレットを使ったようだ。尻に当たる温水と温風が気持ち良かったらしく、無駄に三回もボタンを押したという。

「あれは中に人がいて、股間を狙っているのか」

 紫遠はバスに揺られている間、ウォシュレットに対する疑問を立て続けに投げかけてきた。


 柊都大街でバスを降りる頃には、すっかり日が落ちて街は煌びやかにライトアップされている。街路樹やロータリーの古代の鐘楼、ショッピング街の入り口に建つ鼓楼も光り輝いている。紫遠の時代にはこんな眩しい光は存在すらしないだろう。

 紫遠は賑やかな街の様子に感激して、あちこちを忙しなく見回している。

「あの鐘楼は今から500年前に復元されたものだよ」

 古代の鐘楼と形はそう変わらない。目の前の鐘楼には屋根や城壁にLEDライトが張り巡らされ、地面からもスポットライトが当てられている。


「俺の時代にもあった。夜には松明の火が灯る」

 地下道をくぐり、階段を上って鐘楼の上に出た。街路樹を彩る光が通りの端まで続き、ロータリーを走る車のライトが絶え間なく流れて、まるで光の海のようだ。紫遠は感激して瞬きも忘れて眠らない街の夜景を見つめている。

「なんと素晴らしい繁栄ぶりだ。宗王朝の未来がこのように輝かしいものになろうとは」

 その言葉に、青藍は複雑な想いを抱く。宗王朝は紫遠が消えた年から衰退し、傀儡政権が3年ほど続いた後に皇帝が廃され、別の王朝が立っている。

 鐘楼の東西南北から街の様子を見て、はしゃぐ紫遠にしばらく付き合わされた。


「良い匂いだ。ここは市場か」

 やっと鐘楼見学から解放され、食事のために露店や飲食店が並ぶ通りにやってきた。ここなら大陸のいろんな様式の料理を食べることができる。目に映る全てが珍しいのだろう。紫遠は興奮しきりだ。

 賑やかな通りには伝統衣装で着飾った若い女性たちもたくさん歩いている。紫遠は顔立ちが精悍で整っており、長身で立ち姿も見栄えがいい。少し歩けば女性に声をかけられ、写真をねだられた。

 紫遠も慣れてきたらしく、笑顔で撮影をしている。青藍は撮影係だ。


「面白い文化だな、一緒に並ぶだけでそんなに嬉しいのか」

 紫遠は写真の意味が分かっていなかった。

「写真だよ、こうやってスマホで撮影ボタンを押すと、その瞬間を残すことができる」

 青藍はスマートフォンの写真画像フォルダを見せてやる。そこには時間を切り取った絵がいくつも並んでいた。

「俺と青藍もこれができるのか」

「はあ、ああ、できるよ」

 青藍は写真を撮られるのが苦手だった。笑顔が引き攣ってしまうからだ。楽しそうに笑う友人たちの中で不機嫌にも見える自分の顔を残したくなくて、いつも撮影役に徹していた。


「写真してもらえるか」

 紫遠が通りがかりの若い女性に声をかける。女性は美しい青年に依頼されたことが嬉しくて、喜んで引き受けた。

「行きますよ、はい、笑ってください。3,2,1」

 賑やかな通りを背景に、紫遠と青藍は写真撮影をしてもらった。スマートフォンの画面を確認すると、青藍はやはり苦笑いだった。

「これをもう一度見たいときはどうするんだ、俺はこの機械を持っていない」

「紙に印刷して渡すよ」

 それを聞いた紫遠は嬉しそうに笑顔を見せる。

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