第4話 砕けた水晶

-2022年 春 柊都しゅうと郊外


 柊都から北へ向かうこと約60キロ、広大な砂漠や断崖など、雄大な自然の景観を利用した映画の撮影地、柊都映画城がある。砂漠エリア、綺霊きれい山脈、塔門石窟など自然の地形をそのまま生かしたロケ地のほか、人工のオアシス、古代のマーケットを模した街並み、荘厳な巨大宮殿もある。

 ここは現代建築のシルエットや喧噪とは無縁だ。時代物の超大作の撮影でよく利用されており、国外からの撮影グループが滞在することも多い。


 柊都映画城は、映画のロケを見学できるテーマパークでもあり、有名な映画作品に使われた巨大セットの見学や、派手な演出のショーを楽しんだり、古代の装束を着て古い町並を散策できる。運が良ければ人気俳優の撮影現場に出会えるチャンスがあり、これを目当てに何度も訪れる若い女性グループも多い。


 春燕しゅんえんは大学の同級生で彼氏の史庵しあんとその友人の青藍せいらんとともに柊都映画城にやってきた。春燕は史庵とともに古代の装束のコスプレを楽しんでいる。装束は数多くの貸衣装から選ぶことができ、古代の着物から異国のドレスまでラインナップは豊富だ。春燕は今ハマっている時代ものの衣装を選んだ。

「ねえ、写真撮って」

 桜色の長いドレスを纏う春燕は、着替えてからずっとはしゃいでいた。彼女に合わせた青い着物姿の史庵はやれやれと言いながらも付き合っている。

 パーカーにTシャツ、ジーンズ姿の青藍は二人の後をついて、頼まれればスマートフォンで写真撮影をしてやる。


「この辺りは本物の遺跡なのね」

 春燕は断崖を見上げる。切り立った崖に無数の洞窟が口を開けている。洞窟内には石で掘られた仏像が並び、壁面には宗教絵画が描かれている。乾燥した砂漠の中で風化が激しく、保存や研究のために立ち入り禁止になっている洞窟も多い。

「そう、今から二千年近く前のものだよ。発見されたのはここ百年で、それまで砂漠に埋もれていたというから今俺たちがこれを目にできるのは奇跡だ」

 青藍は熱っぽく語る。

「青藍は本当に歴史マニアだな、ここに何時間でもいられそうだ」

「ああ、俺にはあっちのハリボテの宮殿よりもこの遺跡の方が価値がある」

 茶化す史庵に、青藍は真面目な顔で答える。三人の周辺にはほとんど観光客はいない。地味な洞窟遺跡よりも、写真撮影で絵になる映画セットエリアの方が人気があるのだ。


 ***


 紫遠はゆっくりと目を開いた。激しい閃光でまだ瞼の裏側がチカチカと光っている。だんだん目が慣れてくると、薄暗い洞窟のゴツゴツした岩肌が見えた。

 二、三度瞬きをして目を見開く。周囲には誰もいない。護衛の騎兵も、青蘭の姿も無かった。何かを握り絞めていることに気が付き、指を開いてみる。手の平の真ん中で丸い水晶が鈍い光りを帯びている。水晶に亀裂が入ったかと思うと、粉々に砕けてしまった。力など全然いれていないというのに。


 呆然としながら紫遠は周囲を見渡す。ここは鏡を発見した洞窟だ。しかし、目の前の石仏は朽ちて鼻がかけ、挙げた手は手首から先が失われている。天井の絵もすっかり色褪せ、微かにラピスの藍が残るのみだ。一気に果てしない時間が過ぎ去ったかのような錯覚に、紫遠は目眩を覚える。

「青蘭、どこだ」

 不安の波が心に押し寄せて、思わず親友の名を呼んだ。誰もいない洞窟の中にその声は無情に響き渡るのみだ。鏡も、水晶も何も無い。ただの朽ちた穴だ。紫遠は青蘭の名を呼びながら明かりの方へ向かって歩き出す。


「へっくしょい」

 曲がりくねった洞窟からようやく抜け出した瞬間、紫遠は盛大なくしゃみをした。くしゃみは止まらない。鼻水が滴るほどにくしゃみを連発する。風邪など引いてはいなかったはずだが。

 紫遠は上等な刺繍の縫い込まれた袖で鼻水を乱暴に拭った。


「あ、ねえ写真撮ってもらえませんか」

 声の方を向けば、桜色の着物を着た若い女だ。その横には連れの貴族とみられる青い着物の男が立っている。

「しゃしん、とは何だ」

 紫遠は首を傾げる。その反応に春燕と史庵は顔を見合わせた。

「なぜこんなところに都の者が来ている」

 その言葉に、春燕と史庵は若手俳優が古代人になりきって演技をしているのだと思った。レンタル品よりも断然品質が良い立派な藍色の衣装を着ている。それに、すらりと通った鼻筋に、見るものを惹き付ける印象的な力のある目元、情感的な厚めの唇は精悍な顔立ちにセクシーな雰囲気を添えている。率直に言うとかなりの美形だ。


 洞窟の近くに繋いだ馬もいない。一体どういうことだ。紫遠は深刻な表情を浮かべる。春燕はそのキリッとした形の良い眉と、黒曜石の輝きを放つ瞳をうっとりと見つめている。

「あの、写真いいですか」

 その雰囲気をかき消そうと、史庵がスマートフォンをカメラモードにして強引に紫遠に手渡す。春燕と史庵は二人並んでポーズを取った。

 しかし、紫遠はいつまで経ってもカメラをこちらに向けず、スマートフォンをじっと見つめている。春燕と史庵は再び顔を見合わせた。


「これは、あの壁画にあった板だ」

 紫遠は目を見開く。軽い板は思いのほか堅く、表面から光を放っている。壁画にあったように恐る恐る表面を指で触れてみる。カシャ、と音がして紫遠はビクッと肩を竦める。

「ねえ、あれってスマホを知らない古代人の演技なの」

「没頭しすぎじゃないか、ちょっとおかしいだろう」

 春燕と史庵はひそひそ話を交わす。そこへ青藍が戻ってきた。


「あそこの壁画は一番保存状態がいい」

 興奮気味に語る青藍を見て、紫遠は感激して駆け寄る。

「うわ、なんだいきなり」

「青蘭、ここにいたのか。一体何が起きたんだ」

 血相を変えて肩を乱暴に揺さぶる紫遠に、青藍は迷惑そうな顔を向ける。

「どうした、いつの間に髪を切ったんだ。あの美しい髪はどうした」

 紫遠は青藍の髪を撫で回す。その様子を春燕と史庵は唖然として見つめている。


「何すんだよ、いきなり。頭おかしいのかアンタ」

 頭にきた青藍は紫遠を突き飛ばす。紫遠はそれに驚いて、目を見開く。

「青蘭、お前一体どうしたんだ。いつの間にそんなに腕っぷしが強くなって。それになんだその格好は、そんな袴は見たことが無い」

 紫遠はひどく混乱する。目の前にいる青蘭に瓜二つの男は見たこともない異国の衣装を纏い、腕っぷしが強く、そしてふてぶてしい。あの素直で優しい青蘭はいったいどこに行ってしまったのだろうか。


「行こう、関わるとヤバい奴だ」

 青藍は紫遠を一瞥して、踵を返した。コスプレをして役になりきっている異常な男になど、つきあっていられない。史庵は紫遠の手からスマートフォンを取り返し、春燕の手を引いて青藍の後を追った。

 背後でおおきなくしゃみがひとつ聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る