第3話 砂漠の洞穴
出発は三日後の正午と決定した。これは異例の速さだ。都から北は砂漠地帯が広がっている。速やかに進軍し、季州城を奪還、玄兎族を滅ぼし同胞を救うという作戦だ。進軍は一日八十キロ、四日以内に目的地点に到着する計算だ。
季州城は小さな町で、物資が少ない。玄兎により城が焼き払われている可能性もある。二十万の兵站も用意しなければならない。軍部は慌ただしく準備を始めた。
出発前夜、紫遠が離れの寝所にやってきた。
「今回はお前も連れて行く」
紫遠の言葉に青蘭は心底驚いた。これまで戦の同行を許されたことは無かった。
「お前に砂漠の月を見せたい、煌めく星も」
いつも豪気な紫遠だが、どこか感傷的になっているのだろうか、と青蘭は思う。紫遠が指さす丸窓の向こうにはナイフのように鋭い、冷たい銀色の月が浮かんでいた。
春風に砂塵が舞い上がる砂漠の行軍は困難を極めた。突如出現する砂嵐をやり過ごし、太陽が南天に昇る頃にはオアシスに身を寄せて日が落ちるまで待機する。人を乗せた馬と物資を運ぶ駱駝の群れが長い列を連ね、鈍重な歩みで北進する。
食料は一日に二回、水と干し肉、干し芋、干し豆腐。玄兎族を撃退し同胞を救って、早く都に戻りたいと誰もが思っていた。
早朝、幕舎に伝令がやってきた。紫遠は目をこすりながら上体を起こす。すでに気温は上がり始めているらしく、肌にはうっすらと汗が滲んでいる。
「ここから西へ5キロの地点で、石窟が発見されたそうです」
洞窟のために起こされたのか、紫遠は眉根を顰める。
「石窟の中には保存状態の良い石仏と、鏡が多数発見されました」
古代の遺物だろうか、紫遠は興味を引かれた。保護しなければ蛮族の破壊行動に遭う可能性もある。軍はそのまま北進させておき、護衛の騎兵と青蘭を連れて向かうことにした。
太陽がギラギラと照りつける砂漠は白い光を放っている。目をやられないよう薄布で覆いをしながら馬で駆ける。
「鏡とは興味深いですが、そのような寄り道をしても良いのですか」
背後に乗る青蘭が心配そうに声をかける。忠告をしたところで結果言うことを聞かないことは分かっているのだが、どうしても言わずにいられないのだ。
「単騎駆けならすぐに追いつける。それに砂漠の真ん中だ、帰りに立ち寄ろうにも砂に埋もれているかもしれないだろう」
紫遠は人一倍好奇心旺盛なのだ。それは幼い頃からよく知っている。青蘭も興味が無い訳では無かった。口元が少し緩む。
砂漠の彼方に大小いくつもの穴が穿たれた絶壁が見えてきた。一番北の端にある一際大きな洞窟を探索したところ、鏡を発見したという。馬を木に繋ぎ、洞窟の前に立つ。
「かなり深いな」
中を覗き込むが、通路は湾曲しており先が見えない。兵の一人が松明を掲げ、足を踏み入れる。
洞窟内は砂漠よりも体感温度がかなり低く感じられた。日光を遮るだけの薄い布地を纏う青蘭は少し肌寒いと感じるほどだ。突き出た鍾乳石を避けて頭を下げながら、深い洞窟内を進んでいく。
突然、開けた場所に出た。松明を掲げると正面に巨大な石仏が鎮座している。遠い西域の異民族の顔立ちを持つ見事な像だ。青蘭は感嘆のため息を漏らした。
「来て良かっただろう」
偉そうに胸を張る紫遠に、青蘭は仕方無く頷く。兵が松明の数を5本に増やした。石窟内の天井は高く、壁一面に色鮮やかな絵画が描かれていた。紫遠が松明を高く掲げる。そこには布きれを纏い獣を追う古代人や、合わせの着物を着た女性が見て取れた。
「なんだこれは、異国の文化だろうか」
映像が映る箱、空を飛ぶ鉄の鳥など、見たことが無い不思議な絵だ。紫遠は天井を興味深く見つめている。その顔が心底楽しそうで、青蘭は小さく笑った。
「ここに何かあります」
兵が祭壇の脇にある円柱状の石を指さす。紫遠が歩み寄ると、丸く磨かれた直径2センチほどの水晶玉だった。
「特別なものだろうか、そうは見えないが」
紫遠は松明の光に当てて水晶玉を見つめる。見事な球体加工である他に特徴は無さそうだ。
「鏡はどこだ」
紫遠は鏡の在処を尋ねる。兵が祭壇の下の石を動かすと、百以上の銅鏡が転がり出てきた。
「これは見事だ」
銅鏡にはどれも緻密な鳥や草花、動物、神獣が描かれている。
「都へ持ち帰り、父上への手土産にしよう」
兵が二枚の鏡を紫遠に献上する。その鏡は他のどの彫刻よりも際だって見事だ。
「これは、辟邪と天禄ですね」
青蘭も目を輝かせる。これは素晴らしい発見だ。辟邪は鹿の角、天禄は牛の角を持つ古代の聖獣で天啓を伝えにくるとされている。
「将軍にこれをぜひ見聞してもらおうと、磨き上げておきました」
兵は深々と頭を下げる。その口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。
「素晴らしい、全てを持ち帰ることはできないが、この2枚は持ち帰ろう」
紫遠は鏡を運び出すよう兵に命じた。天井の絵画の方に興味があるらしく、紫遠はずっと上を見上げている。
「面白い、周辺地域で見たことがない衣装だ。それにあれは何をしているのだろう」
紫遠は四角い薄い板を持ち、指でつつく男性を指さす。
「あの薄い板は本でしょうか」
「それにしては小さい」
紫遠と青蘭は時間を忘れて天井の絵について議論を交わす。不意に、周囲が明るくなった。振り向けば、洞窟内に明かりが差している。
「これは一体」
紫遠は周囲を警戒する。護衛の騎兵が二人の周辺を取り巻く。
「鏡を反射させて洞窟内に太陽光を導いているようです」
屈折した光が祭壇に置かれた鏡に集約されている。先ほど持ち出すよう命じた天禄鏡だ。鏡は光を増し、次の瞬間やがて目映いばかりの閃光を放った。
「うわぁああっ」
紫遠の叫び声が聞こえた。青蘭は自分を守ろうと肩に回された紫遠の手の温もりが瞬時に消え去ったのを感じた。
「紫遠」
青蘭は叫ぶ。閃光は一瞬にして消え、そこに紫遠の姿は無かった。騎兵たちはどよめき始める。青蘭は震えながら洞窟内を見回す。しかし、彼の姿は無い。光とともに消え去ってしまった。
「紫遠」
叫びながら洞窟の外に駆け出す。そこには黒装束を纏う男たちがズラリと並んでいた。頭から黒い布をかぶり、目元が辛うじて見えるのみだ。冷たい光を放つ瞳に、青蘭は息を呑む。
一人が鏡を手にしていた。辟邪鏡だ。この鏡を使い、太陽の光を導き入れたのだ。
「将軍は戻らない。異界へと消えた」
鏡を持つ男は暗い声で囁く。背後でドサリと重いものが崩れる音がした。足元に赤い血が流れて、白い砂に染みこんでいく。青蘭は青ざめた顔で、ゆっくりと振り向いた。
護衛の騎兵たちが喉元を掻き切られ、声も上げずに倒れて絶命していく姿を見た。後頭部に激痛が走り、青蘭は意識を手放した。
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