第5話 異邦人
わけがわからない。洞窟で光に包まれてから何かがおかしい。部下の騎兵も消え、再会した青蘭はふてぶてしい。
轟音に驚いて顔を上げると、巨大な鳥が青い空を横切っていく。いやあれは本当に鳥だろうか、不思議なことに太陽を反射して輝いている。紫遠はまたくしゃみをした。
断崖の向こうに立派な城壁が見えた。都を離れ、二日は経っていたはずだ。何もかもがおかしい。
「うぐぐ」
紫遠は眉根をしかめて頭を抱えた。考えるのは苦手だ。青蘭に似た男、もう青蘭と思うのはつらすぎるのでやめにすることにした、が向かった先へ歩き出した。
城門をくぐれば、そこは都の賑わいがあった。色とりどりの着物を着た女性たちが楽しそうに往来している。中には青蘭に似た男が着ていた奇妙な衣装を纏うものもいる。よく見れば、髪型も奇妙だ。金色や、一部青だったり桃色だったり、短く刈り込んだ髪を逆立てている。ここは異国の商人たちが集う市場なのだろうか。
紫遠は周囲を警戒しながら宮殿へ向かう。
「あの、何のドラマに出演されるんですか」
突然、桃色と緑色の華やかな着物を着た二人組の女性に声をかけられた。
「どらまとは何だ」
紫遠は首を傾げる。二人はクスクスと笑い合っている。
「やだ、演技が上手い」
「でも、役になりきってるのよ」
緑の着物の女性が薄い板を取り出した。またあの板だ。紫遠は興味深くそれを見つめる。女性は慣れた様子で板の上に指を滑らせる。
「じゃあ、写真だけでもいいですか」
了承していないのに、紫遠を挟んで二人ポーズを取りながらが立つ。一人が薄い板を持った腕を伸ばした。
「はい、3,2,1」
カシャ、と音がして女性たちは板を覗き込む。
「ありがとう」
「ドラマ楽しみにしてるわ」
そう言いながら笑顔で去っていった。何の呪いだったのだろうか、異国の文化はよくわからない。
紫遠は宮殿の入り口に立つ。朱塗りの立派な柱に格子窓の扉は、やや粗雑だが都の宮殿を模したつくりになっている。
宮殿内は人でごった返していた。貴族のようないで立ちの者もいるが、明らかに平民も混在している。宮殿には限られた者しか参内することはできない。
「これは一体」
紫遠は人混みをかき分けて玉座に近付く。そこで泡を吹くような光景を目にした。玉座に皇帝の証である冠を頭に乗せた者が三人立っている。皇帝は世界に一人のはずだ。紫遠は何度も目をこする。しかし、皇帝はどう見ても三人だ。
いよいよ混乱してきた。紫遠はふらつく足取りで宮殿の外に転がり出た。気がつけば喉がからからだ。目の前にいる子供が橙色の液体の入った容器を持っている。あれは飲み物だろうか。柱の傍でフルーツを山盛りにした露店を見つけた。そこで絞り取った果汁を売っているようだ。
「ひとつもらえないか」
紫遠はぶどうを指さした。露店の店員は鉄の容器を取り出し、紫遠に手渡す。その冷たさに驚いて、思わず手を滑らせそうになった。容器は鉄のようだがひどく薄い。指に力を加えると軽くへこんだ。
「五圓だよ、にいちゃん」
「圓とは何だ」
真顔で訊ねる紫遠に、店員が眉を顰めている。圓とは異国の通貨の単位なのだろう。普段街に出て買い物をするときは、自分で代金を払ったことなどなかった。もちろん財布も無い。
「では、これを」
紫遠は帯につけていた大ぶりの翡翠を取り外そうとする。店員は慌てて止める。
「そんなのもらっても困るよ」
「しかし」
押し問答になっていたところに、横から手が伸びてきた。青藍が薄い板を見せると、店員はそれに納得したようだ。
「助かったよ。あんたの友達か、ちょっと心配だな」
「いいや、違うよ友達なんかじゃない」
青藍はムッとした顔で首を振る。
「ちょっと、あんた」
青藍は宮殿の階段下に紫遠を引っ張ってきた。あまりに乱暴な仕草に、紫遠も腹が立って腕を振り払う。
「一体何を考えてるんだ」
青藍は腕組をしながら苦虫を噛み潰したような表情で紫遠を見つめる。
「おかしいのはお前たちだ、そんな奇妙な格好をして俺をからかっているのか」
紫遠も負けじとつっかかる。青蘭はこんな口の利き方はしないし、こんな不機嫌な顔を見せたことはない。
「貴様、もしや青蘭に化けた妖術使いか」
紫遠は青藍の鼻っ面に人差し指をつきつける。
「頭沸いてるのか、俺は青藍だ。青蘭なんて知らない」
青藍の剣幕に一度は驚いたが、その様子から嘘は言っていないことが分かる。紫遠は力無く階段に座り込んだ。
その項垂れた様子があまりに気の毒で、青藍はその横に腰掛けた。
「ここで働くエキストラじゃないのか、迫真の演技だよ」
「えきすとらって何だ、異国の言葉はわからん」
紫遠は腕の中に顔を半分うずめてふてくされている。この男、極端に横文字に弱いのだろうか。
近くで見ると、男の着ている衣装は相当質の良い布を使っていることが分かる。そして、見事な刺繍に、腰につけたベルトには大ぶりの宝石がいくつも嵌め込まれている。腰の剣も重厚なつくりで金色に輝いており、メッキには見えない。
「ちょっと失礼」
青藍は紫遠の髪のむんずと掴み、引っ張った。毛穴が引っ張られ、紫遠は顔をしかめる。
「無礼な、そこへなおれ」
紫遠は顔を赤くして立ち上がる。その威厳ある声音に、青藍は一瞬肩を竦める。
「落ち着け、悪かったよ」
青藍はいきり立つ紫遠をなだめすかす。艶やかな長い髪はかつらではなく、地毛のようだ。
「俺は紫遠という。お前は青藍か」
「そうだ」
紫遠はふう、と息を吐いて再び階段に腰を下ろす。熱くなるのは悪いくせだ。青蘭もいつも気を揉んでいたな、と懐かしく思い返す。
「それ、飲んだらどうだ」
青藍に言われ、紫遠は手にした鉄の容器を見つめる。飲み物を買ったと思ったが、どのようにして飲めばいいのだろう。振ってみると中は液体が入っているようだが。紫遠は手にした缶をいろんな方向から眺めるだけで、一向にプルタブを開けようとしない。
「貸してみろ」
いちいち生意気な口ぶりだな、と思ったが紫遠は青藍に容器を渡す。青藍は円筒状の容器を縦にし手持ち、取っ手のような部分を引っ張った。ぷしゅ、と音がして甘い香りが漂う。
「ほら、飲み方はわかるか」
「おう、わかる」
紫遠は胸を張ってみる。しかし、缶ジュースなど見たことがない。こんな小さな口からどうやって飲むのだろうか。そろそろと口をつけ、傾けてみた。
「ぶほっ」
一気に液体が流れ込み、思わず咽せる。
「がっつくからだよ、少しずつ傾けて飲むんだ」
教えてもらったとおり、缶の小さな穴に口をつけゆっくりと傾けていく。甘い果汁が流れ込んできた。コツをつかんだ紫遠は缶ジュースを一気に飲み干す。ぶどうに似た甘い味がして、思わず笑みをこぼした。
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