第10話 月影の旅立ち

 月影は黒毛の愛馬を駆り、砂漠を西へと向かう。空が白み始め、砂丘の稜線が色濃く浮かび上がる。砂漠の砂は仄かに青白い光を放つ。連れている部下2人が月影の横に並んだ。

「月影様、先ほどの指令はどうにも理解しがたい」

 年長の部下の一人、幽風ゆうふうが押し隠せぬ怒りを露わにする。もう一人の若輩の部下、冬波とうはも同じ想いを抱いているらしく、何度も首を縦に振る。

「言うな、朱鴎様の命は絶対だ」

 月影は感情の読めぬ低い声で二人をたしなめる。幽風と冬波はそれだけでこれ以上月影に何を言っても無駄だということを悟る。


 月影は柊都の遙か西の少数民族の村に生まれた。夏は短く、厳しい寒さの冬が長い過酷な土地だ。

 村人は夏場の農耕と冬場の狩りで素朴な暮らしを営んでいた。ある時、宗という大国が村に侵攻してきた。労働力確保のための強制移住が目的だった。

 小さな村は焼き払われ、村人は有無を言わせず連れ去られた。果敢に立ち向かった者はその場で見せしめに殺害された。月影の母は宗国の武装兵に袈裟懸けに斬られた。幼い月影は母の血を頭から浴びた。

 村人の遺体は冬は厚い氷の張り詰める湖に次々に投げ込まれた。小さな湖は暗い赤色に染まった。


 月影は幼くして孤児となり、宗国の支配する辺境で過酷な労働を強いられた。薄褐色の肌に碧い目、村でも突然変異と珍しがられた銀色の髪は周囲の者から異端者として扱われたことも辛かった。

 骨身に染みるほど寒い冬の日の深夜だった。狭い部屋で同年代の子供たちと雑魚寝をしていた月影は訳もわからず連れ出された。

 連れ出した男たちの話から、極めて稀な容貌を持つ月影を売り飛ばそうということらしい。生きることに絶望した月影は男たちのなすがまま、砂漠を駆ける馬に揺られていた。


 都の近くで夜盗に襲われ、自分を掠った男たちはその場で喉を搔き切られた。迸る血を見ても月影は何も感じなかった。夜盗の棟梁が宮殿へ自分を連れていき、身分の高そうな男に引き合わせた。その男が今の主、朱鴎だ。

 夜盗と思っていた男たちは朱鴎の私設暗殺部隊で、朱鴎は月影を育てるよう命じた。


 7才だった月影は部隊の中で暗殺術を仕込まれた。部隊の男たち、ときに女もいたが、朱鴎の命令は絶対、一切の疑問を持つことなく命を賭して遂行することを旨としていた。それだけの恩賞も充分に与えられた。徹底的な洗脳と、厳しい訓練を生き抜き、月影が成人する頃には部隊でも一目置かれる暗殺者に成長した。


 幽風と冬波の言う通り、紫遠を追って異界へ赴けば二度とこの地を踏むことはできない。月影に未練は無かった。父母を殺害され天涯孤独の身の上だ。恨み骨髄の宗王朝の皇子を殺害するという大命を果たすためなら後悔など微塵も感じない。

 異界とは、一体どんな場所なのだろう。そもそも異界へ飛ばされた紫遠は姿を消した。肉体も魂も消し飛んでしまい、何も残っていないとしたら。自分もそうなるのだろうか。

「それが怖いというのか」

 月影は自嘲する。砂漠に暁の光りが差す。三頭の馬の影が金色の砂の上に長く伸びる。月影は顔を隠していた黒い布を取り去った。布は風に煽られ、空高く舞う。


 銀色の長い髪が光を受けて美しく輝いている。ガラスのような碧い瞳、切れ長の瞼、細い眉、形の良い高い鼻梁。

 幽風と冬波は、闇の中に息を潜める主の姿しか目にしたことが無かった。今、朝日を受けて輝くその凛々しく美しい容貌を見て、思わず息を呑んだ。


 断崖が近付いてきた。朱鴎が示す洞窟を発見し、中へと足を踏み入れる。曲がりくねった洞穴を進み、大仏の鎮座する部屋に出た。

 祭壇には辟邪鏡と天禄鏡が設置してある。指示書には天禄鏡は洞窟内に、辟邪鏡を外へ持ち出し、太陽の光を導く。異界へ送られるものは石の器にある水晶を手にしておくこと、とある。


「これは一体なんでしょう」

 松明を持つ冬波が祭壇前の彫刻に目を留めた。そこには9つの円が並んでいた。幽風も白いものが混じる髭をしごきながら円を眺めている。9つの円は最後のものを除き、10ごとに刻まれていた。中心に針がついており、それぞれ異なる方向を示している。

 最後の円だけが12に刻まれている。冬波が触れると、ゴリと砂を噛む音がして針が動いた。針は9の位置を示した。

「おそらく呪術の一部だ。触らない方がいいだろう」

 月影は2人を窘める。


 月影は冬波に辟邪鏡を持たせ、幽風には洞窟内で天禄鏡の調整を命じた。

「お前たち、世話になったな。俺はおそらくここに戻ることはないだろう」

「月影様」

 冬波は俯く。涙を堪えているのか、細い肩が震えていた。幽風も別れが辛いらしく、唇をぎゅっと噛みしめている。

「泣くな、俺たちは影だ。死に場所は決めることはできない」

 月影は冷たく言い放つ。冬波はとぼとぼと洞窟の入り口に向かって歩き出した。


 洞窟の外にはギラギラとした太陽が輝いている。冬波は涙を拭い、辟邪鏡を太陽に向けた。角度を調整ながら洞窟内に設置した鏡へ反射させる。強い光が一気に洞窟内を進み、閃光が煌めいた。

 しばらくして、項垂れた幽風だけが洞窟内から姿を現わした。幽風は冬波の顔を見て、静かに頷く。2人は黒い布を顔に纏い、馬を駆って洞窟を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る