第7話 スカウトはお断り

 当初は紫遠を止めようと歩み寄った警備員も、その場の空気を読んで立ち止まる。BGMが盛り上がり、いよいよクライマックスへ。重厚な銅鑼の音が響き、それに合わせて紫遠も掛け声と共にポーズを決めた。

 一瞬、会場はしんと静まりかえる。そして次の瞬間、盛大な拍手と声援に包まれた。

「彼素敵だわ、どんな作品に出演するのかしら」

「めちゃくちゃカッコ良かったな」

 女性だけでなく、男性の心もがっちりと掴んでいるようだ。紫遠は槍を肩に預け、額から流れる汗を袖で拭う。その仕草に黄色い声が上がる。若い女性たちが紫遠の傍に集まってきた。


「写真を一緒に撮ってもらえませんか」

 紫遠の周辺にはファンの人だかりができている。

「すごいカリスマだな」

 一部始終を階段の上から見ていた青藍は感心しながらぼやく。紫遠は戸惑いながらも求めに応じているようだ。観客の間を縫って、サングラスをかけた髭面の男が紫遠の肩を掴まえた。

「君、さっきの演舞は素晴らしかった。群を抜いていたよ。それにいい面構えだ。制作が決まっている大型時代劇に出てみる気はないか」

 髭面の男は興奮気味にまくし立てる。直接スカウトの交渉だ。彼は映画プロデューサーなのだろう。紫遠はさっぱり意味がわからないという顔をしている。


「ちょっとすみません」

 人垣をかき分けて青藍は紫遠の腕を掴み、輪の外へ連れ出した。背後で髭男が何か叫んでいるが、無視して紫遠を連れて走る。回廊の柱の影に隠れてなんとかやり過ごした。

「あいつは何を言っていたんだ」

「上手だと褒めていたんだよ」

 青藍は適当な返事を返す。紫遠は当然だ、と得意げに胸を張る。青藍のポケットに入れたスマートフォンが振動している。史庵からの電話だ。


「青藍、どこにいる。そろそろ帰ろう」

「ああ、わかった」

 柊都映画城には史庵の運転する車でやってきた。これから駐車場に向かい、一緒に街へ帰ることになる。

「紫遠、ここからどうやって帰るんだ」

「洞窟の前につないでおいた馬がいない。それに一緒にいた青蘭も護衛の騎兵もどこかへ消えた」

 自分の身に起きていることの深刻さを思い出したのか、紫遠は困惑した表情を浮かべている。

「仕方無い、とりあえず送ってやるよ」

 何故かこの男を放っておけない。気の毒に思った青藍は、史庵に頼んで街まで乗せてやることにした。


「そうだ、その服を着替えないといけないだろう」

 紫遠は藍色の袷の着物を着ている。貸衣装は出口のクロークで返却する必要がある。

「これは俺の服だ。どうして着替える必要がある」

 青藍は目を見開いて首を傾げる。紫遠は至って真顔だ。からかっている様子はない。

 最近、街中で古代の衣装を着て散策するのが若者のおしゃれとして流行していると、いつもアホな記事を載せるファッション雑誌の見出しを見たことがある。

「じゃあ、そのままでいいんだな。本当に」

「いい」

 何度も訊くなと面倒くさそうな顔の紫遠に、青藍は肩を竦めた。


 駐車場の車の前で史庵と春燕が待っていた。二人とも貸し衣装から普段着に着替えている。春燕は紫遠を見るなり、飛びついた。

「さっきの槍演舞、とっても素敵だったわ」

 春燕も紫遠の演舞を見物していたらしい。すっかり惚れ込んで、さっきから紫遠がカッコいいだの、演舞をまた見たいだのうるさいんだと史庵は辟易していた。

 紫遠は駐車場に停車している車を珍しそうに眺めている。白、青、赤、黄色、鮮やかな色彩の鉄の車体が太陽を受けて輝いている。目の前を車が通り過ぎていくと、紫遠は目を見開いて驚いた。


「これらの車は何で引くんだ。牛か、馬か」

 車輪がある乗り物が自走しているのが紫遠には信じられないようだ。この調子に付き合っていられない。

 青藍は後部座席のドアを開け、紫遠を無理矢理車に押し込んだ。史庵がエンジンをかけると、車が振動し、カーステレオから音楽が流れ出した。聴いたこともない早いテンポの異国の音楽に紫遠は眉根を寄せる。

「どこかで楽団が演奏しているのか」

「そうだ、あの中でな」

 またとぼけた質問だ。青藍はカーステレオを指さした。紫遠はそれを真に受けてチラチラと動く液晶画面を凝視する。


「で、どこまで送ればいいの」

 春燕が訊ねる。

「李州城へ向かいたい。我が軍が進軍しているはずだ」

 青藍は紫遠の口を慌てて塞ぐ。春燕と史庵は怪訝そうな顔を見合わせている。

「とりあえず、街に戻ろう。俺の下宿先まででいいよ。その後はどうにかする」

 史庵はそれを聞いて車を発進させた。

「柊都に戻ることはできない。俺は進軍の最中だ。命令を聞かねば首を刎ねる」

 紫遠は恐ろしい剣幕で青藍を脅しにかかる。青藍は負けじと人差し指を紫遠の鼻っ面に突きつける。

「いい加減にしろ。砂漠の真ん中に置き去りにしてもいいんだぞ」

「皇軍は20万の隊列だ、近付けばすぐに分かる」

 このままでは議論は平行線だ。いや、議論にすらなっていない。青藍は大きなため息をつく。


「わかった、今から行くのは李州城に続く砂漠のオアシスだ。そこへ向かえばお前の軍と合流できるだろう」

「信じよう」

 紫遠は腕組をして唇を引き結んだ。嘘も方便だが、ここは仕方がない。

 どうやら紫遠の設定では、彼は李州城へ侵攻してくる玄兎族を討伐するために20万の軍を進めている最中であり、砂漠の洞窟に入ったら部下たちとはぐれてしまった。早く追いつきたいということのようだ。

 ここでもめては運転手である史庵に迷惑がかかる。青藍は下宿中の学生寮に紫遠を連れて帰ることにした。


 紫遠は自分の要求が通ったことで機嫌が直ったようで、珍しそうに車窓からの風景を眺めている。

「この車は速いな。それに、この椅子は座り心地がすこぶるいい」

 クッションの良い座席にご満悦だ。車窓の風景は砂漠から市街地へと変わっていく。古代の城壁をくぐり、柊都の中心部へ。楡の並木通りを進んで行く。高層ビルや派手な看板の店にいちいち驚いて疲れたらしく、後半はもうへえ、はあ、しか言わなくなっていた。

 青藍の学生寮は柊都大学の敷地内にある。大学の校門で紫遠と一緒に車を降りた。二人に礼を言って、寮へ向かう。


「あれは宮殿か」

 紫遠は夕陽を受けて朱色に染まる大学の立派な時計台を指さす。五階建ての荘厳な学舎が宮殿を彷彿とさせるのだろう。

「いや、あれは大学の建物だ。時計台は図書館で、あとは講義室が並んでいる」

「図書館か、書は好きだ」

 紫遠は憧憬の視線を送る。突然公衆の面前で槍を振り回すような脳みそ筋肉男でも、学ぶ気持ちはあるようだ。青藍はそれが意外に思えた。

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