第9話 異界への暗殺指令

 墨を流したような濃い闇の中で、燭台の灯が生き物のように揺らめいている。宗国外交大臣の朱鴎は闇に溶け込むように佇んでいた。炎を見つめながら、手癖で顎に蓄えた髭を整える。

 着実に運がまわってきた。朱鴎は口元に冷酷な笑みを浮かべる。


 二週間ほど前のことだ。朱鴎の元に西域からやってきた旅の商人が謁見した。瑠璃の器や、緻密な文様の刺繍が施された布など、珍しい交易品を献上された。そして最後に商人は羊の皮で織られた巻物を取り出し、西の砂漠に残された伝説を話してくれた。


 砂漠の彼方に断崖が連なる土地がある。その洞窟の一つが異界へと続いているというものだ。呪具を使い、定められた儀式を行えば、異界へと旅立つ事ができるという。朱鴎はその伝説にいたく興味を惹かれた。商人の巻物を持ち、数人の側近を連れて密かに西の砂漠へと馬を駆った。

 そこで、巻物の示す洞窟を発見した。洞窟の中には石の仏像や見事な彩色壁画があった。仏像の台座で大量の銅鏡を発見した。

 その中に辟邪鏡と天禄鏡、水晶玉があった。二枚の鏡で洞窟内に太陽の光を導けば、水晶を持つものは異界へ旅立つことができる。


 大仏の鎮座する部屋への道は狭く婉曲しており、太陽の光を真っ直ぐ導くことはできない。そこで壁に穴を穿ち、銅鏡を配置した。これで太陽の光を鏡で反射させることができる。朱鴎は部下の一人に水晶玉を持たせ、儀式を遂行した。目映い閃光が走り、部下の姿は跡形も無く消え去った。

 怯える部下を尻目に、朱鴎は口元に恐ろしい笑みを浮かべる。この儀式を行えば、気に入らない人間をこの世から消し去ることができる。

 朱鴎は都へ戻り、巻物を持っていた商人を褒美を与えることを口実に宮殿に呼び出し、口封じのため秘密裏に部下に殺害させた。これでこの儀式を知るものは自分と信頼のおける側近のみだ。

 朱鴎は大胆な計画を立てる。


 朱鴎は古の皇族琥の末裔だった。現王朝の宗氏に滅ぼされ、一族の多くは処刑された。朱鴎の祖先は惨めな逃亡の末に朱姓を名乗り、平民に身を落として粗末な暮らしを強いられた。そして代々一族の滅亡の悲劇と怨恨を語り継いできた。

 幼い頃から祖父母の怨嗟の声を聞いていた朱鴎は、現王朝にどす黒い憎しみを抱くようになった。勉学に励み、難関試験を突破して宮廷内で今の地位を得る。


 宗氏転覆を目論む朱鴎は虎視眈々と機会を覗う。現皇帝は人徳に厚く、見事な政治手腕で国を盛立てていた。彼の長子である紫遠は、武芸に秀で部下からの信頼も熱く、25万の皇軍を一手に掌握していた。圧倒的な統率力を持つ紫遠は朱鴎にとって邪魔な存在だ。しかし、紫遠は武芸の達人であり、暗殺を企てるのは至難の業だった。


 紫遠を洞窟へおびき寄せ、異界へ飛ばしてしまえばいい。


 朱鴎は軍議の場で玄兎族が李州城を襲撃したという虚偽の情報を流した。それまでの外交実績により築き上げた信頼で、情報を疑うものは誰一人としていなかった。紫遠の軍を砂漠へ向かわせ、彼を異界へ送る。

 将軍不在の軍は烏合の衆に過ぎない。手薄になった警護の隙をついて、密約をかわしておいた玄兎族に侵攻させれば都を落とすことができる。紫遠は暗殺されたことにして、側近の青蘭にその罪を被せる。

 万事順調だ。この国の主権を握るまで、あと少し。燭台の炎に照らされた朱鴎の顔には暗い影が落ちていた。


 翌朝、西域からやってきた女占い師が朱鴎に謁見した。朱鴎がこの先の命運を占ってもらうために呼び寄せたのだ。彼女は占星術を得意とし、星の動きから命運を導くことができた。

 夜の砂漠には無数の星が瞬いている。占い師は花の匂いの香を焚き、呪文を唱える。そして、ゆっくりと頭上の星を見上げた。目まぐるしく星を追いながら、何事か呟いている。術を終えて、朱鴎にこう伝えた。

「あなたの野望は道半ばだ。紫遠の星は未だ非常に強い光を放っている。彼はまだ生きており、この世界へ戻る手段を探している。彼が戻れば、あなたの野望は潰えるだろう」

 朱鴎は怒りに任せ、腰の剣を抜いた。


 朱鴎は剣についた血を丁寧に拭い、鞘にしまう。占い師の老女の亡骸は、砂が明け方までに覆い隠してしまうだろう。朱鴎は側近の一人を呼び寄せた。黒装束に身を包んだ長身で細身の男だ。顔を黒い布を纏い、その隙間から目だけが鋭い光を放っている。

月影げつえい、お前に命じる。異界へ旅立った紫遠を見つけ出し、確実に息の根を止めろ」

 黒装束の男は静かに深く頷いた。そして、2人の部下とともに月光を浴びて青い光を放つ夜の砂漠へと消えていく。

 冷たい夜風に晒されて砂丘からサラサラと砂が流れてくる。朱鴎の足元に転がる哀れな老女の遺体は、すでに半分砂に埋もれていた。

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