第6話 槍の演舞
果汁の糖分が体内を駆け巡り、頭がすっきりしてくると気分も落ち着いてきた。紫遠は隣に座る青藍が薄い板をいじっているのに目を留めた。
「この街の民がみんな持っているその板は何だ」
とんちんかんな質問に青藍は眉根を寄せ、まじまじと紫遠を見つめた。
「あんた、ああ、紫遠とか言ったな。一体どこの田舎から出てきたんだ。いや、田舎で畑仕事をしているオヤジですらスマートフォンくらい持っているぞ」
「すまーとほん」
紫遠は聞き慣れない言葉をたどたどしく復唱する。青藍は頭を抱えて大きなため息をつく。
「これは電話だが、インターネットにも接続できる。知らないことを検索したり、地図を見たり、財布の変わりに使うことができるんだ」
青藍は呆れながらも真面目に答えてやる。紫遠は目を見開いて唇を一文字に引き結んでいる。おそらく言っている内容の半分も理解できていないのだろう。紫遠がとぼけたことを言うのは演技の練習かと思っていたが、本当に知らないためのようだ。
「地図はどうやって見るのだ」
長く思案した後に、紫遠が質問をする。青藍はスマートフォンで地図アプリを起動し、画面を見せてやる。紫遠は画面の光を見て、驚いた様子でぱちぱちと瞬きをしている。
「こんな小さな板で地図が見えるのか」
画面には地名や、主要な道が表示されていた。しかし、表示範囲が限られている。こんな狭い地図をどのように使うのか、紫遠は首を傾げる。
「いいか、見てろよ」
青藍はスマートフォンの画面を指でスクロールする。地図の範囲が移動し、紫遠は口をあんぐり開けて驚く。その様子が面白くなった青藍はさらに拡大、縮小をしてみせた。
「すごいな、この板の中に長い地図が入っているのか」
「触ってみるといい」
青藍はスマートフォンを紫遠に手渡す。
紫遠は画面を凝視している。光を放つ不思議な地図に興味津々の様子だ。恐る恐る青藍がしていたように指で画面を撫でる。何の手応えも無いのに地図が動いた。
「一体どういう仕組みなんだ」
紫遠はスマートフォンを両手で持ったまま、衝撃を受けている。指で画面を引っ張るように撫でると、地図が大きくなった。面白い。紫遠は満面の笑みを青藍に向ける。
「これはすごいぞ」
紫遠は地図の中に、自分の知っている地名を見つけた。
「紫遠はどこからやって来たんだ」
青藍は先ほどから抱えていた疑問を口にする。
「俺は宗の都、柊都からやってきた。北方の蛮族、玄兎の侵攻を防ぐため季州城へ進軍する途中だ」
紫遠の返事に青藍は神妙な表情になる。まるで時代劇の台詞のようだ。しかし、彼は真剣そのもので、もはや演技とは思えなくなっていた。柊都は現在の省都の名前だが、わざわざ古代に滅びた宗王朝の名を冠するのも違和感を覚える。
「玄兎族が炎の壁を破り、侵攻してきた季州城の乱のことか」
青藍は独りごちる。自国の歴史は一通り頭に入っている。今から1800年ほど前に季州城の乱をきっかけに当時覇権を誇っていた宗王朝は滅亡した。炎の壁の守備に出陣した、軍を掌握していた皇子が暗殺されたのだ。そのため、皇軍は総崩れとなり、都への蛮族の侵攻を許すことになる。
「その時の皇子の名前は、紫遠」
青藍は紫遠の顔を見つめる。この男はコスプレ好きの歴史マニアか、いや、もしかして。
不意に宮殿の大階段の下が騒がしくなる。大勢の観光客が広い宮殿の庭に集まっていく。タイムスケジュールによれば、これから演舞ショーが始まるようだ。四角い庭を囲むように立ち見の観客がずらりと並んでいる。紫遠も何が起きるのか、画面から顔を上げて庭の方を見下ろす。
庭を囲む回廊から武装した兵が二列で歩いて来た。作り物の甲冑を身に纏い、槍を手にしている。柊都映画城の目玉の一つ、槍兵の演舞ショーだ。壮大な音楽とナレーションが響き渡る。
「おっ槍か、俺は槍が得意だ」
何が始まるのか警戒し、庭を凝視していた紫遠が突然立ち上がる。スマートフォンを青藍に押しつけ、階段脇に設置してある写真撮影用の模造槍を手に取った。それを脇に抱えると、人混みをかき分けて演舞会場の庭へ階段を駆け下りて行く。
「あ、バカ、何やってるんだ」
あまりに突然のことに、青藍は脊髄反射で行動する紫遠を止めることができなかった。ドラムロールが鳴り響き、槍兵の演舞が始まった。
横10人、縦10人が並ぶ槍兵の整然とした演舞は息がぴったりと合っており、美しいダンスのようだ。時折、かけ声を上げて決めポーズを取る。
彼らの多くは、柊都映画城の寄宿舎に住み込みで働くエキストラたちだ。この演舞に出演することは映画出演の登竜門の一つだ。有名俳優の
決めポーズの度に拍手が起こる。紫遠はそんな大注目の演舞会場に槍を手にして躍り出た。突然乱入してきた着物姿の若者にどよめきが起きる。
「あいつ、やっちまった」
青藍は頭をかかえる。これだけの観客が見ている中に自分まで乱入して連れ戻すのは、さすがに恥ずかしい。
青藍はやきもきしながら紫遠の姿を見守る。
「いいぞ、やれやれ」
演舞に興奮した観客が乱入するのは時々あることのようで、観客たちはいい加減な声援を送る。紫遠は槍を構えた。その瞳に強い光が宿る。その一瞬で、周囲の空気が変わった。観客たちもそれに気が付いたようだ。
流れる舞曲に合わせ、紫遠が舞い始めた。槍を大きく振り回し、前に突き出す。それを後ろに退き、回転させる。ジャンプして上方から突き、着地して重心を下げて足元を薙ぐ。実戦に即した隙の無い動作、槍先から漲る気魄に観客たちは圧倒されている。
紫遠の長い黒髪が流れるように風に遊び、美しい藍色の着物の金刺繍は太陽の光りを受けて煌めく。観客たちはいつしか心を奪われていた。
最初の素人の乱入を揶揄するような声も今は無い。紫遠の額から流れる汗が石床に滴り落ちる。その強さと美しさを兼ね備えた舞いに、観客の女性たちは恍惚の表情でため息を漏らした。
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